第5話 神殺しの模倣――あるいは、模倣の模倣の模倣――承転篇
少女を拉致監禁したのは四人の青年グループであった。彼らは表向きは真っ当な学生を演じているが、裏の顔は猟奇的趣味嗜好を持った殺人鬼の集まりである。彼らは月に数度、『蝕人研究会』という会合を開く。夜な夜な街を徘徊し、そこで嗜好にあった少女を見つけて、誘拐する。その目的は少女の身体を余すところなく喰い尽すことである。
〝喰〟に対する並々ならぬ探究心は、いつしか彼らの常軌を逸した行いを正当化する建前と化し、既に形骸し、その本質を見失っていた。ただし、その事実に気付いている者はこの中にはいない。抑止力の効かない欲望はこの世の中で彼らをいとも容易く殺人鬼とした。
仮に、一人は田中。一人は鈴木。一人は柳田。一人は吉本。とする。彼らには個性らしい特徴もなく、一つの集合体として存在している。皆、似通った容姿であり、一見しただけでは誰が誰なのかは容易には判然としない。それは彼ら『蝕人研究会』という殺人鬼の集団としては理に適っているのであろう。四人もの似通った――ほぼ同一人物といっても過言ではない複数人が単独に犯行を行う。それは事件発覚後の捜査を攪乱するのに十分なアドヴァンテージたると謂えるだろう。
其は兎も角、この辺鄙な倉庫街に集い、開かれる会合は身の毛もよだつ人外の所業、である。
「今夜、この瞬間、この場所に、集っていただいたのは他でもない。今宵もまた、新たなる神秘の探究に選ばれた贄が、聖女が、降臨なされた。諸君。我らが『蝕人研究会』の崇高なる志しの下、降臨なされた聖女に感謝を――」
――おお! の声に呼応する三名の中心に田中・某が鷹揚な仕草を交えて声を張り上げる。
彼の宣言によってこの夜、また一人の無垢なる少女が犠牲になる。拉致された少女は、まだ、あどけなさといたいけな風情の残る相貌であった。それに反して、その身体は成熟した女のものへと変わりつつある。少女は全裸に剥かれ、天上に張り巡らされている梁から垂れさがる鎖によって吊るしあげられている。足首には枷が嵌められており、その物々しい足枷から伸びる鎖は地面に楔が打たれている。
鎖で繋がれた手足は、ぴん、と伸ばされ、身を捩ったところで微動だにしない。むしろ、腰をくねらせた動きに男たちは色めき立ち、劣情を煽るだけであった。
「これはこれは。今晩の贄はまた一段と活きの良いものですな。今から蝕すのが愉しみで仕方ないですね」
鈴木が厭らしい笑みを浮かべて言う。そして、少女を拉致してきたと思われる柳田が照れくさそうに、自らの働きについて語る。
「いやはや、こんな上物、なかなかお目に掛かれませんからね。魅入ってしまいましたよ。まるで運命に導かれたかのように、私は、我を忘れて彼女をさらっていました。……お恥ずかしいことに、どうやってこの娘をここまで運んできたのか、全く記憶にないのです。まさに、魅入られてしまったのでしょうな」
「素晴らしいです。これは我らが『蝕人研究会』始まって以来の一品。至高の宴となるやもしれませんな。ああ、なんと美しい……白磁のように澄んだ肌はきめ細かく、穢れというものの一切をその神々しいほどの美によって寄せ付けない。まさに、崇高にして艶美。少女から女へと変遷する束の間を抜き取ったかのような尊さ。女神が降臨されたとしか思えませんね」
陶然とした表情で熱弁する吉本は、はあ、と生気の抜けるような溜め息を吐く。それにつられて周りの男たちも同様の溜め息を吐き、口々に「聖女さま……」「ああ、神々しい……」などと呟き心ここに在らずといった様子であった。
