ゲノムハンティング

トクロンティヌス

第1話 ゲノムハンティング


一、

 2028年、南米。ペルーとボリビアの国境付近の寒村。


「よっと。これで爺さんの分も終わり。これが謝礼ね」

 バラックのような建物の中で、ジョン・ルイスが皺だらけの顔をした老人に現地の金を手渡す。

「こんなに? ただ唾液を取っただけなのに」

 老人がガーゼで口の周りを拭きながら言うと、ジョンはにっこりと微笑んで返す。

「この村の人間は喰ったものの代謝とか吸収に関する遺伝子群に変異……つまり、俺たちのような普通の人間とは違う遺伝子群を持っているせいで、太りにくいんだってさ」

 ジョンは唾液からDNAを抽出して保存する専用キットの添付書類通りに、採取した唾液を保存液と混ぜていく。


「俺がこの唾液に含まれているDNAを持って帰れば、あとは学者の先生たちがアンタたちの遺伝子の変異している部分を調べて、もっと太りにくい身体になるような研究をするってこと。それで、俺のような『ゲノムハンター』に依頼があったってわけだ」

 ジョンは「つまり、その金はその依頼者からの金なんだし、好きに使っていいんだよ」と続ける。


「よし、頼まれていた最低限の数は確保したし、採取完了だな。じゃぁ爺さん、村人集め手伝ってくれてありがとな。俺、もう行くわ」


 ジョンが握手を求めると「最近はこの辺も物騒だし、気をつけてな」と、老人も右手を差し出す。



 村の入り口を示す木材を適当に組んだだけの粗末な門のところまで来ると、最後の思い出にと村のはるか奥の方に見える二千メートル級の岩山をバックにスマートフォンで自分の姿を撮影する。もうすっかり春だというのに、岩山には雪が残っていて、今日のように晴れ渡った日には美しい姿をみせる。


 撮った写真を確認しようとした瞬間、ジョンは背後で大きな音を聞き、すぐに襲ってきた後頭部の激しい痛みともに意識を失ってしまったのだった。




二、


「やぁ、気がついたかな? 具合はどうだい?」


 男性の声がしてジョンがゆっくりと目を開けようとすると、あまりに眩しくてすぐに瞼を閉じる。

「ああ、まだ慣れてないようだね。少しずつでいい」

 そう言われて、周囲の明るさに合わせるように目を慣らしていく。

「どこか身体の痛みはあるかな?」

「いえ、特には。あの、俺は……」

 そう言うと「ああ、そうだね」と医師らしき男がバインダーに挟まれた書類をよこす。そこには簡単な自分の情報と顔写真が貼られている。

「ジョン・ルイスさん……で間違いないかな?」

「ええ」とジョンが答えると、若い目鼻立ちの整った男の医師がにっこりと笑みを浮かべる。

「君がどうしてここにいるのか、は?」

「確か、『ゲノムハンティング』の帰りに襲われて……すいません、それ以上は」

 若い医師は手元にメモしながら、頷く。

「職業はゲノムハンターということかな?」

「ええ。アリゾナのフェニックス・ジーンバンク所属のゲノムハンターです」

 医師は先ほどと同じように頷きながら、手元でメモを取っている。

「私の名前はステップトー。君の担当医師だ。もう少し話を聞かせてもらってもいいかな?」

 ジョンが「ええ」と頷くと、ステップトーはもう一度にっこりと微笑んで続ける。



「ゲノムハンティングとはどんな仕事か、簡単に説明してくれるかな」


「遺伝情報データベース上にある様々な地域のヒト遺伝情報を独自のアルゴリズムで解析して、遺伝子の有用変異、例えば太りにくいとか、平均寿命が長いなどの表現形が小さな集団の中に保持されているかもしれないという情報を拾い集め、その情報を元に、俺のような実働部隊が実際に現地に向かってゲノムサンプルを収集して、世界中の製薬企業に情報とサンプルをセットで売る、という仕事です」


