第二節

簒奪の暗君 (4658字)

 もともと平伏したような姿で生活しているためか、それはなかなか堂に入った平伏ぶりである。


「申し訳ございませぬ! 実はわたくし、位を簒奪された王山椒でございます。今は臣山椒が民を謀っており、すでに一度、蛇と矛を交えました。まだ戦死者が出ぬうちに、いくさを止めたいのです。姫様におかれましては、どうかこの状況を打破していただきたく、なにとぞお力添えを、なにとぞ」

 王山椒は白く滑らかな石床に頭をすりつけて懇願するのだった。


「そんな……そう言われても。……私に何ができるの?」

 姫は困惑する。


「相手は蛇精にございます。わが一族と同様、血気盛ん、向こう見ずなだけで知恵の足りぬ臣蛇が王位を簒奪しています。見境のない馬鹿者同士が相対すれば、このままでは必ずや大惨事に至りましょう」


 もともと湿った顔にさらなる湿り気を目から溢れさせ、王山椒は訴える。この話が真実であるとすれば、王にせよ民にせよ気の毒なことではある。なんとかしてやりたい。だが、どうすればいいのか? ふと見れば、王山椒と並んで、人間の老人が平伏している。


「王蛇にございます。姫様は蛇形がお苦手とか」

「そ、それはありがとう」

 気づかいに感謝する余裕はあるものの、事態を収めるために、いったい何の手立てがありうるのか。


「ここは合戦場なのです。そろそろ両軍が相まみえます」

 王山椒の語るそばから、暗闇に開くあなたの穴こなたの穴よりウネウネにょろにょろ、山椒魚の大軍と蛇の大群が現れた。大軍の最後尾に立つ大山椒魚が、名乗りを上げる。


「東沼神州大山椒国王なるぞ! そもそも汝はにゃろんゆえもうさなぐべのどうりじゃ」

「大蛇国王、征東軍を率いて賊敵を討たん! 汝こそ、ふびぞねごもれぶろねばまいに」


 腕組みしながら、姫はうんざりしたお顔にて思う。

(肝心なところで何を言っているのか分かりにくいのは、いかにも夢っぽい)


 名乗りをあげ終わった臣蛇が鋭く言い放つ。

「今宵こそ、うぬを半裂きにしてくれる!」

 負けじと、臣山椒が言い返す。

「なにを、串焼きにして、甘辛いたれに浸してくれる!」


 山椒魚ごときから川魚扱いされて度を失ったのか、臣蛇はいきなり巨大な白蛇の姿へと変化し、

「キッシャァァア!」

 大群の最後尾から鎌首をもたげ、耳(とおぼしきあたり)にまで、裂けよとばかり顎を開き数十本もの牙を見せつけ、敵軍勢に雄叫びを浴びせかける。この様子をご覧になり、虫姫様のお顔色はみるみる青白くなっていく。


 負けじと臣山椒もグングン大きく姿を変え、短い両腕をめいっぱいに広げ、笑った形に見える口から

「グボォァァア! なかなかの渋皮栗!」

 くぐもった、底響きのする雷声を発した。この一族は、興奮すると思わず市の売り声が出てしまうらしい。肌には山椒のように匂う粘液が染み出している。おそらくこれは蝦蟇の油と同じく有毒なのだろう。

 

 両者とも毛の一本とて無いのだが、譲らず威嚇して一歩も退かぬ様子は、まさにケダモノじみている。加えて、闘気とでも呼ぶのだろうか、二匹の背後にはどす黒い霞が漂い始めた。