「さて、諸君。見蕩れているばかりが我々『蝕人研究会』の目的ではないですよ。やはり、蝕してこその、喰うことの尊さを、最も禁忌とされる喰人という行為で突き詰めるのですから」
そうだそうだ、と田中の言に唱和する他三人。この殺人鬼を前にして吊るされた少女は気が狂ったかのように助けを請うている。しかし、まるでその姿に気が付いていないように振る舞う四人の殺人鬼は意気揚々と食事の準備を開始する。
その間にも、ひたすら「おねがいだから、たすけて、なんでもします、から――」と泣き叫ぶ少女の声が倉庫内に虚しく響き渡る。
「今日は少しばかり趣向を凝らしてこのようなものを用意しました」
倉庫の奥から鈴木が持ち出して来たものは、縦型のグリルであった。多少の改造が施されているようで、見るからに仰々しく過剰なまでの演出効果を発揮している。その大きさは丁度、少女の身長に合致する代物であった。
「なんと。これまた聖女さまに合わせた大きさですね。この厭らしい造形も少女の垢ぬけない裸体とは対照的で、実に趣深いですね」
感嘆の意を表す柳田が、やはり巡り合わせだったのだ、と少女の肌に触れる。しかし、その手は吉本によって弾き飛ばされる。
「貴様、たとえ今回の功績者だろうと、この場に我々と居合わせた時から志を一にするものだ。そう易々と彼の高貴なる肌に触れるなど――言語道断だ!」
檄する吉本。されど柳田は冷静に受け流す。
「それはそうですね。いやはや、私としたことが……。申し訳ない。これより皆、志し高く蝕の尊さを追究せんとするさなかに……一人身勝手だった。この感情は皆で共有するべきものであった。さあ、一緒にこの絹の如き滑らかな肌を堪能しようではないか」
そして、それぞれが右手を差し出し、少女の震える肌を撫ぜ始めた。少女は恐怖で身をすくませる。微かに漏れる声は、不快を訴える。殺人鬼たちは物思いに耽る様子で少女の裸体をまさぐる。皆一心にこの肉の感触を堪能する。その肉質に心を奪われ、初心な青年のような姿になっている。その事に気が付くものはこの中に、いない……。
「なんと滑らかな」「この張り、弾力」「程よい肉付き」「ふくよかな尻肉。引き締まった腿肉」「控えめに主張する胸肉」「肋骨を覆う薄肉」「頭蓋に収められた叡智の刻まれた脳髄」「瑞々しく濡れた瞳」……滔々と紡がれていく言葉。断片的でいて声質の似通った彼らから発せられるそれらの言葉は誰が発したものか判然としない。個人が抽象的な存在であるため、一つの意志として集った時――『蝕人研究会』という殺人鬼として、集団は概念的ともいえる性質を現す。
腹を撫でる指。尻と腿を抱く腕。未だ成長の余地を残した双丘を揉みしだく両手。毛髪越しに頭蓋の中身を想像する掌。
彼らは少女の裸体を隈なく精査する。恐怖と嫌悪に相貌を歪める少女を厭らしい手つきで弄ぶ。泣こうが喚こうがそんなものには頓着する素振りすら見せない。皆一様に少女の肉にしか興味を示さないのである。これから蝕する聖女の如き少女の、熟れ切らない肉の味を想像する。すでに『蝕人研究会』の蝕に対する探究は始まっているのである。
「さて、今宵この少女――否、聖女……女神は我らが『蝕人研究会』の更なる発展と展望を切り拓く贄として蝕される。この献身的な犠牲によってもたらされるであろう、偉大なる蝕の叡智を、我々は涙を忍んで呑み込もうではないか」
おお! おお! おお!
