野辺送り②
長い長い夜が明けると、祖母は白木の平棺に納められました。
初めて見る親戚だという大人連中が棺を持ち上げ、「孫なんだから君も担ぎなさい」と言われました。
担げと言われましても、私の肩には棺の底は届きません。仕方なく、両手を上に伸ばして棺に触れました。しっとりと、湿っていました。
夏場の葬儀ですから、中に氷か、ドライアイスでも入れられていたのでしょう。強い日差しに当てられた棺の表面に水滴が浮き、ぽたり、ぽたり、と垂れ落ちました。大人たちは嫌な顔こそしていましたが、決してそれを口にはしませんでした。
都会で生まれて都会で育つと分かり難いかもしれませんが、山間で見る夏の日差しの記憶は、独特の風合いを持つんです。まるで古い映画のように、黒い縦線のノイズが走るんですね。
もちろん、今なら理由も分かります。太陽が近く、あまりの眩しさに目を細め、睫毛が視界に被るんですよ。子供の頃から映画が好きだった私の目には、まるでカラカラに乾いた八ミリフィルムのような視界となります。
そんな中、私は懸命に棺を持ちあげていました。他に担いでいるのは、父や、叔父や、甥っ子や姪っ子たちです。祖母のご遺体が収まる棺が、酷く重くなっていったのを憶えています。
あまりの暑さに顎から汗が滴り落ちて、焼けた白土に黒い染みを作っていました。
いつまでこうしているんでしょうか。そう思ったときでした。
耳穴から滑り込んでくるような声が聞こえてきたんです。ガマガエルが唸るような声です。皆が唱える念仏ですね。あまり聞きなれないリズムで、何と言っているのか、よく聞き取れません。
不思議だったのは、子供の私でも知っていたように坊主が念仏を唱えるのではなく、棺を担ぐ大人たちが発声していたことです。
ふいに、棺に変な力が加わりました。棺が動こうとしているんです。
もちろん、祖母の遺体が収まった棺がひとりでに動くわけがありません。動かそうとしているのは大人たちです。私は訳も分からぬまま目一杯に両手を伸ばして棺を支えるだけです。
棺を担いだ大人たちは足踏みを繰り返しながら、ゆっくりと動きだしました。右斜め前に向かって歩きます。
掲げられた棺は、家の前で反時計回りに回り始めていました。こだまする念仏の中を歩き、一回、二回、三回と回ります。
すると大人たちの足が止まり、棺の高さが少し下がりました。
棺を先導していた喪主の叔父さんが、白い木綿の袋に手を突っ込みました。引き抜かれた手には、子供の掌に収まるくらいの白い封筒が、たくさん握られています。
叔父は、それを、正面に向かってばらまきました。
そのとき、私は初めて気づいたんです。
私と同じか、それより少し下くらいの子供たちが、家の前に集まっていたんです。
子供たちは嬉々として地面に散らばった封筒を拾い集めて、ポケットにしまい込んでいました。子供たちはどこから来たのでしょうか。封筒の中身はなんでしょうか。
私は背筋を無遠慮に撫でまわされるような圧迫感しか、感じませんでした。
後に、子供たちは隣組の、つまり村の子供たちだと聞きました。村には十数軒の家がありました。田舎の農村ですから子供の数は多く、一世帯に四~五人はいます。つまり、集まったのが半分くらいだとしても、四十人近い子供がいたわけですね。
また子供たちが集めていた封筒には、小銭が入っていたそうです。長生きをして亡くなった祖母ですから、その長寿のご利益に
東京あたりで暮らしていると忘れてしまいがちですが、四十人の田舎の子供たちというのは、なかなか迫力があります。
私も一晩をかけて祖母の死を理解し始めていましたから、嬉々として封筒を拾い集める子供たちは、同じ子供とは思えませんでしたね。
そのせいなのか、その後、私の記憶は少しだけ飛んでしまいます。
人一人がやっと通れるくらいの細い道を、列になって歩いていきます。
先頭の一人が松明をかかげ、すぐ後ろに提灯が続きます。続いて紙吹雪を入れた籐の籠、何やら文字の書かれた白地の布が列を成します。あとには墓地においてくるという水桶や黒塗りの膳がつき、一番後ろが棺になります。
行列が進む山道はどんどん細くなり、丸太一本の橋を渡り、鬱蒼と繁る木々の影に飲み込まれていきます。すでに何度か見ていた山も、よく知る姿ではなくなります。