「あああ、夢よ、これは夢に違いないのよ。あまりにもいいかげんな筋立て! 行き当たりばったりの混沌、無秩序さ! これが夢でないとしたら何だっていうの?」

 しゃがみ込んで両手を耳に当てながら、虫姫様はブツブツ言っておられる。


 蛇も山椒魚も、前列に立たされた小さな者どもは、しぶしぶ働いているように見える。蛇は大口を開け毒牙をひらめかし、山椒魚は短い腕に毒矛を握っている。

「えいえい」

「やあやあ」

「くらえーえ」

「どうだーあ」

 棒読み風のすこぶる覇気に乏しい声をあげて、双方ともにおずおずと攻撃の構えだけ見せている。


「うわあーやられたあー」

「えええ、もうかよ」

 やられたと叫んだ者はもんどり打って、そそくさと後ろへ退却する。その素早いこと。第二列にいた者は最前線に立たされて、仕方なく棒読みを繰り返す。


 ……どうもこれは、もともと厭戦気分が蔓延しているのか。それを知ってだろう、

「平和のためには戦わねばならん! 勝てば末代までの栄誉じゃ!」

「正義は我にあり! 子孫に名を残す好機と思え!」

 臣蛇も臣山椒も、軍勢に大声を浴びせて煽り立てる。


「いつだって、エライお方は絶対安全な場所にいらっしゃる」

「また美しい話で民草を操縦しようとしているんだ」

 こそこそ話し合う中山椒魚たち。


 そんな様子を確かめたのか、王山椒が立ち上がり、民に声を掛ける。

「皆の者、そこまでじゃ。矛を収めるのじゃ」

 すぐ傍らには、蛇形をとった王蛇も姿を示している。両軍勢からは驚きの声が広がる。その様子はまるで驟雨が葉を叩きだしたときにも似て、


「せ、先王様、生きていらっしゃった」

「……ああ、噂は、やはりまことであったのか」

「なんと、では、王蛇に飲まれた無念の最期、との説明は、何だったのだ」

「王山椒と刺し違えられたのではなかったか。いったいこれは」


 チラ、チラッ。居並ぶ軍勢のそれぞれは、互いに臣山椒と臣蛇を盗み見ている。臣蛇は首をいくぶん横へと反らし、王蛇の鋭い視線を避けている。一方、民の放つ疑いのまなざし、いや、もはや責める視線を受けた臣山椒は、つい口を滑らせた。


「ぬうう、よくもあの結界を抜けおった」

 王山椒は穏やかに口を開く。

「……愚かな。練りに練り上げたる清気の賜物、我が仙窓をそこまで見くびっておったか」


 しん。広大な洞の中に身動きする者はなく、口を開く者もいない。


 だが、その奇妙な静寂を切り裂いたのは、子どもの声だった。まだエラが外に出ている幼い小山椒魚が、臣山椒の足下に進み出て声をはりあげたのだ。

「このいくさは、間違っていると思います!」


「こ、これっ、風向きを読まんか。今は、大声で真実を語ってはならん時代ぞ」

 大人の中山椒魚が周囲を見回しながらあわててたしなめる。


 民の目に突き刺されるような気をひしひしと感じていた臣山椒は、小山椒魚を睨みつけ、こめかみ(とおぼしきあたり)に青筋を立てて、

「おのれ小童! うぬはそれでも山椒魚かッ!」

 バシイッ!

 怒りにまかせ、極太の尾を振ったからたまらない。

「あれえ」

 小山椒魚はヒュウンと高く撥ね飛ばされ、

 ペチ。


 こともあろうに、虫姫様の額へと、木の字になって張り付いてしまった。青白いお顔つきの姫様が目の前に右手のひらを広げると、そこへ小山椒魚がずり落ちる。無表情な姫様を見上げて、彼は首をふるふるさせながら、

「ご……ごめんなさい……こんな、無意味な争いに、巻き込んでしまって……キュウ」

 言い終えると、小山椒魚は頭を落とし、身動きしなくなった。


 はるかあちら、地団駄を踏む臣山椒の足下では、何匹もの中山椒魚が踏みしだかれてキュウキュウ泣きながら苦しんでいる。ただ、踏むも踏まれるも互いにヌルヌルした生き物ゆえ、いくら力を込めたところで、ニュルリ、足はあらぬ方向へ滑ってしまい、かろうじて致命傷にはならぬらしい。この、癇癪が受け流されるもどかしい肌触りは臣山椒をさらに激高させ、その手足尾を振り乱す姿はまことに見苦しいばかりである。キュウキュウ。蹂躙される民の泣き声が、臣山椒の怒号が、広大な鍾乳洞に反響している。


 虫姫の目元にうっすら浮かんだのは涙だった。キッとお顔を上げられ、

「くっ……小さな者を踏みつけにして、何が王位だ! 宰相だ!」


 すると姫の足下から、まるで怒濤のごとく、噴火山のごとく、赤黒い密雲がとめどなく吹き出すではないか。ズズズズズ……地響きを立てながら、夕暮れの最後の一瞬を思わせる暗紅色の闇がほとばしり渦を巻き、あたりを浸食していく。その勢いたるや簒奪王ごときの比ではない。周囲には霹靂まで飛び散っている。その一瞬の閃光に浮かび上がる凄まじい渦の中心となった姫は、右手に小山椒魚をのせたまま、左手をきつく握りしめている。


(こんな夢はもうごめんだ!

 見たくない! 消えてしまえ!

