ケブツ運送

蒼守 あると

第1話

 5月27日。雨の日だった。


 私は先月、運送屋を営んでいた実家を手伝う為、態々バイクで9時間かけて里へ行った。


 母親は既に他界しているし、父も定年を機に店を閉めたそうだけど、里で唯一の得意様が"どうしても"と粘る物が最後の依頼で出され、手に余った父が上京した私に「小遣いは出す!」とすがりついてきた。


 まあ、相手も結構な額を置いていくし、ガソリン代だけ抜き取れば小遣いと言う子供染みた安い餌で動く必要もないだろうと快く請け負ったのが事の始まり。


 久々の里帰りは、実家に近付くに連れて人は減り、村は生気の「せ」の字も見えない程に衰弱していた。


 父も電話越しでは元気そうにしていたが、どうやらカラ元気だったようだ。


 私が家を出る頃はあんなに丸々でおおらかだった父が、タンポポの茎のように痩せ細り、屍のようになっている。

 母は相変わらず元気で父の肩を叩いては台所へと消えて行く。


🌑「ただいま…。」


 里帰りがこんなにも悲しいものだとは知らなかった。


 湯飲みに触れた父が数秒後には咳き込み、焦る母を尻目に私は父の背中を擦った。

 すると、父が震え出したかと思うと、手を後ろに回して私の擦る手を掴む。


🌕「おい、今日は泊まってけよ。明日荷物の準備させっから…。」


 篭った声と僅かに何かを啜る音が聞こえて、初めて父が泣いていることに気付いた。


嗚呼「ずっと一人だったんだな。」


 確信とも言える推理が此処へ来るまでの道のりで分かった。


🌑「うん、泊まるよ父さん。」


 そう言って、昔自分の部屋だった襖を開ける。只一言に言うと、何も変わっていなかった。


 折り畳んだ布団、畳を傷みつける勉強机、私が未来の自分へと手紙を書いて隠したタンス。何もかもあの時のままだ。


 私はその光景が信じられなかった。



 まるで時が止まっていたように、あまりにも綺麗だったから。



 その夜、家に入った時から堪えていた涙がポツポツと畳を濡らした。


 翌日、台所で母と楽しげに喋る丸々とした父の姿を見てゾッとした。


 私は急いで父の部屋に行き、力任せに襖を開ける。


 異臭が立ち込める部屋の中で一人、父は安らかな顔で一通の封筒を抱いていた。

 私と話終えてから書いたのだろう。私へ寂しさと後悔、そして感謝の気持ちがありのままに書かれていた。


🌕「おーい、朝飯くっちまうぞー!」


 陽気に笑う父が懐かしいの一言でしか表せない。


🌑「…はーい!今行くー!」


 読んでいた遺書を急いで懐にしまい、私はコンクリート敷きの台所に降り立った。そして、私が座りご飯に手を付け始めると、母がいつもの癖で両手を擦りながら前の席に座って微笑みを向ける。


🌕「どう?美味しい?」


こんな懐かしい光景が取り返せないものだとは…。


 脳内で味を思い出してその食べ物を口にする度に想像する。  


🌑「うん、美味しいよ…。」


と、なれば勿論食べた物に味はない。でも作ることは出来る筈だ。そう自分で自分に言い聞かせて重さの無い食器をシンクに水をはって浸けた。


🌕「そんで、此処がこれから届ける場所だ!」


 仕事用の制服に着替えて部屋に入ってきた父がイキイキと現役の頃のように薄汚れたタオルを巻き、人差し指で地図で示された届け地を指差す。

 父は色んな意味で天才なのか、事務所の机一杯に広げた都道府県地図に赤ペンで円が囲まれた県"福島県"とだけ書かれていた。


🌑「福島県、遠いね。それで住所は?」


父が理解出来ないときの癖で、キョトンとした後に首を傾ける。


🌕「まあ、取りあえず行けば分かるだろ!」


と背中を叩かれる。私は大雑把で住所は感覚で分かると言う天才だった父に物言うことも面倒臭く、過去の自分と父に貰った手紙、マップを確認して鞄に詰め込む。廊下を通って玄関に向かった所で父に呼び止められる。


 見送ると優しい顔で言われ、本当なら断る事でも後悔をする事はなるべく避けたい。


 私は居間へ行き、父が現代時代使っていた制服に袖を通した後、玄関で待っていた両親の間を態々通り自分の靴を我先にと履く。


 先に玄関を開けた私を止めたのが母だった。


🌕「アンタそれ。」


🌕「俺のじゃねぇか!」


 二人して微笑み合うのは、今の私には辛い罰にしかならない。


🌑「似合わない?」


そう苦笑いを浮かべる息子をよそに


🌕「おおう!似合わねぇ!」


🌕「似合わないわー」


 息ピッタリの両親は気を使う様子もない。


 嗚呼、もう少し早くに帰って来るべきだった。アンタ達から私を触れても、私は貴方達に触れることが出来ない。


 こうなるなら昨日父に無理矢理にでも抱き締めてもらうんだった。


 後悔だけが込み上げてくるこの状況から逃げ出したくて、私は出発を急いだ。



 そこで今度は父が私を止めた。



🌕「これを持っていけ!」


 そう言って父は私を振り向かせ、無理矢理頭に巻いていたタオルを左手に強く握らせる。


 それ程真剣に私の目を見るのは、私が上京する時以来だった。

 あの時は照れ隠しで何も言わずに出て行ってしまったが、今度こそ言いたい。


🌑「父さん、母さん。今までありがとう、行ってきます。そして」


 "さようなら"と口にする頃にはもう涙が溢れてくる勢いで声が出なくなっていた。


 こんな時にまで…せめて最後ぐらいハッキリと最後まで言いたかったんだ。


 涙を拭おうともせず意地で顔を上げる。しかし、同じ様に涙を堪える両親の顔を見ると何かが吹っ切れたような気持ちになった。


🌑「さようなら!」


 ダッと駆け出し停めてあったバイクに股がる。


 エンジンをかけて坂を勢い良く降りた。



 しかし



その衝撃で持っていたタオルが飛ばされて道路に落ちる。


 今度は落とさないようにタオルを巻いて景色を見た途端に溜め息が溢れた。


🌑「成る程ね。」


 昨日までは田舎道だったこの道に道路何て整備されていなかったし、回りに洋風混じりな建造物も人の気配も昨日まではなかった。


 別の世界のようだった。


分かっていた。それでも溢れてくる涙を止めることなんて、もう出来なかった。



 恐らくさっきまで居た私の家も無い。母もこの世から居ないし、父もきっと…昨日死んだのではなく、もう既に無くなっていたのだろう。



 何らなら引き返して確かめようか



………「やめよう」


 私は痛む心を抑えて再びバイクで走り出した。

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ケブツ運送 蒼守 あると @aosu

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