第2区 生徒会役員選挙の件 15. 生徒会役員選挙⑥
選管委員長の指示により、議論は打ち切りとなり、お互いが席に戻ることになる。
かくして書記については時間切れとなり、僕が向こうの公約について突っ込んでいる時間は結局のところ、なかった。
こちらが抗戦し、正当性を持った話をすることさえできれば、向こうは間違いなくいらだつ。そしておそらくそこに心理的に穴ができる。
向こうの話が首尾一貫するためには「ネズミー先輩」が何かかかわっている、というのは、庭球部と蹴球部が手を組んだ時点で推測できる。すなわち、彼女が普段使っているであろう陰口ないし、彼女自身の個人的な思想が表に出てくると僕は読んだ。
現にイタチはネズミー先輩を『ドブネズミ』と敬称なしで、悪口で呼んだのだ。私的な場ならともかく、公の場での侮辱は、さすがに好意的にとられるはずもない。普段の場ならまだしも、生徒会となるとそうした言動は完全にアウトである。そして、いら立ちが表に出てくるならば、間違いなく時間切れ直前のあたりであると考えた。そこから決定的な矛盾、その急所をつくことができればベストであったのだが、そこまでは及ばなかった。
向こうの奥の手は「ネズミー先輩の学力」である。向こうがそれを主張できるのは、学年順位でネズミー先輩のそれを上回るからだろう。イタチの成績は上の中くらいであったはずだから。対抗するには、学力に限ってはイタチを上回る「対抗馬である僕自身が首席であること」しかない。だがこれを出してしまえば、表面上そうであるが、学力こそが最大の肝要であると周りに思わせてしまい、結局のところ彼女の意見を支持してしまうと解釈される事も十分にありうる。しかし一番恐れていたケースは、3年の首席・根古野先輩とつながっていた場合である。3年首席という肩書がある以上、対抗策としては十分だ。
だからこそ、残り時間が少ないときにこの体制に持ち込み、こちら側が一気に攻め、向こうの反撃開始と同時に時間切れとする必要があった。
相手の決定的な矛盾を突き追い詰めることはできなかったものの、矛盾を突き続けることで相手の本音を引き出すことには、かろうじて成功したといえよう。
頭に浮かんだのは、囮の城を使い奇襲を加える厳島合戦と、暴風雨による時間切れが敵軍壊滅をもたらした蒙古襲来の一件であった。夏休みに歴史物の大長編以外にもいろいろと読んでおいたのが救いとなった。オリジナルでどうこうするのは、残念ながら僕には難しい、だから歴史に学ぶのだ。
ただ、この作戦で一つ、外れたことがあった。ネズミー先輩を名指しで呼び捨てにしたそれである。僕が狙ったのは、彼女がいらだちを募らせて矛先が僕自身に向かい、その切っ先が逆に向こうの喉元に向かうこと。発言がただの罵倒か、非論理的な暴言になること。それを逆手に取り「君が言うのか」とカウンターをかますことだ。あえて最後に「首席」と口にしたのも、まさにそこにある。僕自身なら、向こうの罠にまんまとかかるだろう。そして、選挙中に感情的なふるまいをたびたび行ったイタチの様子を見る限り、挑発であっさり引っかかると踏んだのだ。そこまでは正しかった。
ネズミー先輩に矛先を向けさせてしまったのは、間違いなく失策であった。仮に勝ったとしても、ネズミー先輩に対して申し訳なさすぎる。
最後の会長の演説だが、こちらについては意外も意外。
書記がこの状態になっていたため戦争状態になるのは覚悟していたし、タイガーも動き出す寸前であったが、書記のように荒れたものとなることはなかった。リュウノスケの演説は夜遅くまで粘っただけのことはある隙のないものであったが、対抗する根古野の主張があくまで「課外活動の抑制」をメインとした筋書き通りのもので、非常に穏やかなものであったのだ。少なくとも「駅伝部」という言葉を一度も使うことはなかった。たとえどんなに穏やかな演説であろうとも、暗に「駅伝部」を指した批判を使ってくるであろうと考えていただけに、警戒している僕にその暗喩すら伝わってこない、というのは聞いていて呆然としたところが大きい。壇上で演説を聞きつつあっけにとられたのが正直なところである。あっけにとられつつも、このままでは負けるかもしれない、などと思っていた。
リュウノスケも向こうの動きが見えにくく困惑したためか、討論では駅伝関係のことは一切口にしなかった。イタチがやらかしたからそのあたりをアドリブで変えたのだろうか、と思うが、どうもそういうわけではないようだ。急遽変えれば原稿など見ていられなくなる。だが、彼は片手に原稿を持ち、たまに目を向けていたのだ。五分間の質疑応答も妙に無難に進んだことは今も覚えている。
結局のところ不思議なことに会長と会計が比較的スムーズに進み、書記だけが大荒れする形となった。締めに向けた準備を相当念入りにしていただけに、リュウノスケも根古野がなぜあそこまで主張を見えにくくしたのかわからない、と言っていた。向こうの駅伝部に関する公約についても、下手に薮蛇になっても困るので突っ込むこともできなくなっており、これも向こうの計か、などと当時の僕は考えていた。当のリュウノスケ自身、総大将として大激戦を予想し、書記すらもあくまで前座になる可能性が高いと考えていただけに、内心相当驚いたようであった。
とはいえ、本当にスムーズに、お互い言いたいことをはっきり言う、いい意味で堂々とした戦いであった。裏事情を知らなければ、発声がはきはきしていたこともあって、あちらの方が印象に残ったのではないだろうか。裏事情を知っているものとしてはどちら側にとっても書記が一番危ういだろうし、実際リュウノスケ・ニワトリ・ペガサス先輩やメグまでもがそう断言している。
かくして、最終演説は終了し、投票の時間に移ることとなった。
周囲の人から聞く限り、「0票」ということを避けるため、立候補者は原則として自分自身に投票するのが慣例だそうなのだ。僕もそれにのっとり、自分自身に投票した。僕一人の選挙ではない、校内を二分する選挙である以上、一票動くだけでどうなるかわかったものではないからだ。当然、会長はリュウノスケに、会計はニワトリに投票した。
投票後の放課後すぐに、練習に向かう途中のネズミー先輩に平謝りに行った。先輩は「大丈夫、あの時のことは、もう終わったことだから」と言っていた。
当時の僕は、「あの時」をなぜか選挙の時のことだと考えていたのだった。
ネズミー先輩に報いるためには、もはや勝つ以外の道はない。今からどうにかなることではないが。
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