「諸君、女神に相応しい、蝕の方式をどう考える。……。そうである。女神には我々の崇高なる志の一端を目にしていただく必要がある。ならば――」
田中が瞼を閉じて虚空に顔を向ける。
「そうだ! 生きたまま、我々の、蝕人に対する真摯なる情動を、その目に焼き付けていただこうではないか!」
ああ……、哀れな少女は声にならない声を上げる。大口を開き、しかし、わなわなと喉を震わせるばかりで何も言えない。その様はいっそ滑稽にも映る。あまりに衝撃的な殺人鬼の発想に自身の思考が付いていかないのだろう。目玉が飛べ出さんばかりに瞳を見開き、硬直してしまう。
「この縦型グリルは、それに相応しい代物だといえるだろう。今宵、女神は我々に、生きながら喰われるのだ」
その言葉を合図にして各々は準備に取り掛かる。準備と言っても縦型グリルで少女を囲うのみ。そして、各人マチェットを手に携えるだけのことだったが。
この構図には、既視感を覚えるものもいるだろう。なんてことはない、人肉ケバブを饗しよう、という意図が視えてくるはずだ。
「ぎぎゃああああああああああ、熱い、痛い、あつい! あああああああ、熱いぃいいい、身体が、が、があああああ、弾ける! 弾けるぅううううう、いたい、いたいいたいいたいいたいいたい。ああああああああああ、やめでーーーーーーー、やめでやめで、やめでぐだ、ざいぎぎぎぎ、これ、こんあ、こんなこと、おが、おが、おがじいでずーーーーーー。なんでもじます。なんでもじますがだ、ほんどーやめでぐだざいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ」
「何でもすると? ならば我々にその身を喰われなさい」
「何でもすると? ならば聖女らしく毅然としていなさい」
「何でもすると? ならば蝕されることを光栄に思いなさい」
「何でもすると? ならばこの瞬間を目に焼き付けなさい」
「なんでーーーーー、どうして、ぞうなるんで、げは、げは、げは、いたい、いたい、肌がめくれ、てく、べりべり、いだい、いだいーーーーーーーーーーーー、ごほ、ごほ、ごほ、おまえら、あたまが、おがじいんだ。死ね、このクソヤローどもが。死ね死ね死ね死ね死ね。ああああああああああ、どうして私が、なんで私なの、だれが、だずげで……」
少女が焼かれる。縦型グリルで熱された白い肌が見る間に水膨れを形成していく。その水膨れも絶え間ない熱の放射によってすぐに弾ける。そうして、皮膚はめくれ上がり、露出した肉からにわかに出血して、新たな水膨れを形成する。辺り一面に肉の焼けていく臭いが充満していく。その臭いが殺人鬼たちの腹を刺激する。彼らの腹から飽食を期待する音が響く。獣の咆哮めいた、飢餓感を激しく主張する、耐えがたい空腹の叫びにも似た音。
少女の美しかった滑らかな肌は臙脂の生肉を露出して、出血を激しいものにしていく。生肉を程よく熱するグリルは一定の温度を保ち、しかし、少女の身体を焼き尽くすほどの高温には達していない。焼けただれた皮膚はやがてなくなり、生々しい筋の奔る肉を炙り出す。滴る血液は瞬時に蒸発し、鉄錆びのような香ばしい臭いを放つ。
「なんとも食欲をそそる、いい香りが立ち上り始めましたよ」
「剥き出しのやわ肉が艶々と……涎が口の中から溢れてくる」
鈴木と吉本が今にも喰いつかんばかりに前のめりになるのを田中が制する。
「まあ、早く蝕したい気持ちは皆同じ、しかしですね、もうしばらくこの、聖女女神たる少女のお声に耳を傾けようではありませんか。それもまた食事を美味なるものにするスパイスだとは、思いませんか?」
田中の言に二人は納得していったん身を引く。が、鈴木と吉本と同様に田中ですら餓鬼の如く形相で今か今かとその時を待っているのは一目瞭然であった。それにもまして、柳田がぽろぽろと涙を零しているのがいっそう異様で仕方なかった。
「なにを涙することがあるのですか?」
