野辺送り③

 なんでこの話を書こうと思ったのかと言いますと、本当につい最近から、野辺送りの夢をみるようになったからなのです。

 もちろん子供の頃の私と違って、いまは夢や記憶についてよく知っています。

 ですから、夢に見始めても、まったく気にしていませんでした。


 なにしろ三回忌を最後に、以降は一度もお参りしていませんからね。

 おおかた記憶の片隅に「お参りに行ってない」という事実がへばりつき、罪悪感を無意識下で映像化しているのだろうと、そう思っていたのです。

 それで、たまたま母に会った折、祖母の葬儀の話をしたんです。

 母は眉をしかめて言いました。


「お婆ちゃんは火葬だから、それはお婆ちゃんの葬式じゃないよ」


 鮮明に思いだせる記憶ですから、さすがに少し怯みました。

 でも、記憶は改ざんされるものです。きっと私に都合のいいように記憶を捻じ曲げたのだろうと、思い直しました。私は昔からホラー映画が好きですし、特にB級とか言われるものや、ビデオ映画OVが好きですからね。きっと粒子の荒い映像も、その辺りの趣味と合わさったのだろうと推測できます。

 ――けれど、


「土葬だったのはお爺ちゃんで……生まれてたっけ?」


 その一言が、茫漠とした不安を呼びました。

 私は家系図の中で、気味の悪い思いをしているんです。これは父方の家系図の方なのですが、私と全く同じ名前の人が、二十三歳で亡くなっているのですね。聡明で美人薄命を地でいく人だったそうで、まるで私にそっくり――。


 ――なんて、話を聞いた当初は、そんな楽観視できませんでした。幼少期に喘息を患っていましたし、同級生の子が無くなってからというもの、長い間、自分が死んでしまう夢をよくみていたからです。

 祖母が家系図を辿って、性別が違うから大丈夫、と太鼓判を押してくれたときは、心の内で随分と感謝したのものです。


 ……なぜ心の内なのかというと、続きの言葉があったからなんですよ。

 「あなたはお爺ちゃんの生まれ変わりなんだから」と。

 祖父は私の生まれるちょうど二カ月前に亡くなっていて、父も、母も、そして父方の祖母までもが、「お前は爺さんそっくりだ」というんですね。

 

 もちろん私だって、ただの偶然だと分かっています。

 祖父はお酒が飲めなかったそうですが、私はお酒があれば世は事もなしと言い張ります。祖父は厳格な人だったらしいのですが、私はちゃらんぽらんです。

 ですが。

 あまりに家系にまつわる変な話が、多すぎます。


 不安を抱えたまま別れるのも癪なので、あの日の夜に一緒に火の玉を見たよね、と母に尋ねてみました。

 母は訝しげに眉を寄せ、かぶりを振りました。


「見たことはあるけど、一緒じゃなかったし、母さんが子供の頃の話だもん」


 私は思わず反論したくなりました。でも、記憶はねつ造されるものです。確実なのは記憶ではなく記録です。役所に提出されている書類もあるでしょうし、重ねて母に祖父母の享年を聞きました。


「位牌の裏を見てみれば?」


 回答はすごくシンプルなものでした。

 全国的には珍しいのですが、両親の生まれた土地では、遺族全員に位牌が配られるんですね。そして位牌の裏には、かならず享年が書かれています。

 

