旧医務隊舎2
この医務隊舎の隣にある二棟の旧舎は、戦後はずっと使われていなかったが、一時期だけ、教育隊舎として再び使われることになった。それに伴い、その隣の旧舎も、開けられた。助教の詰め所として使われるのだ。
教育隊の教師たちには助教といって、教官を補佐する役職がある。その助教たちは、新兵になにかあったとき、四六時中、すぐに対応することが求められる。だから教育隊舎の隣の建物に、助教たちは寝泊まりすることが義務付けられたのである。
ここに詰める助教は四人。旧舎は一棟が教育隊舎、もう一棟が助教隊舎となった。助教隊舎の二階が、助教たちの詰め所となった。
ある朝、この助教隊舎に泊まっているはずのFという助教が、外からやってきた。
「あれれ? お前、外泊したんか?」
するとFさんは、「ムリや。俺、今後ここには泊まらんから。自分の部隊の宿舎で寝るから。後、頼むわ」と言いだした。
「は? なに言ってんの。お前、助教だろうが。教育隊舎の隣の建物に詰めて、いついかなるときにも対処できるようにすること。そう命令があったろうが。仕事放棄するんじゃないよ」
同僚は言う。すると、
「お前、聞こえなかったのか?」
Fさんが、そう尋ねた。
「なにをだ?」
「だから、昨夜だよ。あれが聞こえなかったのかって」
「あれって……、なんだよ」
「夜中のことだよ」
Fさんが、助教隊舎のベッドで寝ていると、どんどんと大きな足音をさせて、階段を下りていく者がいたという。それが結構、建物内に響いている。その音で目が覚めたのである。
やがて音は、玄関を出て、ザッザッザッと地面を踏みしめながら遠ざかって行った。
(新兵やな)と、Fさんは舌打ちをした。
(この夜中に、うるさいバカがおるわ。いっぺん、ドヤしつけたろ)
そう思って起き上がると、玄関を出て、外を見てみた。
足音はまだ聞こえていて、どうやらトイレに入っていく。
当時、トイレは隊舎内にはなく、外にある共同トイレのみであった。
(よし)
Fさんは、その足音を追うようにトイレに入った。
ところが、電気が点いていない。人の気配もない。
(おっかしいなあ)
電気を点ける。しーんと、静まり返っている。
男用の小便器は、壁があるだけで仕切りもなく、下に一本の溝が通っているだけ。
後ろに洗面台。その横には、大用のトイレの木戸が五つ並んでいる。
それを見ていると、なんだか用が足したくなった。
溝の前に立ち、小便を始める。
すると、背後から、ギギィーと、木戸が開く音がした。
見ると、一番奥の木戸が開いている。
(なんや。怖いことあるかい。俺は教育係や。助教やぞ。きっとあれは、建て付けが悪いか、風が吹き込んだか、それで開いたんや。まあ、そんなところだろう)
そう自分に言い聞かせて、小便が終わると、開いている木戸の前に立った。
パタンと、その戸を閉めて、再び開けようと戸を引っ張るが、なぜか開かない。
(やっぱり建て付けが悪いんやな。さっきのはちゃんと閉まってなかったから、開いたんや)
そう納得して、洗面台に向かうと、手を洗って、その手を振りながら電気を消そうとした。
その瞬間、バァーンと凄い音がトイレ内に響いて、目の前で五つの木戸の全部が全開したのだ。
Fさんは、助教隊舎には戻らず、そのまま中隊舎へ行って、そこで寝たのである。
そして、朝、助教隊舎に戻るや否や、「ムリや。俺、今後ここには泊まらんから」と言ったのである。
(終)
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