「私は……私は思うのです。かようなお姿になられて尚、その威光が燦然と輝き我々を貫き畏怖させる。ああ、本物の女神なのだなと、私は感じるのです」
「ふ、ふざ、け、やが、って、ぶっこおろす。ぶっ殺して、やるがだな。がは、がは、貴様らみだいな、きもぶで、頭のいがれだ、くっく、クソ、ヤロー、どもなん、がが、がっは――全員ぶっこそして、やる。くそ、くそ、くそがあああああああ、おぼえてやがれ……きさまら、ぜんいん、かならず、じごくを、みせて、やる、があらぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああ………………」
「そうですね。これほどまでのご威光を湛えたお方こそ、蝕を極めんとする我々が探し求めていた究極の贖罪だったのかもしれませんね」
柳田が涙ながら語った言葉は少女には届かなかった。少女の発した呪いは四人の青年には届かなかった。焼かれた喉から最後に絞り出された断末魔の声は、暗く続く倉庫の奥まで隈なく響き渡った。少女の身体は皮膚が焼き尽くされ、焼きただれた生身の肉が、ぷすぷす、と燻る。生殺しの状態の少女は痛みに耐えることが出来ずに毒づく。それを天啓だとばかりに傾聴する四人の殺人鬼の姿は、ひざまつき救いを求める子羊のようで憐れさすら覚える。
やがて、誰からともなく、殺人鬼たちは瀕死の少女に接近する。その手にマチェットを携え、顔と腕と、足先と、僅かばかり端正な造形の残る少女に――身体の、それも概ねふくよかな肉のある個所を赤黒く染め上げた聖女、あるいは女神に……。
狂宴は、まだ始まったばかりなのである。
湿った草木を焼き払ったときの、ねっとりと鼻孔に絡みつく異臭が立ち込める倉庫内。
仄暗い闇が覆うこの倉庫街に立ち寄るものは誰一人としていない。荒廃した倉庫街なのである。あるいは、別の倉庫内で同じような惨劇が繰り広げられていても、不思議ではないだろう。そんな寂然とした閑散な雰囲気が、殺人嗜好を持つ狂人を呼び寄せる材料になっているのかもしれない。
天井から吊るされ、聖女または女神と讃えられる少女は、慟哭の果てに端正な顔立ちを非情に歪める。その焦点の定まらぬ目がいっそう悲惨な状況を物語っている。顎から下、太もも脹脛(ふくらはぎ)にかけて生々しい、しかし赤黒く焼け焦げた肉が露出している。顎から上、足首から足先にかけては未だ、染み一つないきめ細やかな肌は健在である。この奇妙な対比は意外にも少女の美しさをより際立たせた。それは良くも悪くも、殺人鬼たちの食欲と卑劣な感情を煽る結果となった。彼女にとっての良いこととは早々に喰い尽され絶命する事にあったが……。いずれにしろ、少女に残された未来は死しか待っていないのである。それも、およそ人間らしからぬ――人の尊厳をないがしろにした、想像を絶する凄惨な最後であるのは間違いない。
「うまい。うますぎる!」
「下処理なしでこの出来栄え。あり得ない。まさしく聖女の肉」
「一口含んだ瞬間の鼻を抜ける甘さにも似た香ばしさ。臭みもない。淡白な味ではあるが……それがまた一口と――癖になる! いくらでも蝕せる!」
「この熟しきれていない乳肉の弾力。しかし、噛んだ次の瞬間には舌の上で蕩けて口中をまさぐるかのように拡がる甘味と苦み。かつてこれ程の肉を、私は蝕した事がない……なんという至福。ああ、我らが聖女よ。あなたのその身はこんなにも人を悦ばせることが出来るのです。畏れ多くも我々のような卑しい者どもが、この上ない悦びを賜り……」
田中が感極まり涙を流す。鈴木、柳田、吉本も同様に涙を零して喜悦の笑みを浮かべる。それを、どのような気持ちで見るのか……マチェットで細かく切り取られていくたび、短く苦痛に呻く少女は虚ろな眼で彼らを睥睨する。きつく噛み締められた歯と歯が軋みを上げる。それは彼女にとって最後に守らなくてはならない矜持の現れであったのかも解らない。
――決して、こんなとち狂った奴らの前で苦痛に泣き叫ぶものか、と。