 悪夢、夢魔め、悪夢退散!


 ……夢?

 そうだ、これは夢じゃないか。だったら、夢なら夢のやり方で、好き勝手に書き換えればいい)


 はたと気づいた虫姫は王山椒の仕草をまねて、宙に左人差し指を突き出し、きっぱりと命じた。

「出でよ、大蝸牛!」


 どゆんどゆん。珍妙な重低音が響き渡り、洞を揺るがす。遙か向こうで二、三本の鍾乳石が、根元からゆっくり崩れ落ちていく。


 たゆたう紫雲を伴って、臣蛇よりも臣山椒よりも遙かに大ぶりな、東大寺盧舎那仏像を凌駕するかのごとき巻き貝が現れた。ぽっかり空いたその口から、ニュ~ッと二つの目だけが突き出し、


「おん前にぃぃ」


 夢の世界だけあって、魔法はどうやらうまくいったのだろう。この唐突すぎる巨漢登場が度肝を抜いたのか、臣蛇も臣山椒も殻を見上げたまま凝り固まっている。すかさず、姫様は命令を下す。

「あの大きい者どもを一匹ずつ、それぞれお前の目に乗せなさい!」


 半身を繰り延べた大蝸牛は首(とおぼしきところ)をぐるっと巡らせ、臣蛇と臣山椒を見やる。でかぶつに睥睨されて、簒奪王は両者とも身動きできず息を呑んでいる。


「えぇ~? いぃんですかぁ~?」


 いかにも軟体的なゆっくりした声をあげて、大蝸牛は姫様を振り返る。


 右手には小山椒魚を乗せたまま、左手を腰にがっしり当て、冷たい半眼を光らせた虫姫は決然と言い放つ。

「やっておしまい!」


「あ~い~」

 素直に返事した大蝸牛はニュウニュウ身を伸ばし、

「や、やめ……!」

「ふおお」

 抵抗する二匹のケダモノを、難なく、それぞれ目の上に乗せたのだった。

「ね、粘液が、ううぅ」

 臣蛇はその鱗を変色させて、呪縛されたごとく身動きできぬ様子だ。


 蛇が最も苦手とする者を呼び出そうかと、一瞬迷った虫姫だが、あれに殻を備えれば蝸牛になる。正直に申せば、視野いっぱいに横たわる巨大殻無し蝸牛なんて、そんなもの虫姫も見たくはないのであった。あの不定形な感じが蛭を思わせて、かなり苦手だ。蝸牛はその点、殻がしっかりとしていて非常によろしい。幸いと言うか当然と言うべきか、蛇は蝸牛の粘液も苦手とするようである。


 一方、臣山椒は、

「あああ、ネチョついておる、むむむ」

 自分のねちゃつきは棚に置き、やはり蝸牛系は苦手なものと見え、ぴくとも身動きがとれないらしい。


 ここぞと、虫姫様は大音声を張り上げる。

「さあ、存分に争いなさい! その角の上で!」

「えっええぇ~」

 洞窟にいる全生物が声をそろえて嘆息した。


 文字通り、蝸牛角上の争いをやって見せろとのご命令だ。狭い場所で小さき者が下らぬ理由から諍いを起こしている様子を、さあ、舞台は用意してやったから遠慮無く演じよ。姫はこうおっしゃっている。


 そもそもは『荘子』則陽篇に見える寓話である。今では、そこから想を得た白楽天の詩も手伝って、このお話は人口に膾炙している。もちろん山椒魚や蛇の口にも膾炙しているのだ。


(恥ずかしくてできない。……でも、阿呆宰相なら臆面もなく争えるのだろうか?)


 チラッ、チラッ。蛇も山椒魚も、小さい者どもは臣蛇、臣山椒の顔色をうかがう。角上に固定されたケダモノ二匹は、蝦蟇よろしく脂汗をだらだら流している。


 ふぅ。息をつき、虫姫様は歌い出す。


  蝸牛角上、なにごとをか争う。

  石火光中、この身を寄す。


 姫様の歌に、小さな者どもが唱和しはじめた。その声は滑らかな鍾乳洞に響き渡る。臣蛇も臣山椒も首(とおぼしきあたり)を前へガックリ落として黙りこむ。


 と、そこへ、声をたてる者が。

「虫姫様!」

 見れば、右手の上で、あの小山椒魚が平伏姿に起き上がっていた。

「姫様の無雑清浄な怒気をいただいて、回復しました」

 困ったような微笑を浮かべる虫姫だった。

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