不倫と始末書

カワサキ シユウ

不倫と始末書

 この度は私の不始末により、重大かつ多大なご迷惑をかけたことをお詫び申し上げます。

 非常に個人的な事情についてを詳細に申し上げますことについて、私にも葛藤があったことはご理解いただきたい。しかし、その事情をあえて事細かに語り、皆様にご理解いただくことが、このような不始末を犯した私の社会的責務と考えた次第でございます。決して、同情や安易な赦しを請おうとするものではないと、重ねて申し上げます。


 妻子がありながら部下と不適切な関係を結んだことの仔細の状況について、お伝えするには、まず、どうして部下と時折飲みにいくような関係になったのかということから語らねばなりません。

 あの日、部下は仕事で大きな失敗をしました。私に言わせてみれば、それは若者にはよくあることです。誰しもそういった失敗を重ねて成長していくというような、よくあることなのです。しかし、それがまだわからないのも若者というものでございます。有名大学を卒業し、エリートとして期待されながら入社した部下です。その青いプライドにいささかの揺らぎがあったであろうことは容易に想像ができました。だから、飲みに誘いました。決してそこに邪な思いがあったわけではなく、ただただこれまでの部下たちと同じように慰め、励まし、つまり上司として接しようとしただけなのだということでございます。実際、その夜は部下とは何事もなく、翌週からは若者らしい実に晴れやかな表情で現れたものですから、安心したことを覚えています。

 それからは部下にとってさほど大きな障害もなかったようで、順風満帆、着実に実績と実力を自らのものとしていきました。初めの数年ほどまでは私も上司として叱咤激励、様々な形で部下を応援したものでしたが、すぐに私の手元を離れました。エリート街道一直線、飛ぶ鳥を落とす勢いとはこのことか、といった様子でございました。

 気にかかることと言えば、三十路も随分と近くなってきたというのに、浮いた話の一つもないことでした。私と部下とは月に一回程度、共に飲む機会を得ていたわけですが、その話に触れると曖昧な態度で誤魔化すのでした。

 そうこうしているうちに部下もいよいよ三十という頃になって、私は飲んだ席で一向に結婚の意思を見せない部下に対し、少しばかり声を荒げてしまいました。もちろん部下を思ってのことでしたが、いささか酔っていたことも確かなことでございました。しかしながら、部下もまた怒りの表情で私を見ていたのです。それまで部下が私に対してそのような顔をするのを見たことがなかったものですから、私は自らの興奮を忘れ呆然として、どうしたのか、と聞いたのです。そのとき、始めて部下の口から私に対する恋慕の情が伝えられました。私は自分の耳を疑いました。私と部下とは二十近く離れていますし、私には妻子がおります。思わず何度も聞き返しました。部下は、しだいに涙を流しながらも同じことを口にするのでした。いつもの溌剌とした部下が弱々しく泣いていました。ほうれい線が目立ち始め、肌のツヤもやや衰え始めたのを感じさせるその顔は、それでも、涙に濡れて妙齢の色気のようなものを纏っているように、そのときの私には感じられました。しかし、そのときは滅多なことを考えることなく、タクシーに乗せて帰らせました。それから、同じようなことが何度も続きました。次第に私は自らの心がどこにあるのかわからなくなってきました。なんといいましょうか。例えるならば、いつも靴下をしまっていた引き出しがどこだったかを唐突に思い出せなくなってしまったような。そんな心許なさと焦りが四六時中、頭の片隅に住み着いているような、そのような感覚です。そして、その日がやってきました。いつものように部下に迫られて握られた手を、私はいつしか握り返していました。部下は惚けたように私の手を見て、笑いかけてきました。私はいけないことだとわかっていながらも、その妖艶な笑みに逆らうことができなかったのです。どちらから誘ったのかは記憶に定かではありません。決して責任逃れをしようという思惑などはございません。結局のところその流れを断ち切ることができなかった私の責任が重大であることは確かなのですから。ただただそれほど恐ろしい勢いのままに物事が運んでしまったということをご理解いただきたい。


 それから後のことは、公にも知られるところとなった通りでございます。


 私は、部下を愛しておりました。誠に勝手な物言いであることは重々承知の上でございます。しかしながら、私の部下への想いが生半可なものではなかったことをご理解いただきたいのです。未来なぞ望みようのない、一瞬の輝きに命を懸けた蛍のように儚い愛ではありましたが、それはその瞬間、確かに純愛でありました。誰に批判されようとも、他の誰でもない私自身がそう認めることが、その瞬間のためだけに若くしてすべてを投げ捨てた部下へのささやかながらの餞になればと、私は願っているのでございます。


 勝手な想いを書き連ね、お目汚ししたこと、誠に申し訳ございませんでした。

 私の不始末がこのような重大な事態を引き起こしてしまったことに対し、重ね重ねお詫び申し上げます。

 誠に申し訳ございませんでした。

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