噛み合わされた歯と歯の、僅かな隙間から漏れる荒い息。唾液が溢れ出て、剥き出しの筋肉を伝い落ちながら、より生々しいく凄惨にそれを彩っていく。上唇の艶やかな質感と整った目鼻立ち、綺麗な円を描いた耳に凛々しさを感じさせる眉、理知的に秀でた額。それを侵食するように、下顎を覆う表皮は焼け、剥き出しになった歯茎は爛れて気味の悪い形に豹変している。いっそ眼を覆いたくなるその造形が無機質なものにすら映る。
少女を喰らう殺人鬼。無骨な刃で骨身を削がれる毎に、その身を小刻みに痙攣させる少女。
胸を裂かれ。腹を抉られ。腿を穿たれ。背を削り落とされ。二の腕を剥かれ。あばらの隙間を刺し開かれ。脇腹を切除され。脹脛をもがれ。尻を引き千切られ。肩を断絶され。首を一閃され。
夥しい量の血液を流し、失神すら許されない痛みに歯を喰いしばって耐える。しかし、確実に失せていく肉体に対して、血の気の失せていく表情。
「肉はまだある。聖女の崇高なるお体を、余すところなく蝕す。それが、我々に出来得る最大の敬意である」
そして、殺人鬼たちの哄笑が絶え間なく鳴り響く。しかし誰一人とて(その中の者は)気付かなかっただろう。身体を、肉を喰われる少女の考えの読めないその眼光に――暗い影を落とす目元に仄めかされた、その笑みに……。
その後も続く蝕人の探究。それは非情なほど長い長いときをかけて続けられた……。殺人鬼たちは名残惜しむかの如く少女の焼け焦げた肉を薄く削ぎ落として、肉質を吟味し、臭いを嗅ぎ口に運ぶ。十分に噛み、味を愉しみ、肉汁を啜る。そうして旨味を絞り取られた肉は、喉を鳴らして嚥下され、彼らはうっとりとした表情を浮かべる。それからまた新たに肉を削ぎ落としにかかるのである。
気丈に振る舞っていた少女も、この拷問に近い凶行には耐えられなかった。発狂することこそなかったが、その表情の歪さは目を覆いたくなる変貌を遂げていた。常に噛み締められていた歯は幾本か砕け散っていた。嘔吐物と唾液に塗れた下顎。食い縛った筋肉は頬を吊り上げ、まるで笑っているようであり、しかし、白目に剥かれた瞳は過剰な力みに耐え兼ね赤く腫上り、血の涙を流させた。青ざめた頬を伝い落ちた血の涙は両頬をつたいあばたを作る。それは見ようによっては、(女神などではない)鬼神の如き狂相になり果てていた。
女神と聖女と勝手に祀り上げられた少女は死んだ。
殺人鬼たちの刃捌きは異常なほど習熟していた。少女の肉体を薄く切り落としていくのには、単に蝕を愉しむ為とばかりに思われた。勿論、そうした意図はあったのだろう。しかし、それだけが彼らの目的ではなかった。これに関して目的というには若干語弊がある。意図的にそうなった訳ではなく、結果としてそうなったということだ。
少女――二の腕から脹脛にかけて、肉と呼べる部位はあらかた喰い尽された。削ぎ落とされた肉の隙間から黄みがかった骨が露出する。背骨のごつごつとした質感がはっきりと見て取れる。枷を嵌められた足下はどす黒い血だまりが出来上がり、そこに少女の影が落ちている。十二対のあばら骨が肺と心臓を覆い、胃や腸といった内臓は少女の身体からほどけ落ちること無く存在した。殺人鬼たちの刃は内臓を収納する腹膜を一切傷つけることなく、周りの肉のみを削ぎ落としていったのである。それによって少女は人体模型――否、人体標本と言った具合に仕上がったのである。
「骨と内臓。神々しい微笑み。ああ、なんという美しさなのだろう……」
殺人鬼の一人が感嘆の声を上げる。驚きに瞠目する姿が、あまりにも意外なものを直視したときのものに似ている。
「ああ、どこまで……生命の維持を司る臓物を晒したとて、隠しきれない……抑えようもない官能美はまさしく女神。ああ、ああ……」
苦しげに胸を押さえて嗚咽を漏らす一人。二人。……。
「死して尚、これ程の神秘性。裡を曝け出して更に活き活きとされたご尊顔。溢れんばかりの神聖に我らの穢れた魂が浄化されるようだ」
刃を投げ捨て膝を着く、殺人鬼。殺人鬼。殺人鬼。殺人鬼。