「では、今回は……この病院に運ばれてくる直前にはどのような仕事を?」


 ステップトーが続けて尋ねる。


「ああ。南米のラ・リンコナダという地域に代謝関連遺伝子群の有用変異を持った小規模な集落があるという情報を突き止めたので、実際のサンプルを収集に……」

 頷きながらステップトーがメモを取っている。ジョンは頭に違和感を覚え、小さく呻く。

「OK、今日はここまでにしておこう。君は随分と眠っていたわけだし、無理はよくない。それではまた明日」

 ステップトーは軽くジョンの肩を叩くと、病室をあとにする。入れ替わりに入って来たやはり綺麗な顔立ちの看護師が、食事をサイドテーブルに置く。

 病室は壁、天井、カーテンなど白一色で、テレビやラジオといったものはない。少し離れたところにある窓から見える外の景色も見慣れた感じではない。


「あの、看護師さん……で、よかったですよね?」


 若い看護師が「ええ。マリア、あなたの担当看護師の一人です」と微笑む。


「テレビか何か……いえ、新聞か雑誌なんかはないんですか?」


 ジョンがそういうとマリアは少し困った顔をして答える。


「申し訳ありません。ステップトー先生に止められていますので……もう少し状態が落ち着いてから、という話でしたが」

 その答えを聞いたジョンが「そうですか。ありがとう」と返すと、マリアも病室をあとにする。食事に手をつけるとあまりの味のなさに、すぐにスプーンを置き、身体をベットに投げる。





三、


「だいぶ落ち着いてきたようだね。食事も残さなくなった」


 ジョンも初日のぎこちなさがなくなり、ステップトーの回診にも軽く応じている。

「ええ。最初の頃は味がわからなかったんですが、だいぶ味覚も戻ってきました」

「それで、先生。俺はいつになれば退院できますかね? 会社にも随分連絡してないですし」

 ジョンがそういうとステップトー医師は少し考えるそぶりを見せる。

「うーん……ちょっとまだ退院は難しいかな。しかし、確かに閉じこもっているだけなのもよくない。明日から病院の庭で少し歩き回るのは許可しよう。それと、会社にはこちらから連絡してあるから安心していいよ」

 ジョンが「そうですか。ありがとうございます」と礼をいうと、整った顔の若い医師はいつも通りにっこりと微笑む。



 翌日。

 マリアに付き添ってもらって病院の中庭に出る。手入れの行き届いた芝生のところどころに緑の葉を茂らせた二メートルくらいの植木が生えていて、その周りに設置してあるベンチで患者らしい人々が談笑していて、感じのいい病院であるように思える。


「マリア。そういえば、ここはどこの何という病院なんだい?」

 何気なくジョンが尋ねる。

「ここはハワイ州立高度先端医療センターよ」

「ハワイ! まったくそんな感じはしなかったなぁ」

 ジョンはそう言うと少し目立ってきた無精髭をさすりながら、改めて周りと見回す。知識として知っているハワイ州の南国らしい雰囲気はやはり感じない。


「しかし、高度先端医療ってことは、僕の具合はそれほど悪かったのかい?」

 ジョンの言葉に、ハッとしたマリアがばつが悪そうに答える。

「ごめんなさい。ドクターから病状についてはあなたに話すことは止められていて……」

 マリアの様子をみて、ジョンは「ああ、構わないよ」と声をかける。


 もう一度中庭のベンチに目をやると双子だろうか、よく似た顔をした患者が談笑しているのが見える。しばらくして、マリアに病室に帰るように促されるまで、ジョンはぼんやりとそれを眺めていた。




四、


「来週の火曜日にある一通りの全身検査が終われば、無事退院もできるだろう」


 それを聞いてジョンの顔がぱっと明るくなる。その様子を見ていたステップトーも口角を上げる。

「ジョン、来週まではおとなしくするんだよ? 折角ここまで回復したわけだし」

「ええ、もちろんですよ」

 ジョンはあまりの嬉しさにステップトーの忠告をどこか上の空で聞き流している。

「ああ、そうだ。今日はマリアが非番でいないから、午前中の散歩は控えてくれ。いいね?」

「え? ええ。わかりました」

 ジョンはステップトーの最後の言葉に、何となく違和感を覚える。


(マリアがいなくても、今の感じなら中庭歩くくらいなら大丈夫だろ)


 それほど気にすることじゃないものの、疑問に思ったらすぐに身体が動くタイプのジョンは、すぐに(試してみるか)と一人で中庭に出ようと思い立つのだった。




 病室を出てすぐのナースステーションに誰も居ないタイミングを見計らって、トイレの脇にある非常階段の扉を開け、階段伝いに一階に下りる。一階でも人目につかないように注意を払いながら移動し、いつもの中庭に抜ける。


