第2話 コールドスリープ


六、


 ゆっくりとした口調でステップトーが話し始める。ジョンは銃を彼に向けたまま、それを聞いている。


「君たちのようなゲノムハンターの活動が盛んになった2020年代後半、人類に画期的な二つの技術がもたらされる」


 ジョンは頷くこともせず、じっとステップトーを睨んでいる。


「一つは、『PAM配列非依存的なCRISPR-Cas9によるゲノム編集技術』。君も理学博士であれば、ゲノム編集ぐらいは知っているだろ?」


 ジョンは返事をしない。


「CRISPR-Cas9と呼ばれるRNAとタンパク質を使ったゲノム編集、つまり遺伝情報の人為的な書き換え技術は2000年代から爆発的な勢いで研究され、多くの改良がなされていったのは君も知っての通りだ。しかし、2028年にサンディエゴの研究チームがPAM配列に依存しないCRISPR-Cas9システムを発表したことで、状況が一変する」


 ステップトーは両手をあげたまま、目を一度伏せてから、ゆっくりと話す。


「端的にいうと、それ以前のCRISPR-Cas9はPAM(Proto-spacer Adjacent Motif)配列と呼ばれる、ゲノム上の“ある特徴的な短い配列”の近辺のみでしか遺伝情報の書き換えができなかったのを、彼らは任意の場所にPAM配列を一旦組み込んで、そこから目的の場所の遺伝情報の書き換えを行い、最後に組み込んだPAM配列を切り取るという方法で、理論的には自由自在に遺伝情報を書き換えることができるようになった、というわけだ」


 やはり頷きもしないジョンにかまうことなく、ステップトーは続きを話し始める。


「そして、もう一つが『人工子宮の実用化』。胚盤胞期以降の着床と、着床後発生を制御する因子の解明が進み、胎盤形成や原腸陥入などこれまではin vitroでは再現できていなかった発生現象を体外で行うことが可能になった。

 ちなみに現在では、約2割の人類が“体外で”生まれている。これは世代間で遺伝とは違うエピジェネティクな影響、例えば親が曝露された化学物質の影響が遺伝情報とは別に、血液や母乳などの母親の体液成分を介して、子や孫に伝わるといったトランスジェネラルエピゲノムの影響を全く考慮せずに次世代の子供が誕生させられる、という点でも大きい」


 いつの間にかジョンは銃を持つ手の力を抜き、聞く態勢になっている。


「PAM配列非依存的CRISPR-Cas9で自在に遺伝情報を操作し、人工子宮によってその次世代を誕生させる。この二つの技術を組み合わせることで、『あらゆる遺伝病に耐性を持った人類』の誕生が可能となった」



「君たちゲノムハンターのおかげでもあるね」


 そこまで話すとステップトーは両手を下し、目を完全に閉じ、黙りこむ。しばらくの間、沈黙が続く。


「――人類が、君たちゲノムハンターが収集した有用遺伝変異を、積極的に自分たちに組み込もうとした時に、何が起きたか? わかるかな?」


 ジョンは無言で首を横に振る。


「まず初めに起きたのは、人類の多様性喪失に危機感を覚えた人権団体や、環境保護団体の過激派たちによる各地の研究所、研究者個人、そしてゲノムハンターの襲撃事件だ。君が襲われた事件もその一つとして記録されている」



「それに、フェニックス・ジーンバンク社はもう無い」


「なんだって!? そんな莫迦な!!」

 突然会社がなくなったことを告げられ、ジョンは驚いて声を上げる。


「いや、本当だよ。でもね、問題はそんなことじゃなかったんだよ」




七、


 時折夏の風が吹き込む病室で、若い医師と拳銃を向けたままの男が対峙している。


「過激派環境保護団体の活動がいくら活発になったとはいえ、『あらゆる遺伝病に耐性を持った身体』というキーワードは、世界中の富裕層の心を動かし、結果として反対する環境保護団体への弾圧が行われ、ほどなくして彼らは全滅する。僕らはそこで『君を保護』したんだ」


 ジョンは拳銃から片手を外し、左胸のあたりの上着をぎゅうっと握る。


「そして、2108年の今、われわれ人類は別の問題に直面している――」


 ステップトーがそうつぶやくのを聞いて、ジョンが慌てて割り込んでくる。


「ちょ、ちょっと待ってくれ!! 2108年だと!?」


「ああ、言ってなかったね。今日は2108年7月25日だよ」

「そんな……あれから、あれから80年が過ぎてるだと!? コールドスリープ(人体凍結保存)の技術も開発されたっていうのかよ?」

 ジョンは信じられないといった素振りで激しく片手で頭を掻く。


「いや、残念ながら君のいう『個体ごとのコールドスリープ技術』はまだ実用化されていない。臓器ごとの液体窒素下での半永久的保存であれば、脳を除いて実用化しているけどね」

 まだショックを受けているようなジョンに向けて、ステップトーがやや抑えた調子で話す。


「これは、脳には脳血液関門というバリアがあるために、凍結保護物質(CPA)のうちタンパク質成分を十分に脳へと充填させることができていないことに起因している。頭蓋を開けて直接CPAを入れるという研究を行っているグループもいるけど、まだうまくはいっていないね」


 そこまで聞いていたジョンが激高してステップトーに食らいつく。


「じゃぁ、俺はどうやって80年後の世界に生きているっていうんだ!? それが本当ならおれはもう110歳を超えているはずだぞ!!」


 その問を聞いたステップトーはもう一度目を閉じ、ふーっとさっきよりも長く息を吐く。




『君は、ジョン・ルイス”そのもの”ではないんだよ』




(続く)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る