「いや、待て……皆、これを見ろ!」
「おお、おお! 生きておられる」
「このようなお姿になられて、未だ生き続けている」
「奇跡。我々は奇跡を目の当たりにしている!」
驚愕するべきことに、少女は生きていた。まだ。人の尊厳など無に等しい姿に晒されてなお。肋骨に覆われた心臓は、弱弱しくも脈打ち続けていたのである。
血に染まった殺人鬼たちも、予想外だったのか、畏怖の感情を隠そうともせず少女の前に跪き深く頭を垂れるのであった。
命尽き果てたかに見えた少女の、奇跡的と言える生命力に驚嘆し、感情の昂りを顕わにしていた殺人鬼たちも、やがて平素の態度へと戻りつつあった。
蝕せる部位はあらかた喰い尽した、という処が彼らの興奮した感情を冷ます要因になったのかもしれない。しかし、彼らの立ち上げた『蝕人研究会』に蝕せぬ人体は存在しない。彼らの掲げる志は、余すところなく人肉を喰い尽す、というものである。
どんなに崇高な(彼らの感覚からしてである)姿と成った少女――人体標本であったとしても、彼らはそれすらも容易く平らげてみせるのである。それは、餓鬼の如く。ただ、
みちり、みちり、と脈打つ心臓の鼓動が倉庫全体を揺るがすのか、殺人鬼たちの動きがおぼつかないものになる。
肉に酔った、とも考えられなくもないほど、それは明らかであった。
「この頭の裏側を撫ぜられたかのような感覚。先程から感じる胸の高鳴り。ひひ、きも、気持ちい。なんという高揚感。女神の御身から滲み出す神秘性は我々にも共有され始めているぞ」
吉本の気違いじみた哄笑が厭らしい響きを以って反響する。その厭らしさは他の者どもにも伝染する。
「ああ、ああ、そうとも。この胸を裂くような爽快感は紛れもなく女神の威光の賜物。我らはその恩寵を賜ったのである」
田中か鈴木か、あるいは柳田が、胸をもがきながらに叫ぶ。
「まだ、まだ、まだ、まだ、まだ、彼の御身を蝕しきれてはいない。では、総てを平らげたとき、我々はどのようになるのか……。想像しただけでもこの身震い……はあ、はあ、ああ、喰わねば、もっと、その御身を頂戴しなくては――」
逸る気持ちの抑えられなかった一人が少女の剥き出しの臓物に跳びかかった。が、その動きが腸に届くか届かないかの処で停止する。
「抜け駆けしようとしましたね。ぬけがけしようとしましたねえ? しましたね。ひひ、抜け駆けしようとしましたね!」
少女の臓物に跳びかかった者。おそらくは田中の側頭部にマチェットが鮮血を浴びて突き刺さっていた。
「それは、あなたにではない。私が、私だけがいただくことを許された、神聖なる、聖女の、臓腑なので、す、よ! 何を勝手に、誰の許しを得て、あなたが、蝕そうと、するのですか!」
田中の側頭部に一撃。飛翔する脳漿。緋色の飛沫が虚空に弾ける。側頭部から刃を引き抜き、舞う血飛沫。二撃、刃は首筋を大きく抉る。撥ねる赫の粘液。迸る血液は刃を振るう殺人鬼の面相を朱に染める。浴びる血潮を舌なめずり、拭う。首から刃を引き抜き、爆ぜる赤錆色の体液。三撃、脳天をかち割る凶刃。眼球が吹き飛ぶ。頭の穴という穴から血が撥ね散る。膝を折り仰臥する一人の殺人鬼。頭を潰されて、あっけなく死に絶えた。
「あは、あはは、あははははは、あはははははははははははははははははははははははは――」
殺人鬼は狂った。そして、それは一人が狂ったのではない。この場に居る総てが狂ったのだ。
狂喜乱舞は開かれた。
「肉、肉、肉、にく、にくーにくく、にくぅーーーー、だ。はああ、んくにくにくにくにくにくにく」
死んだ田中に一人の殺人鬼が喰らいつく。それに倣ってもう一人も田中に喰らいつく。二人の殺人鬼は顔を血に染めて腹の肉を貪り始める。
「あぎゃ、あぎゃ、あぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ、ひひひひひひひひひ、のう、のう、のう、うひぃいぃっぃぃぃぃぃぃぃっぃいぃぃぃぃっぃぃいっぃぃぃぃぃぃぃぃぃっぃぃいぃぃい」
