行く水の流れや絶ゆる春の川

 みづながれやゆるはるかは


「流れ絶ゆる」の「」は反語。


 行く水の流れの絶えることがあるだろうか(ないだろう)。春の川よ。


 鴨長明の『方丈記』の有名な冒頭「ゆく川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず」の前半部分の翻案というべきもの。見てのとおりほとんどそのままであってパクリとのそしりは免れ得ず、著作権の切れていない作品であれば盗作のかどで刑事罰の対象になるたぐいのものだろう(もっとも私の作品の中で私のオリジナルの作品だと胸を張って言えるものはほとんどない)。いわばもとの作品にあった和歌的韻文的なものを流用して春の部立て(カテゴリー)の句に仕立て直したものといえるだろうと思う(くだんの一節は「もののふの八十宇治川の網代木にいさよふ波のゆくへ知らずも」等を容易に想起させるだろう)。


 表題の句の本文ほんもんとの違いを取り出すなら、


 ・春の季になっている

 ・反語になっている

 ・出だしの「ゆく」が「行く」になっており、「川」は後に回されている


といったところか。


 最初の項目に関して、川について書かれた文章に季を与える最も単純な方法として「春の川」「夏の川」「秋の川」「冬の川」の4つのうちのいずれかを詠むやり方があるといえるだろう(ここでは新年の季にするパターンは考えないでおく)。わたしが「春の川」にしたのは


 春風や堤長うして家遠し 蕪村

 春の海終日ひねもすのたりのたりかな 同


という句などの境地を、との願いがそうさせたと言えそうだ。


 二番目の項目に関して、私は反語が好きなようだ。その特に論じるまでもなさそうなことを敢えて一度問うてみるという行為によって、一見何でもないことが詩になってしまうような気がする。


 最後の項目に関して、本文ほんもんの「川」を「水」に替えることで「春の川」という季語を持ってきやすくした。意味ありげな問題提起をした後にその季語を持ってくることでその文章に一個の世界観を与えようとした。


 こうして書いていると表題の句がなにかすばらしいもののように思えてくるから不思議だ。

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