第四節
地下を行く水の流れ (2576字)
さて、乾式公共
芥小路を撤去した道場上人は、燃える芥を一カ所に集めて、それを燃料とする公共湯殿を鴨川の向こうに建設した。
食事に伴って出てくるごみ芥は、それぞれのお屋敷や町角に据えた小型の木屑校倉へ投入して腐熟させ、その他の芥とともに、農閑期の農民たちを編成して収集する。陶磁器の割れたものは従来通り、使わなくなった古井戸に投げ込んで処分する。それ以外の乾いた芥は、どれをとっても燃えるものであるから、余すところ無く湯殿の焚き付けとなるのだった。その灰は、また乾式厠に戻されていく。
湯殿の、竈土を突き固めて仕立てた焚き口の上には、製塩で使う大きな鉄平釜がいくつも並ぶ構造になっており、その上に井戸水を注げばただちに湯となる仕組みである。この平釜は、古くなった製塩釜を鋳物師に直させて工夫したものだそうな。
上人の配慮により、湯殿ではまず芥集めの農民たちが優先的に汗を流す。塵芥を燃やしたとは言っても、わざわざ沸かした湯は貴重だから、「湯水のよう」には無駄使いされない。自然に湧き出す温泉ではないため、大きな湯船を満たすことは最初から考えずに、もっぱらかけ湯として大切に使われる。まず熱気によって汗を出し、かけ湯を流して洗い、上階の温室で体を乾かす。排水は湯殿の周りに広がる畑へと導かれている。
乾式厠から作り出された堆肥は権門荘園にも販売され、その売り上げは塵芥集めに携わる農民たちをはじめ、水関連事業の従事者に洩れなく分配される。農閑期の作業としては破格の報酬が得られることにより、芥集めは近隣農村から志願者が途切れぬほどの人気仕事となっていった。報酬もさることながら、まるで温泉にでも訪れたような湯殿の快適さが、人々の口から口へと広がるのだった。これは万病に効くのではないか、とまで言い出す者も現れるほどに。
いかに便利か、どれほど爽快なものであるかが知れてくれば、やはり、お屋敷に風呂を造りたい殿が現れてくるもので、今では乾式ご不浄と同様、大概のお屋敷には湯殿が備えられるようになった。お屋敷と言えども湯は無駄にされず、この排水も菜園や庭木の養生、芹田などに使われている。排水活用は、道場上人の水路改革における要点の一つなのだった。
火葬については、竹炭の実用化が大きな効果をもたらした。竹は毎年生え替わるため、うまく燃料にできればこれほど便利なものはない。ただし、その身に含む水分があまりにも多いため、竹を炭に焼くことは不可能と考えられてきた。道場上人は竹取りや竹編みを束ねる老人たちに相談し、炭焼きの名人とも膝つき合わせ、とうとう、干した竹を木屑にて長めに下焼きすれば良質炭の得られることを見出した。また、竹を下焼きする際に出る煙が悪臭を消す働きも確認され、炭匠と本草博士の工夫によって竹煙液が作り出された。この茶褐色の液体をひと垂らしすると、不思議や不思議、しみついた臭気が拭ったように消え去るのだった。
これらの成果に呼応して、院庁は鳥辺野・化野などの葬送地で行われていた土葬・放置葬を、身分に関わらず火葬に切り替えさせ、遺骸の放置を厳重に取り締まった。川沿い低地への居住を禁じ、鴨川・桂川水系に芥を流すことも禁止された。
次に、道場上人は水源の区別を徹底した。それぞれの井戸について上人が自ら水を鼻で嗅ぎ、口に含み、吟味し等級をつけていく。ときには薬草を噛んで口直しをしていたそうな。
水脈の関係で汚れにくい井戸はこれまでと変わりなく使う。汚れやすい井戸については原則として作業用にのみ使うこととし、そうした限られた地域へは、竹塀に支えられた樋を用いて、お屋敷ごとに飲み水を分配する仕組みを設えたり、あるいは路上の水売り人を大きく編成しなおして
竹塀というのは、曲げた割竹を組み合わせて揺れをやり過ごす仕組みになっている、軽くて丈夫な倒れにくい塀である。その上に、ほとんど傾斜のない樋筒が据えられていて、水は少量ながら常に供給され続ける仕組みが整えられた。お屋敷では大きな樽にこの水道を受けて貯めおくことになっている。悪井戸を廃止した二、三の町場には、同様の巨大水桶が管理人と共に設置された。
雨水は速やかに川へ流す筋道をつけ、排水は都全域において、できるだけ少量を邸内菜園や庭などの広範囲な地面に染みこませるような工夫を施した。
結局のところ、上人は、水平をとる方法をはじめとして、堆肥化など様々な技法を用いて、使い捨てた汚水が地下で井戸水に直入することを阻止したのだった。これは、井戸掘りやため池造り、治水工事など、長年の土木作業から体得した匠の知恵の結晶とでも呼ぶべきものである。
だが、都人たちは口々に言い合った。
「上人様には、地の底のみず道が手に取るように見えなさるのだそうな」
「雷神を捕らえたこともあるそうじゃし、不思議なお力を備えていらっしゃる」
こうして、これら諸々の背景がそろいかけたところへもたらされたのが、かの
以来、百部梍の栽培は西国にて一般化し、山郷は新たな収入源を得て活気づき、某国守の家運も衰退を免れて、都ではおびただしい洗濯物の風に翻る様子が新たな名物と呼ばれるようになった。汗をかいて働く者たちが、朝になればすっきりさっぱり洗いあげた衣をまとい、なりわいに出かけていくのだ。
他方、権門貴族なんぞと呼ばれる大殿は、衣が汚れてくればそのまま家来に下して、自らは新しいお召し物を着込むという繰り返しを当たり前としていたのだけれど、蚤虱の絶えること著しい洗濯法と入浴法により、こうした振る舞いも今では少なくなっているのだそうな。
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