ここにリンゴが一つある。

歌音柚希

ここにリンゴが一つある。

「もしもの話をしよう」

「なんだい」

「ここにリンゴが一つあると仮定して」

「分かったよ」

「君はそのリンゴをどうする?」

「そのとき僕は空腹かい」

「そうだなぁ、空腹じゃないとしようか」

「では僕はリンゴを絵にするだろうね」

「どうして? 君が画家だから?」

「いいや、そういう気分だからさ」

「そんなものかな」

「そんなものだろう」

「じゃあ君は空腹だとしようか」

「もちろん僕はそのリンゴを食べるだろうね」

「どうして? お腹が空いているから?」

「空腹を感じていなかったら絵にするさ」

「でもリンゴが安全であるとは限らない」

「あなたの言う通りだね」

「では君は魔法が使えて、空腹だと仮定しようか」

「それなら僕はリンゴを完全に安全にしてから、リンゴを増やすだろうね」

「どうして? たくさん食べられるから?」

「いいや、リンゴがいくつもあれば、満腹になってから絵に描けるからさ」

「なぜそんなに絵にこだわるの?」

「僕が画家だからさ」

「ふうん。じゃあ君が小説家だとしよう。君はリンゴをどうする?」

「空腹かい」

「君は空腹も喉の渇きも覚えないとしようか」

「そうかい。僕はどうするかな」

「君のことだから、きっとそのリンゴを文にするよ」

「いいや、僕はきっとそうしないで食べてしまうだろう」

「どうして? 絵にするのに」

「絵と文は違うさ」

「どんなふうに?」

「絵はそのリンゴの美しさや瑞々しさを紙の中に閉じ込めて、いつでもリンゴの様子をさも体験しているかのように思い出すことができる。文はそれができない。その代わりに、絵では伝えられない味や食感を閉じ込めて、さらにそれを食べた時の僕の様子を伝えられる」

「ふふ、君がそんなに長く喋るなんて珍しい」

「茶化さないでくれ」

「ごめんね。ではなぜ君は文章で伝えようとは思わないの?」

「さぁ。もしかしたら僕は描写が苦手なのかもしれない」

「あるいはリンゴが大好物である、とか?」

「そうかもね。さてはあなた、会話に飽きてきただろう」

「どうでしょう?」

「話をしようか」

「いいね。どんな話?」

「ここにリンゴが一つある」

「同じじゃあないか」

「でもそのリンゴは見るからに腐っている」

「ははーん、君が言いたいことを当ててみせようか」

「構わないさ」

「俺はそのリンゴを食べるか?」

「じゃあそうしようか」

「ええ、違うの? まぁいいや。そうだねぇ、俺は食べるよ」

「空腹でなくても?」

「うん。俺はリンゴが大好物なんだよ。知らなかった?」

「初耳だね」

「どうして? 俺と君は友達なのに」

「確かに友達だけれど、しかし僕とあなたはさっき出会ったばかりだ」

「そうだったっけ? 楽しいから忘れていたよ」

「付け加えるならば、僕は人間で、あなたは人間ではないね」

「どうしてそう思うの?」

「ここが人間の世界ではないからさ」

「ふふ。ではなぜ君はここへ来たの?」

「あなたが導いたからだろう」

「果たしてそうかなぁ」

「どうだっていいさ。僕はもうすぐ死ぬ」

「果たしてそうかな?」

「そうだろう。あなたは人間ではないからね」

「大当たりだよ、君。じゃあ最後の質問」

「なんだい」

「俺はでしょう?」

「……人食いの魔物さ」






「また人食い魔物の被害者が出たんですって」

「怖いわねぇ」

「なんでも被害者は隣国の旅人だそうよ」

「吟遊詩人でしょ」

「あぁ、あの美しい顔をした少年」

「美しかったわねぇ」

「そういえば、これまでの被害者も美少年ではなくって?」

「……そう言われれば」

「それにしても、どうやって連れて行くのかしらねぇ」

「なんでも気さくに話しかけて仲良くなるらしいわよ」

「そうして食べてしまうの? 恐ろしい」

「何のお話ですか?」

「あらー! 可愛いお顔ねぇ、旅人さん? ようこそこの国へ」

「ありがとうございます。ここはどんな国なんです?」

「平和で素晴らしい国よ。ただちょっと皆忘れっぽいかしら」

「珍しいですね。忘れっぽい国民性ですか」

「よく驚かれるわぁ」

「あら、そろそろお時間よ」

「すみません、引き留めてしまって」

「いいえ、構わないのよ! どうぞゆっくり楽しんでね」






「……ちょっとそこの可愛い旅人さん!」

「なんでしょうか」

「もし案内人に困っているのなら、俺が案内をしてあげるよ」

「本当ですか!? 助かります!!」

「何を見てみたい? あぁ、この国のことはまったく知らない?」

「傾斜の塔を見たいです!」

「その近くに魔物が住んでいるという噂を聞いたことはある?」

「そんな噂があるんですか」

「ああ。知らないほうが良いね」

「私も知りたくはないです」

「俺がいる限り出てこないだろうさ。さあ、行こうか」

「よろしくお願い致します!」






「もしもの話をしよう」

「何ですか?」

「ここにリンゴが一つあると仮定して」


This story never ends.

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ここにリンゴが一つある。 歌音柚希 @utaneyuki

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