 ジョンはすぐに意外な人物を発見する。


「あれは……マリア!?」


 ジョンは(非番じゃなかったのか)と疑問に思いながら、いつものようにマリアに声をかける。


「やぁ、マリア!」

 突然声をかけられたマリアは、一瞬きょとんとして、すぐに怪訝な表情になる。


「あの……どなたですか?」

「え!? 君は僕の担当の看護師だろ?」

 ジョンがそういうと、目の前の女性が首を振る。

「いえ……私は看護師ではありません。この病院には、入院している叔父のお見舞いに」

 女性はそう言うと、どこかの社員証のようなIDカードをジョンに見せる。

 そこには確かに一般企業のような名前が書いてあって、目の前の、マリアによく似た女性の顔写真が貼ってある。

「……すいません、ヒト違いだったようです」

 ジョンは女性に謝ると、よほど居心地が悪かったのか、声をかけた女性はジョンの前から走り去ってしまう。よくある他人の空似かと頭を掻き、歩き出そうとすると、ジョンの目にいつものベンチで談笑する双子が飛び込んでくる。



(……ちょっと待てよ? なんかおかしくないか)


 ふと言い表せないような違和感を覚える。それを確かめるために、ジョンは双子らしき二人組に近づく。


「なぁ、君たち。双子――なんだよな?」


「双子? なんだいアンタ。僕らはただの友人で兄弟でもないが」

「だって同じ顔をしているじゃないか!」

「何言ってるんだ、アンタ。『顔なんて自由にデザインできる』だろ?」


 二人組が言った言葉に驚いて反応する。


「顔を自由にデザインするだと!?」


 今度は逆に、ジョンの言葉に二人組の方がびっくりとしている。

 「そう言えばアンタ見たことないモデルの顔してるな・・・」と一人が言うと、それをもう一人の同じ顔をした男が手で制して、「お、おい、もう行こうぜ」と席を立つ。残ったもう一人の男もばつが悪そうに、そそくさとジョンの前から立ち去る。



「ステップトー先生!!」

 同じように中庭でいつも見慣れている顔を見つけて声をかけても、返事は同じで、「あの、人違いでは……」というものだった。


「何だ、この病院……」

 同じ敷地内に三組もの非常によく似た顔の他人がいる。

 ジョンはあまりの異様な光景にしばらく放心した後で、ジョンは自分の病室のある棟とは中庭を挟んで逆側にある警備員の詰め所に向かう。一度、マリアに連れられて散歩をしているときに、その場所がそうであることを教えてもらっていた。


 五分ほどで詰め所につくと、ちょうどタイミングよく警備員が一人で椅子に座っていて、その他の警備員は見回りに出ているようだった。

「ちょっと、何だね?ここは入院患者の来るところでは……」

 声をかけてきた年配の太った警備員を手際よく羽交い絞めにすると、首を極め、失神させる。ケースによっては荒事にもなるゲノムハンティングをしてきたジョンにとっては、この程度は容易い。


(全部、話してもらうぞ)


 そう心の中でつぶやくと、ジョンは警備員の腰の付近から銃を取り出し、それを自分のズボンにしまう。




五、


「やぁ、ジョン。気分はどうかな?」


 ステップトーがいつもの調子で病室に入ってくる。ジョンは努めて声の調子を変えないようにして、尋ねる。

「ステップトー先生。少し聞きたいことがあるんですが、よろしいですか?」

「おや、何だい。もちろんいいよ」


「……この病院にいる『同じ顔をした連中』は何ですか?」


「やれやれ、マリアが同伴しないのに中庭を歩いたのか……困ったことを。しかし、興味深い反応とも言えるな」


 そう言ってステップトーは手元のカルテにメモを取ろうとする。


「いいかげんにしろ!! ここは一体、どこで、何をしている機関なんだ!!」

 ジョンはベッドの下に隠していた銃を取り出して、ステップトーに向ける。


「お、落ち着いてくれ、ジョン。知らない方が君のためでもある」

 ステップトーは両手をあげ、ジョンに落ちつくように諭そうとする。

「うるさい!!」

 ジョンは首を横に振り、銃をさらにステップトーに近づける。



 

「――わかった。すべてを話そう」




(続く)

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