第3話 Embryonic Day 100



八、


「何を言っている!! 俺は正真正銘『ジョン・ルイス』だ!!」


 外していた右手をもう一度銃に添え、ステップトーに大声で反論する。


「……2040年、われわれの組織の前身にあたる研究機関が南米の山奥で『君』を発見したとき、過激派環境団体の激しい拷問にあった君は、もう頭の上からしか生きていない状態だったと聞いている」

「それじゃぁ、俺がサイボーグだっていうのか!! この通り、生身だぞ!!」

 ジョンは指の皮膚を噛み切り、ステップトーに流れ出した血を見せる。



「そうじゃない――もっと『別のもの』だ」



 ステップトーが表情を変えずにそういうと、ジョンが「別のもの、だと……」と呻く。


「2040年に『君』を発見したわれわれの組織の設立者であるエドワード博士は、君の個体としての生存を諦め、核……つまりゲノムの情報だけを保存することにした。最初はただの思いつきだったのかもしれないがね」



「しかし、この“思いつき”が2108年の世界にとって最も重要なことになっている」

「この80年で世界に何があったんだ!! 答えろ!!」

 ジョンはステップトーの眉間に銃を押し当てる。



「――ヒトの種としての多様性の喪失。まさに2020年代に環境保護団体が訴えていた通りの未来が来てしまったのさ。


 人為的なPAM配列の導入による自由自在なゲノム編集技術により、まず初めにこれまで遺伝病と呼ばれてきた遺伝子変異により起こるタンパク質の機能不全を原因とした疾患がこの世から消え去った。最後の遺伝病撲滅を国連が発表したとき、世界中が歓喜に沸いたそうだよ。


 次は、君たちゲノムハンターが各地で集めてきた『長寿』や『腕力が強い』などの一つ一つの遺伝子ではなく、複数の遺伝子群によって規定されるような形質――現代ではこれを、『マクロフェノタイプ』と呼んでいるんだが、これらをヒト受精卵に改変ゲノム編集技術を使って組み込むということが流行った」


 ここまで話すと、ステップトーは「この研究施設がなぜハワイ州にあるか、わかるかい」とジョンに尋ねる。ジョンが「いいや」と顔をしかめると、それに続けて「ハワイが歴史的に受精卵操作の研究が盛んだったからさ。まぁ余談だったね」と答える。



「そして最後、ここ20年の間で、さっきのような生存に有利なマクロフェノタイプだけでは飽き足らず、『容姿の良さ』や『足の長さ』、『鼻の高さ』、『声の良さ』といった直接生存には関わらないマクロフェノタイプの操作が一般化してしまった」


「それで同じ顔の人間が何人も……」

 中庭で見たステップトーやマリア、それにあの二人組の男の謎が解けて、ジョンの表情はさらに険しくなる。

「ちょっと待ってくれ、これまでの話だけでは、俺がなぜここにいるのかの説明にはなっていない!」

 ステップトーの額に押し付けた銃口を、さらに強く押し付ける。



「……ジョン、君は世界が多様性を失ったとき、何が起こるかを想像したことがあるかね?」


 ジョンは黙ってステップトーを睨みつけている。半分開けている窓から風が吹き込むと、銃のすぐ上の金髪がゆらりと揺れる。


「われわれ人類は2108年を迎え、少なくとも君が知っている2020年に『理想的』とされたすべてのマクロフェノタイプを手に入れた。遺伝病の心配もなく、容姿も端麗、長寿で、生活習慣病にもかかりにくい」


「しかしその結果、『どうせ何をやっても隣のやつと同じになる』という意識が蔓延してしまった。この精神的な無気力症ともいえる状態に陥ると、人々は積極的に働くことをやめ、重度な患者では植物のように動かず、そのまま死を迎えるようになっていった。


 この無気力症はだいぶ深刻な状況でね。君は信じられないかもしれないが、今や世界の人口は10億人を下回っている」




九、


「……続けても?」

 明らかに動揺しているジョンに、ステップトーが穏やかな口調で声をかけると、ジョンは「あ、ああ」と声を絞り出す。


「2090年初頭、事態を重くみた国連は、この『人類の動くということの放棄』についての対策として、何もゲノム編集を受けていない人類、『グレート・コモンズ』の復活プロジェクトを立ち上げた。


 ――そして、そのプロジェクトで生まれたのが『君』だ」



「そんな莫迦な!! 俺はちゃんとあの南米の寒村での記憶を持っている!」

 慌ててジョンが叫ぶ。

「では聞こうか。その前は? そして環境保護団体に拉致された後の記憶は?」


(何故だ!? どうして何も思い出せない・・・・・・!!)


 ジョンが必死で思い出そうとすればするほど、記憶が曖昧になっていく。


「君は最初の頃に『食事の味がしなかったが、徐々に戻ってきた』と言っていたね?


 あれは味覚が一時的におかしくなって、それが回復してきたわけではない。君はあの時、生まれて初めて固形物を食べたんだ。それで、味がしないと感じただけだってことさ」


 しばらくの間、沈黙が続く。


「……君のその記憶はエドワード博士が聞き取った本物の『ジョン・ルイス』のエピソードを、われわれが光遺伝学の技術を使って君の脳に書き込んだものだ」


「そんなSFみたいな技術があるわけない!!」


 ジョンが喚くと、ステップトーは冷静に返す。


「この技術自体は、2014から2015年に、日本とMITで報告された技術を元にした古いものだよ。もちろん、倫理的に実用化はかなり厳しく制限されてはいるけどね」


 そこまで聞いた瞬間、ジョンは自分に最後のゲノムハント以外の、ジョン・ルイスの家族や友人などそれらの記憶がないことを改めて認識する。そのまま声を上げずに大粒涙を零し、持っていた拳銃を自分のこめかみに突きつける。


「!? ま、待ちたまえ。何も死ぬことはないだろ? な?」


 ステップトーの説得はジョンには届かない。

 ジョンは空虚な自分を嘆き、目を瞑りながら引き金を引く。パンッという大きな音と、それに続けて重たいものが床に転がった音がする。飛び散った血が、白一色であった病室で際立って見える。




十、


 霊安室で二人の医師が話をしている。その顔は双子のようにまったく同じである。


「また、こうなりましたね」

「ああ。しかし、変化も見られた。彼の貴重な行動パターンは無駄にはならないさ」

 死体を入れる棺桶のようなボックスの扉には18と書かれている。


「次の検体は?」


「今はまだEmbryonic day 100です。だいぶ時間かかりますね」


「気長に待つさ。われわれは『彼』の遺伝情報にかけるしかないないのだからな」

「さぁ、もう一度だ」




「やぁ、気がついたかな? 具合はどうだい?」




(了)

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