目眩く夏は穂麦の朱きより

 目眩めくるめなつ穂麦ほむぎあかきより


目眩めくるめく」は目がくらむ。めまいがする。

「穂麦」は穂の出た麦。麦の穂(夏)。


〔訳例〕目がくらむような夏の日々は麦の穂のあかい色から(はじまる)。


 題して「朱夏しゆかこころを詠む」。夏を「朱夏」と呼ぶことについてひとつの理屈を弄した。


 夏を「朱夏」と呼ぶのは古代中国の「五行説ごぎょうせつ」という思想によるらしい。その説では春に「青」、夏に「朱」、秋に「白」、冬に「玄」を当てるようだ。余談だが、五行説の五つ目の色は「黄」であるらしく、新年にその色を配したらどうかと私は思っている。


 日本人が麦の穂を何色と形容するかと考えると、一に「金」、二に「黄」、三あたりにかろうじて「赤」というような順位になるだろうかと想像する。とは言え、オランダ人のことを「紅毛人こうもうじん」と呼んだという民族だから、その色を「あかい」と表現するのは自然なことではなかろうかと考える。


 ときに表題の句には季語が2つ入っている。そのようなことを「季重きがさなり」といって通常はそうなることを嫌うとのことだ。その忌避感がいつの時代から一般化したのか知らないが、私は近代以降のことではないかと疑っている。私は原則としてそのことをそこまで気にする必要はないと考えている。近代以降はどうか知らないが、それ以前は一句のうちに季語が2つ以上入っているということはざらにあるように感じる。表題の句について弁明すると、「夏」という語が入っているために読み手は「朱夏」という語を(特に視覚的に)自然に想起し、その語のことを詠んでいるのだろうという解釈を読み手に促すことになるのではないだろうか。

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