第2区 生徒会役員選挙の件 4. 日辻恵未②

 事が起こったのはその週末だった。

 すでに実力テストの結果も出て、学年一位を479点でどうにか死守したのが分かったのが土曜であったから、その翌日である。

 第1回試走を来週に控えた、9月のオフの日曜日の夕方、自主練のロードワークを終えてシャワーから上がり、大砲から銛を打ち出す、近代捕鯨のドキュメンタリーを見ていた。

 冷蔵庫から出した牛乳をごくごくと飲んでいると弟の有司ゆうじが玄関の方から呼んでくる。コップをテーブルに置き弟の方へ向かうと思わぬ客人が来ていた。

 メグだ。

 弓道部からの帰りなのか、弓道着のまま来ている。どういうことだ。ひどく焦った様子だ。

 うちに来るのは割と珍しい従姉を玄関先に待たせるのもよくないだろうと、とりあえず話を聞いてみるために居間にあげようとしたが、言葉を僕が発する前に彼女は開口一番とんでもないことをぬかした。

「大変よ。練習帰りに耳にしたのだけど、蹴球部主将の根古野君が生徒会長に立候補するそうよ、公約の一つにあるのは『少なくとも今年の駅伝部出場停止』らしいわ」

悪い冗談だろう、と返すも、メグの表情はこわばったままである。そばで聞いていた弟も少なからず驚いていた。冗談でないことは彼女の強張った表情を見れば明らかなのだ。本気でそんな公約が掲げられるのか。

どう僕たちに攻勢をかけてくるのか、頭の中でいろいろ想像していたが、生徒会を利用した手口は予想できなかった。

不覚だ。

向こう側は予想以上に大規模な攻勢を仕掛けるつもりだ。何を考えているのかわからないが、どういう理屈で通す気なんだ。

頭を一旦落ち着かせ、一呼吸置き、次々と頭に浮かぶ気になることを整理しつつ尋ねる。

「対抗馬はどうなってるんだ、そいつさえいれば何とかなるかもなんだが」

「今のところ不在よ。しかも悪いことに、書記・会計にも反駅伝部派が立候補してるわ」

イノブタに関係があるのかないのかはわからないが、ともかく駅伝部に対し、直接的に行動に出たのは間違いない。最悪、生徒会を反駅伝部派に完全掌握される可能性が出た。

 書記や会計も聞いておく必要がある。玄関先なのも難なので、一旦メグを家に上げ、より詳細な情報を聞く。

 弟・ユージは話の面倒さを察したのか、メグの妹・ミホのところのところに電話をかけた。

 それから30秒もないうちに、準備万端で玄関を後にした。

『兄ちゃん、メグ姉、ちょっと未穂ん家行ってくる』

メグが手を振って見送る。僕と違って、弟は気楽な立場なのである。嫡子のメグと年が違うこともあり、彼には祖母ちゃんもあまりうるさくはないし、メグも変な対抗意識を持つことはない。むしろかわいがっている。


 とりあえず居間にあげる。メグの情報はまだ続きがあった。

 生徒会役員である会長・書記・会計の三役全てに、根古野一派の立候補があったそうだ。三役の意見が揃えば生徒総会で、事前審査なしの発議が可能である。部活の設立・廃止の発議はもちろん、課外活動の開始・復活も挙げられよう。

 すなわち、駅伝部の悪評を流し、その流れをもって生徒総会の議題とし、多数決で出場停止に追い込むことも不可能とは言い切れないのだ。対抗馬は今のところない。

 「駅伝部の誰かが立候補するほかない、ということだな」

 「相手方がどう出るかわからない以上、三役すべてを独占できれば問題ないのだけど、そんなにうまくいくとは思えないわ」

 基本的に、生徒会の選挙は「個人」の戦いである。

 人数が多くとも、それはあくまで小勢力の争いである。


 だが、その年に限っては、振り返ってみても「校内を二分する団体戦」であったのだ。

 いわば、二大党派の争いである。


 三役すべての立候補。この時点で、僕は決意した。

「少なくともこのままほかに立候補が出なければ、信任投票になる。そして、信任投票で落選した例はこの学校では存在しない」

「そうなれば、駅伝部は出場停止に大きく近づくわ。向こうの思惑は主張からして間違いないね」

「向こうの思惑次第で出場停止にならないとしたら、イノブタがえらい目に間違いなくあうだろう」

「それで、どうするの」

彼女の眼を見て応える。

「リュウノスケを会長候補として立て、立案者の僕は書記か会計に立候補するのがいいだろう」

「今の情報をリュウノスケにも伝えれば、あいつも立候補を決めてくれるはずだ」

「それに明日から立候補の受け付け開始、今週の水曜が締めきりだ」

「できれば明日の放課後、緊急会議を雪辰家で開きたい。情報を簡潔に伝えて、開いてくれるよう僕がリュウノスケに頼む。メグは連絡網で回して」

「メグ、お前も立候補もしてもらえると助かる。書記と会計のどっちかに。もう片方には僕が出る」

 この学校の生徒会三役は、三人全員が同性であることは認められていないのだ。

仮にこちらが男子三人で挑んだとしても、二席が同性で埋まった時点で必然的に残る一席に同性の者は座れない。

埋まる順序は得票率の高い候補から、となるので、誰が外れるかはわからない。

仮に向こうの女子が当選した場合、生徒会がねじれて何が起こるかは分かったものではない。

こちらの立候補が女子三人でも同様なのだが、会長に関して言えば、人望から考えてもリュウノスケ以外が適任だとは、僕には思えなかった。

だからリュウノスケ・僕と誰か女子が立候補する必要があるのだ。そしてその女子として最適だと思ったのがメグであった。本家が少なくとも同格に立てる以上、駅伝部加入時の一件を帳消しにできるかもしれないのだ。

そしてその詳細を決めるために、向こう側の出方を裏からつかんで、向こうの立候補者・役職・性別を把握する必要があった。


のだが。

「私、選挙管理委員副長よ。立候補もできないわ」


失念していた。本家の彼女をもう片方に立て、彼女の面子を立てるという机上の策はものの見事にかち割られた。作戦失敗である。

とはいえ、選管副長であれば祖母ちゃんも致し方あるまいと思うだろう。委員長・副長の選管二役は、伝統的に2年生が行っており、一種の名誉なのだ。したがって、一族のしがらみの方は今回遠慮不要であった。

「連絡網は回しておくわ。あと、来週の月曜は選管の会議だから行けないわね」

「その分僕が話す。言っておきたいことはあるか?」

「任せるわ。ヨシヒロのほうが考えまとまってるだろうし」

「念のため聞くが、委員長って誰なんだ?」

選管委員長が中立であるか、こちらに比較的好意的であることを祈りつつ聞く。

「委員長は野球部の部長、鯉沼君よ」

懸念している部活ではないのが幸いだった。勧誘の際にも、駅伝部に好意的だったやつだ。

少なくとも、向こう側で何かやられる恐れは低いと言える。開票も、委員長と副長が最終確認を行うのだから。

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