第2話

 低い、おん、おん、というセウェークの鳴き声がして、レッセエは目をさました。

 チュームの天井の穴から差した光が、びっしりとししゅうのほどこされたうわぎを着た、母さんの腹が赤くそまっているのを照らし出している。

 ガルパラークが、レッセエをかばった母さんにナイフを突き立てているのだ。セウェークが、チュームの外で鳴いている。

 ガルパラーク、とレッセエが声を上げる。

 姉さん、待っていて、おのを持ってくる。

 レッセエはガルパラークをつきとばし、毛皮のふとんのそばにあった杖をつかみ、チュームから逃げ出た。

 ガルパラークは母さんを食べてしまった。

 レッセエはセウェークに飛び乗り、雪に覆われた森を走った。


 がらん、がらん、がらん、と音を立て、ガルパラークが追いかけてくる。

 おのと鍋を持って、セウェークの足あとをたどり、ガルパラークが走ってくるのだ。

 セウェーク、今夜の食事の分に、足を一本分けてちょうだい。

 ガルパラークは、おのを前に投げつけて、セウェークの後ろ右足を切ってしまった。

 それでもセウェークは走り続けた。

 ガルパラークは、セウェークの後ろ右足を食べて野宿した。


 次の日、がらん、がらん、がらん、と音を立て、ガルパラークはレッセエに追いついた。

 セウェーク、今夜の食事の分に、足を一本分けてちょうだい。

 ガルパラークは、おのを前に投げつけて、セウェークの後ろ左足を切ってしまった。

 それでもセウェークは走り続けた。

 ガルパラークは、セウェークの後ろ左足を食べて野宿した。


 次の次の日、がらん、がらん、がらん、と音を立て、ガルパラークはレッセエに追いついた。

 セウェーク、今夜の食事の分に、足を一本分けてちょうだい。

 ガルパラークは、おのを前に投げつけて、セウェークの前右足を切ってしまった。

 それでもセウェークは走り続けた。

 ガルパラークは、セウェークの前右足を食べて野宿した。


 一本足のレッセエと、一本足のセウェークは、大きな川にたどりついた。岸辺にはだれかがおいていったシラカバ皮の舟があり、レッセエとセウェークはそれに乗った。

 ガルパラークは足あとを見失い、おので川原をたたきにたたいた。おのはとうとうこわれてしまった。おのの破片がガルパラークの目に突きささり、ガルパラークは死んでしまった。



 舟はどんどん流れていった。

 舟よ、舟よ、おまえはどこへ行くんだい。

 地の穴ソルキットから薄明はくめいのドルボール陸地へ。

 舟はどんどん流れていき、ソルキットを通って、昼とも夜ともつかぬドルボール陸地に着いた。川は沼地にそそぎ、そこが終わりだった。

 なまあたたかい風がふき、雪のない、地衣類とハイマツだけが地を這うツンドラが続いている。空はうすあかるく、紺と灰色の雲がおおっている。レッセエとセウェークは陸地におり、あてもなくさまよった。

 にがい涙があふれてくる。ここでは涙はこおらない。


 セウェークよ、セウェークよ。

 おまえだけがわたしの道連れ。

 父さんは死んでしまった。

 母さんは死んでしまった。

 ガルパラークは人食いになってしまった。

 おまえは一本足になってしまった。

 えものをとっても、食わせるひとがいない。

 おまえに乗ったせいなのか。

 おまえとことばを交わしたせいなのか。


 矢が一本、地面に置かれていた。

 父さんの矢だ。

 レッセエの氏族が矢を地面に置くとき、その先端が指し示す方向が、置いた人間の行き去った方向を意味した。

 セウェークは、父さんと同じ方向に行ってはいけないと、レッセエに教えた。

 逆に行ったほうがいい。

 そうして、レッセエとセウェークは矢じりの方角に向かった。

 前方の地平線から、白い大きな鳥が何十羽も、強風にあおられたかざはなのように、一斉にやってくる。


 風がふいて、矢をもう一度くるりと回し、もとに戻した。

 レッセエは行ってしまった。

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行ってしまった少女の話 鹿紙 路 @michishikagami

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