獣道としか思えない険しく細い道を、喪服に身を包んだ人々が各々松明や提灯を手にして、山の奥深くへと歩みを進めていくんです。
その葬儀は、私の知っている葬儀でもありませんでした。
当時、私は葬儀がどういうものか、曖昧ながらも知っていたんです。私が通っていた幼稚園はカトリック系だったのですが、同級生で一人亡くなった子がいたんです。
その子は顔には黄疸が見られ、病的にお腹が膨らんでいて、私は園内で見かける度に目で追っていました。会話を交わしたことはないですが、私も小児喘息などで苦しんでいたので、親近感を感じていました。
その子の葬儀は園に併設する教会で行われました。カトリックの教会はとにかく荘厳に作られ、そこが俗世ではないことを示すんですね。
教会は静謐に満たされ、重ねられた白い献花が大きな遺影を囲まれていました。左右に配されたマリア像も厳かで、遺影の奥から大きなキリスト磔刑像が私を見下ろしています。その光景は、畏敬にも似た感情を私に抱かせたものです。
けれど、祖母の葬儀では。
山道を抜けてたどり着いた小さな墓地では。
私は、ただただ、恐ろしさだけに囚われていました。
朽ちかけた墓碑銘も読めない石が山肌に沿って並び、夏の陽光も一切届かず、湿った泥と、黴と、饐えた臭いが漂っていました。
その理由はすぐに分かりました。
墓地の最奥、かろうじて一筋の光が差し込む場所に、穴が掘られていたんです。
祖母の住んでいた地域では、土葬が慣習となっていたんですね。
叔父が小さな声で言いました。
「他のお墓の前に立ったらダメだよ。落ちるかもしれないからね」
私は身を震わせました。足元の土がひどく脆く、ふかふかしていたんですね。足裏から伝わる心許ない感触が、本当に危ないのだと教えくれます。
今なら、叔父が私にくれた忠告の意味も分かります。
たまたま祖母は横棺でしたが、なにしろ土葬ですから、元々は桶棺か、あるいは立棺が使われていたわけですね。
桶棺と立棺、お分かりになりますか?
文字通り、大きな桶の中に膝を丸めた形でご遺体を収めるか、あるいは立った状態のまま、棺に納めて埋葬するんです。横棺よりも墓穴は深くなります。まして場所は山奥ですからね。獣が臭いを嗅ぎつけ掘り返さないとも限りません。
穴は、深く、深く掘られています。
つまり足元の土が柔らかかったのは、その下に埋葬されたご遺体が土に還って、盛り土が空間を埋めているからなんですね。言ってみれば、落とし穴のようにもなっているんです。お骨がありますから、流れ込んだ土を踏み固めませんしね。
私くらいの子供が一人でお参りにきていて、その穴に落ちてしまったとしたら。
そういう、忠告だったんですね。
私はそんな忠告だとは露ほども知らず、ただ茫然と棺桶が穴におさめられていくのを眺めていました。
ここまで運ばれてきた松明や旗、お膳などは墓地に置いていかれます。これより七日が過ぎるまで、誰も墓地にちかづいてはいけないのだそうです。
山を降りて、舗装のされた山道に出た頃、私は墓地の方を眺めてみました。
ただ木々が生い茂っているばかりで、墓石は影も形もみえませんでした。
その夜、私は山道に立って、山を見ていました。母と手をつないでいたはずです。
真っ黒にしか見えない山肌を見ながら、母がぼそりと言いました。
「ほら、見える?」
しゃがみ込んだ母は、私の肩越しに腕を伸ばしました。その指先を目で追っていくと、小さな明りが目につきました。注視しないと見逃してしまうほど小さな、赤い点です。ゆらゆらと山肌を彷徨っていました。
「あれがお婆ちゃんかもね」
冗談めかした声だと、今の私なら分かったでしょう。
けれど当時は、ただ怖くなりました。
帰り道に叔父たちが笑いながら話しているのを、聞いていたんです。
「ここまで一本道でしたけど、他に道があるんですか?」
「いや、ないんですよ。だからほら、家の前で回ったでしょう? あれでどっちに向かっているのか、分からなくさせるらしいんですよね」
山肌を彷徨う、そこにないはずの松明の光は、本当に祖母だったのではないかと、長いあいだ思っていました。
けれど、それは絶対にないと、つい最近知りました。
すでに亡くなっていたから、なんて理由じゃありません。
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