田中の頭を割った――鈴木か?――殺人鬼はその割れ目から溢れ出た脳みそを啜る。頭蓋の割れ目に舌を這わせて、脳漿を舐め取り口をすぼめて中身を一息に吸い出していた。
元から容姿の似通った者達ではあったが、顔を赤く染めることでいよいよ誰が誰だか判然としなくなる。少女に犯した暴力が鬼畜の所業だとするならば、今まさに共喰いを始めた彼らの姿は狂人のものであった。理性を失いただ純粋に肉を欲する。その限り無く人肉を貪る姿は『喰屍鬼』と言えるだろう。
腹に喰らいついた殺人鬼の片割れが、ぽっかり空いた腹腔内に嘔吐した。汚物は空になった腹部を満たし、同じく対面で腹を貪っていた赤面の餓鬼の面を汚した。それに檄して、
「貴様ぁぁあぁぁぁぁあっぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ、ゲロなんてぶちまけやがって! クソがあああああああああああああああ!」
脳みそを啜っていた鈴木がマチェットで嘔吐した殺人鬼の頭を切り落とした。頭部は放物線を描いて倉庫の暗がりに消えていった。残る胴体を鈴木は引き摺り起こす。怒りに面相を赫赫と染め上げ、引き上げた勢いに任せて縦型グリルに首なしの胴体を押し付けた。人間の燃える香ばしい臭いが立ちこる。厭らしい臭いに誘われたのか一人呆然としていた汚物顔の殺人鬼が鈴木に加勢して首なし死体の胴体を押し付け焼き続ける。水分の多い人肉は燻り上手く焼けない。異臭を含む煙をもうもうと立ち昇らせ倉庫内を汚染していく。しかし、その異臭は気の違えた殺人鬼には極上の代物なのだろう。発狂した殺人鬼は人肉を押し付けた縦型グリルを押し倒し、死肉に覆いかぶさるようにして肉を喰い出した。
「にくうまい、にくうまい、にくうまいいぃぃぃっぃぃぃぃっぃぃぃぃっぃぃぃ!!!!! うまい、うまい、うまい、がは、うま、う、う、う、まい、にくにくにくにく、うまうま、ううううううううう、に、に、に、に、くうまいにくうま、いにく、うま、いにくう、まい、にく、うまいい、いにくうまい、にくががががが、うまいがはっ、にく、うま、うい、にく、ぎゃはははははははははは」
喰えども喰えども、飢えを抑えきれないといった様子は化け物じみていて悍ましい。だが、無様に振り下ろされる腕や震える脚は、見る者によっては憐れみすら覚えるものであっただろう。やがて、肉を喰い千切り続けた顎は酷使によって砕けて、だらり、と垂れ下がる。それでもなお、二人の殺人鬼は肉を喰らおうとする。手で肉を引き千切っては喉に直接押し込んで呑み込んでいく。裂いた肉を丸めて、捏ね繰り回して、ぶつ切りにして……内臓を細かく分断して、床で擦り潰して、ほとんどゲル状になったものを掌で掬い取って飲んでいく。
酸鼻窮まる狂気乱舞はあっという間に二人の殺人鬼を肉塊に成り果てさせた。目の焦点の定まらない、全身血みどろの殺人鬼たちは茫然自失の体で身体の裡を曝け出す少女を見上げていた。何を考えているのかは解らない。畏敬の念を抱いていたはずの少女を目の当たりにしても、いまや彼らはどのような情動も示さない。なにが彼らを狂わせたのか……。それを知るものはこの中にはいない。そして、少女の眼にはいつしか光が甦っていた。その瞳孔に宿った光は、恨みを晴らした者特有の暗い煌めきが瞬いていた。
「キサマ……ナニヲ……ボケット……シテ、イヤ、ガル……」
ぼそりと呟いた声は喉から直接発せられ、しっかりした発音ではなかった。それを呟いたのが鈴木だったのかは――血に塗れ過ぎてもはや人かどうかも解らない――判然としない。そして、二人のうちの一人が振るったマチェットがそうでない方の首を刎ね飛ばした。
血濡れた倉庫内には、半壊した少女の肉体と、一人の呆けた殺人鬼だけが残されることとなった。
と、ここまでの経過を『見』てきたわけではあるが、『神』の視点とはいったい全体なんのことを指していっているのか?