 確認してみると、祖父が亡くなったとき、私はまだ生まれてすらいませんでした。

 つまり私が繰り返し見る夢も、野辺送りの光景も、私が生まれる前の光景だったことになります。ですから私は、記憶の全てを書き出し、確認していきました。

 母は話を聞きつつ、時おり「そうそう、よく憶えてるね」と相槌を打ちました。その度に私はまだ生まれてないと訂正する必要がありました。


 また不思議なことに、「これは憶えてる?」と聞かれた話を、映像として思いだせるのです。

 もちろん、分かっています。過去の記憶は瞬間的にねつ造されるのです。

 実際に認知心理学の領域では、脳は記憶を再生しているのではなく、蓄積された情報に基づき映像などを構成し記憶として示しているだけだ、という見方もあります。


 つまり、私たちが映像を思いだそうとしたとき、その都度、新しく映像が作られて記憶として再生される、という考え方です。

 情報が増えれば増えるほど、脳が、そうあるべき映像を作ると考えられるのです。


 それに母の記憶も怪しいものです。

 四歳の私が祖母の車椅子を押して山野を駆け回るなど、できるはずがありません。たしかに体は大きい方でした。けれど体は弱く、臆病でした。そんな危ないことはしないはずです。ましてや、祖母の家は上り坂の途中に建っています。山道に出てしまえば、子供の力で支えることなどできやしません。


 その後、気になる情報が、もうひとつ増えました。

 祖母も祖父も、亡くなったのは初春だったようなんです。

 記憶に色濃く残る暑さは、ねつ造された肌感覚だったということになります

 私の姉も暑い日だったと言っていますが、姉弟そろって、同じ記憶をねつ造しているのかもしれません。


 姉は火の玉なんて見なかったと言っています。こちらについては一緒に見ていたわけではないので、保留してもいいでしょう。

 また、私が見た野辺送りの光景を、姉は答えることができませんでした。私と姉の年の差は三歳で、祖父は姉が二歳の頃に亡くなっています。さすがに二歳の頃の記憶がないというのは当然の気がします。


 言い換えれば、私が見る夢と野辺送りの記憶だけが、異質なんですね。

 母も年老いましたが、さすがに自分の母親の葬儀が火葬か土葬だったのかを間違えるはずはありません。この点については、葬儀に参加した父も同意しました。

 ここで問題になるのが、野辺送りの儀式です。

 火葬にしたのなら、野辺送りは、火葬場までの車列での移動となるはずです。


 荼毘に付した後は骨壺に収まりますので、それを山の墓地まで運ぶ際、改めて野辺送りをする意味がないんです。また庭で棺を担いで行われた左回り三転の儀も、火葬場を介したのちに墓地に赴くのなら、必要ないはずです。

 では、私の夢にまで出てくる野辺送りの儀は、いったい、どこで作られた記憶なのでしょうか。また、なぜ祖母にまつわる記憶は三人称の映像なのでしょうか。


 私は、母の実家で行われた野辺送りについて、調べる必要があるかもしれません。

 残念ながら祖母の葬儀で喪主を務めた叔父はすでに鬼籍に入っていますので、当時の事実を確認することができません。また、いま母方の実家で暮らし墓守を務めている叔父も、体調を崩しているそうです。

 さらには、村に残る世帯は、たった三つになってしまったそうなのです。


 そういった状況もあって、墓を村のお寺に移すという話もでています。

 いま私は、何度となく、同じ夢を見るんです。

 それは、睫毛がかかったようなノイズの入った、あの日の野辺送りの光景です。

 それらの映像の中では、松明も提灯も、火を灯しているんです。それは山中に埋葬に行く際には、ありえないことなのだそうです。

 

 調べるチャンスがあるとすれば、まだ母方の実家が形を留めていて、また墓も墓地も残っている、いまが最後になるかもしれません。

 人間の記憶はねつ造されるものです。ですが基となる事実は必ずあります。実家には写真などもあるかもしれません。見れば記憶も修正されるはずです。

 そして修正されれば、この繰り返される夢が終わるかもしれないのです。


 何度も、何度も見る、野辺送りの夢。

 私は、野辺送りの夢を、もう見たくないのです。

 いま私が願ってやまないのは、祖父の葬儀の写真が記憶と符合することです。それならば、何かの機会に写真を目にして、記憶をねつ造したことになります。

 逆説的に、もし私の記憶している野辺送りが、祖母の葬儀で行われたのなら――。


 そのときは、私以外の家族全員が、同じ記憶のねつ造をしたことになります。

 私は、今年の盆にでも、それを確かめなくてはいけません。

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