野辺送り①

 さて今日より三夜は、一続きの話となります。私の祖母の、葬儀の話です。

 母方の祖母が亡くなったのは、私が五歳になる少し前のことでした。

 当時としては中々の高齢でして、いわゆる大往生です。

 祖母は私が物心ついた頃にはすでに車椅子で生活していました。母の弁によれば、私は車椅子を押して走り回って、祖母を驚かせようとしていたらしいです。


 いくら子供とはいえ、そんな遊びをしていたら覚えていそうなものなのですが、残念ながら、祖母の乗る車椅子を押した記憶は、まるっきり残っていません。

 代わりに覚えているのは、安っぽいプラスチックの吸飲みです。薄黄色の飲み薬が入っていたと思います。吸飲みはまるで急須のような形をしていまして、私はお茶だとばかり思っていました。


 だからというわけでもないですが、祖母の口に吸飲みを運んだ記憶は、しっかり残っているのです。当時の私からすれば、透明の急須から直接お茶を飲んでいるわけですから、なんとも不思議な光景だったのでしょう。

 いま私が思いだせる祖母の姿は、車椅子に座って、家を取り囲む山々をぼんやりと眺め、その口に吸飲みの先を咥えさせる映像だけです。


 ただ、その記憶も怪しいもので、主観的な絵としてではなく、どこか三人称的というか、少年時代の私の顔も、一緒に思いだされてしまいます。

 つまりは、都合よく改変された、あるいは美化された記憶なのでしょう。

 つい最近になって知ったのですが、祖母は常に車椅子に座っていたわけではなく、手が不自由だったわけでもなかったらしいのですから。


 もちろん、孫の私に薬を飲ませてもらいたかったと考えることもできます。母によれば祖母は気性の激しい人だったそうですから、それも怪しいものですが。

 もっとも、母は母で、二人の兄と三人の姉を持ち、生れたときにはすでに年老いていた祖母に好意的な印象はもってなかったそうなので、気性の激しい人という評についても疑わしいものです。


 母の祖母への評価が正しいのかどうかは、いまとなっては分かりません。

 私にとっては、その程度の、朧げな過去の記憶にしか祖母はいないのです。顔も声も思いだせず、なにか機会を設けておかねば、二度と思いだせなくなるでしょう。

 ですが、そんな祖母の記憶の中でも、村で行われた葬儀だけは、一種異様な迫力をもって脳に焼き付いています。忘れたくても忘れられません。下手をすると、何度も何度も思い起こされてしまうような、どこか体の芯が冷えてしまう思い出なのです。

 

 祖母の死の報せはびとを通じて、週末の夜中に届いたと聞いています。

 告げ人というのは、村八分でいうところの、残りの二分に含まれる役割を言います。つまり葬式と火事の場合、当事者と村の住民全員に報せに行く役ですね。

 誤解のないよう言い添えておきますが、祖母の暮らしていた村で村八分があったわけではありません。ただ、隣組とでも言うべき村の伝統があったというだけです。


 父にとって義母の訃報は複雑だったことでしょう。当時の父は働き盛りで、昼夜を問わず忙しくしていましたからね。いくら悼む気持ちがあっても、週に一度しかない休日を車の運転と義母の葬儀に費やすのは、辛かっただろうと思います。

 そして、事情を知らない私にとっても、悲喜こもごもの突然の帰省となりました。

 

 なにしろ祖母の家は、遠かったのです。

 住んでいたS県から祖母の家まで、最高に上手くいっても車で三時間半はかかります。そこからさらに山道を進んで、いくつか山を越えなくてはいけません。全体としては五時間近いロングドライブです。子供にとって、身動きできない長距離移動ほど辛い時間はありませんよね。


 できることなら電車で行きたかったのでしょうが、途中までは電車で行けても、祖母の家近くまで伸びる路線はありません。駅から遠距離なのでタクシーも使えませんし、バスは数時間に一本しかなく、バス停から歩けば一時間はかかります。

 幼い私は、代わり映えしない車外の光景に、黙って耐えるしかありませんでした。

 けれど、退屈を食べ続ける価値もまたあったのです。

 

 祖母の死という事実を、いまひとつ理解できていなかったのもあります。ですが、それ以上に、山間の集落然とした村にある祖母の家は、何度行っても飽きない、異質な世界だったんですね。


 絵本の中でしか見たことのない藁ぶきの屋根に、軒先から吊るされた干し柿。くねくねと折れまがる細い道は青々とした田んぼと畑に挟まれ、その先に背の低い草むらが続き、徐々に森へと移り変わって、次第に山へと連なっていきます。

 家のすぐ脇には小さな崖がありまして、勇気をだして下れば沢筋になっていて、沢蟹の歩く小川の上を、鬼蜻オニヤンマが往復していました。

 

 そんな美しい世界に滞在できるんです。

 私は退屈に苦しみながらも、一方で、とても期待していました。少し年上の田舎の親戚に混じって遊べるのかなと、胸を躍らせてもいました。

 ですが高まる期待は、すぐに霧散しました。


 私は山道に並ぶ車列を見て、何かが違うと悟ったんです。

 これまで車が並んでいることなど、ありませんでした。庭に一台の軽トラックが止まっているか、それに加えて、先に来ていた叔母一家の車があるくらいでした。

 その日は、見慣れない車も含め、細い道に数台が列を成していたのです。

 特別な祖母の家で、また別の特別な何かが、始まっていました。


 いつもは明るく笑って歓迎してくれる叔父一家も、その日はまったく笑顔をみせませんでした。

 家に入ると、叔父二人が難しい顔をして、じっと座っていました。

 私一人だけが、なにが起きているのか、ちゃんと理解できないでいたのです。


 私は両親と共に、奥の部屋へと通されました。

 祖母が、真っ白い布団の上に横たえられていました。薄暗い部屋は冷え冷えとしていて、薄暗い蛍光灯の光が畳の目にすら影を作っています。青白くなった祖母の頬には霜が降り、幽かな光を返していました。


 祖母は、汚れひとつない白装束を着せられていました。頭には三角の布も巻いています。普段なら「うらめしや」なんていうコミカルな震え声を想像して、見ている私は笑い転げてしまったでしょう。

 その日は、とても笑えやしませんでした。


 別段、死体が損壊していたというわけではありません。祖母は穏やかな最後を迎えたらしく、お顔も綺麗なものでした。ただ、白装束も含めて、祖母を取り巻くすべてが、異様な迫力をもっていました。

 その内のひとつが、抜き身の、白鞘の、長脇差ですね。いわゆる長ドスです。

 祖母の胸元に置かれた長脇差が、粘りつくような光を返していたんです。


「婆ちゃんを悪いもんから守ってくれるんだよ」


 と、喪主を務める警察官の叔父が、優しい声で教えてくれました。

 しかし、私の目には、とてもそんな代物には思えませんでした。ゆるゆると波打つ刃紋。光を吸い込む真鍮色のハバキ。なぜか汗が頬を伝います。


 その後、二階に通された私は、翌朝までずっと、祖母と胸元に置かれた長ドスだけを思い返していました。思い浮かべる度に、唾を飲んでしまいます。動悸が強くなり、喉が渇いて、なかなか寝付けないでいました。

 想像して、興奮してしまうんですね。

 眠っていた祖母が突然に起きだし、長脇差の柄を引っ掴むのではないかと。


 いま考えると下らない想像だと思います。けれど、私の中の祖母は、すぐ下の部屋で長脇差を握りしめていたんです。

 いつ眠りに落ちたのかは憶えていません。

 思いだせるのは、震えるほどの寒さと、階下から聞こえてきた物音だけです。

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