理性を失い呆けた餓鬼畜生が濁りきった眼で倉庫内を見渡す。果たして、そのくすんだ目で何が見えるというのだろうか。手には血と肉片のこびり付いたマチェットを携えて、辺りを徘徊し始める。酷く鬱陶しそうでいて……気怠く小首を傾げて、のそり、のそり、と一処を目指して、進む。
だらり、とだらしなく垂れ下がった両腕。血肉を漁ったその手は爪が剥がれ落ち、皮膚がめくれ上がっている。鮮血、に打たれ続けた末にできあがった怪物。化け物としては上々の出来。だが、異形と呼ぶにはいささか迫力に欠けるか。兎も角、一人残った男は、ふらりふらりと酩酊とした足取りである一点を目指す。
一点。基点。ここ。その場所。つまり、
「あ、目え合っちまった」
思わず声が漏れてしまった。今の今まで、だんまりを決め込んでそのままこの場をやり過ごそうと思っていたのに……。冒頭から一貫して第三者視点を貫こうと思ってたのに……。台無しじゃん、これ。
それまで緩慢な動作でこちらに向かっていた殺人鬼の成れの果ては、零れ落ちた音に素早く反応して突進してきた。
――うわ。こっち来るなし……。
怖さとか、悍ましさとか、驚きとか、そんな感情は湧かないけど、かなり……いや、だいぶ面倒だな、と思った。
物陰に隠れていたけど、表に出る。
出鱈目な手足の動きに身体が付いて来ていない様子の殺人鬼。そいつはマチェットを大きく振りかぶって、僕を一刀両断する。
はずもなく、
俊足のもと、全身を駆け巡る熱量を一閃に込めて、返り討ちに処す。
僕と交差した、気狂いの殺人鬼は脳天から真っ二つに割れて、音も立てずに崩れ落ちた。夥しい量の血液を迸らせて息絶えた。
はあ、と一息、溜め息が漏れる。
だから駄目なのである。僕なんかが出しゃばってしまっては狂宴が台無しになってしまうではないか。興がそがれてしまうではないか。
……。……。……。……。……。
血肉に餓え、蝕を極めんとした若者たちは気狂いを起こして全滅した。脳みそを抜かれ。腹を喰い尽され。首を刎ね飛ばされ。そして、僕の手によって、真っ二つに引き裂かれて。
しかし、満足な死に様だったのではないか? だって、こんなにも肉を愛し人を愛し少女を愛した結果が、発狂による共喰いだったのだから。それは本望だったのではないか? 願ったり叶ったり、というものではないか?
「なあ、どう思うんだい。殺人鬼たち諸君よ? こんなにも美しい作品を残すことが出来て……」
僕の呟きは誰に顧みられること無く空虚に散った。少女の剥き出しの臓器、その心臓は既に動きをやめてしまっている。ここに居るのは僕一人。
ああ、こうして間近で見る少女は〝In Utero〟のジャケットの天使の様ではないか。
〝NIRVANA〟=涅槃
ふふ、なんだなんだ……。僕は少女の姿からそのような益体もない言葉遊びを連想して、少しばかり可笑しみを覚える。
これだから、ナンセンスってやつはたまらない。グロイ景色にも意味はあるのだ。なんの繋がりもない物事は連鎖しない。そういう意味においてこの世界とは、なんと素晴らしいのだろうか。つまらない出来事などこの世に存在しない。ゆえに『神殺し』の意思は伝染拡大を続ける。ならばもう少しだけ……。蒔かれた種がいつか刈り取られるその一瞬まで……。遊んでみようではないか――
「そうさ、僕こそが『神殺し』なのだから」
JK肉壺切断くん 梅星 如雨露 @kyo-ka
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