第三節

白日の庭 (4168字)

 法を司る家に生まれた青年貴族、和気晴時わけのはるときは、一昨年のこと、都を騒がしたある不可解な事件を名推理によって解決した。その功あって彼は、このたび院庁いんのちょうに新しく設置された調査機関、探程台たんていだいの長官に大抜擢された。これは、いにしえの監察機関である弾正台を復活し専門化させるような試みである。すなわち、探程台は通常の現行犯などは扱わず、もっぱら不可解な未解決事件の過程を調査究明する。法に反すると認められた者は、たとえそれが大貴族であろうとも摘発される。気鋭の青年長官には、大きな、きわめて重い権限が与えられているのだ。


「いにしえならば、〈こやつは足が白いから強盗に違いない〉なんぞと決めつけて犯人に仕立てることもなされた。今はそうした古き時代とは違う。理をつきつめて、取り調べを慎重に行い、その過程における記録もきちんと残し、あらゆる面から法に照らし合わせ、厳正に対処するべきだ」


 晴時はこのように語ったため、はたして若君は現代の韓非子たりうるだろうかと、都に住まう者たちはささやきあうのだった。


 さて、話題の青年長官は報告書から顔を上げ、天台学生てんだいがくしょう、真言師、法師陰陽師、陰陽先生の顔を交互に見た。それぞれ立場ある人物ゆえ、みな神妙な面持ちにてあるいは瞑目し、あるいは目を伏せておられる。


 ここは探庭台の中枢、取り調べ大広間である。拷問なぞおこなっていないことを示すため、広々とした部屋に筆記係も同席している。造りは普通のお屋敷と変わらず開放的で、外光の採り入れも風の通りもよろしく、居心地きわめて優れた席と言えよう。もちろん、昨夜の事件さえ無ければの話だが。


「すると、あなたが気付かれたときには、すでにこの者は魂魄喪失状態に陥っていたのですね?」


 晴時の言葉に、天台学生は、

「いかにも。すでに力も抜けて、ぐんにゃり倒れかかってきたのです。〈蘇生シテクダサレ〉という書き付けが腹に置いてあり、なるほど息も感じられず、これはどうしたことか、お役所に届けよう、そのように考えていましたところへ、お役目の方が、折もよくいらしたのです」

 美しく通るお声にて、よどみなく答えるのだった。


「相違ないな」

 末席にて背筋を伸ばす部下へ、晴時は確認する。

「はい。相違ございません」


 この部下は別件を捜査する目的で辻に潜んでいたところ、何者かが人を背負って置き去りにする様子を目撃した。急ぎ追跡したものの、そやつは妙に足が速く、加えて月はまだ低く、小路を曲がった先の闇に見失ってしまった。しかたなく現場へ戻り、呆然と立ち尽くす天台学生に声をかけたのであった。


「あなたは、出頭されてきたとか?」

 真言師に向かって、晴時は怪訝な顔にて問いかける。


「は、いかにも。昨夜は気がつけば、門前にこの若者が倒れておりました。とっさのことに、ご遺体を、学識このうえなく極めたる方にお預けしたいと、愚考いたしました。されど、今朝になって気になり訪問しますと、なんと、探程台へいらっしゃったとか。これは非常に申し訳なきこと。猛省の末、こうして出頭しました次第です」

 きちんと前を向いたまま、真言師は残念そうに目を伏せる。


(わざと下手っぴーに〈蘇生させろや〉書いたんはコイツか!)


 さすがに大人物と評判の高い天台学生は、穏やかな微笑を保ってはいる。けれど、よく見れば、目だけは氷のようにキラッキラ冷え冷えしたものを真言師に向けている。


 他方、絶大なる法力を備えるゆえだろうか、冷たすぎる眼差しを受け止める真言師は、天台学生の視線が叩きつける膨大な情報を的確に読み取り、徐々に徐々に、うなだれていくのだった。


「次に出頭されたのはあなたですな?」

 法師陰陽師に向けて、晴時は問いかける。


「はい。私の門前にも、この若者がぐんにゃりしておって、どうにも、息をしていなかったものですから、これは、やはり、大法力を誇る験者げんざ様ならばと考え、お委ねしてしまいました。夜が明けていかがしたか訪問してみれば、探程台へと聞き及び……。まことに申し訳なきこと、急ぎこちらへ参りました」

 法師陰陽師はしおらしく頭を下げてみせる。


(……)

 さすがに法力随一との誉れ高き真言師である。全体として穏やかな表情を崩しはしない。だが、よくよく見れば、その目だけは、


(思い知れ! 骨身にしみたか!)


 言葉にならぬ極太情報流がとめどなく、真言師の明王像にも似た目から怒濤の如く発せられ続けている。あふれ返る激流を受けとめるしかない法師陰陽師は、額に汗玉を浮かべ、徐々に徐々にうつむいていく。


「そして、最後はあなたが出頭されたと?」

 陰陽先生に向かって、晴時は問う。


「はい。昨夜は私が床についておりますと、戸をどんどん叩きながら、〈陰陽のせんせい、たのんます〉とか、若い男が叫んで、起きて見れば、この若者が座り込んでいたのです。どうも息がありませんから、もうこれは、高名なる法師の方にお願いする他はないと……。夜が明けて、うかがいますと、探程台へ行かれたとか。これは一大事、あわててこちらへ……」


 播磨から都にまで轟く名声の持ち主、法師陰陽師は、やはり人物のできた様子にて落ち着いた面持ちのままである。だが、よくよく、よぉく見れば、その目にだけは、暗いどす黒いものをたたえ、呪詛やら式神やらが渦巻き溢れそうな勢いが満ち満ちており、それを受け取るしかない陰陽先生は徐々に、徐々にうなだれていくのだった。


「なるほど、ここに至って、依頼人のような者へたどり着いた訳か」

 さらさら筆を走らせながら、晴時は考え込む。


 一同が思いのほか落ち着いて問答している理由は、件の若者が死んでいなかったことによる。白州に面した簀の子に寝かされた若者は、今のところ腹や胸がゆっくりと上下している。


 昨夜、探程台に運び込まれてすぐさま、若者は医官によって診断された。

「身が冷えておりませんな。死んでいれば、すぐに冷え固まっていきますからな。何かの衝撃によって魂魄が出奔した際には、このように息をほとんどしていない様子に陥ることも、ときたま起こりえます」


 あちこち揉んだり押したりしたところ、呼吸は通常に戻ってきた。だが、魂魄は回復しない。こういう状態の者に煎じ薬を飲ませても、肺の府に入ったりしてかえって危険である。


 夜が明けて、医官は鍼灸博士を招聘した。この方はもともと唐土から来られた博士であったが、医学好きな名家の援助もいくつかあり、今では日域の人となって後進の指導と研究をおこなっている。


(そろそろいらっしゃる時分だろう)

 晴時がこう思ったとき。廊の奥から、

「とうして、私が忙しいのときにかぎて、こういうお話くるてすか!」

「申し訳ございません、老師のお力が是非とも必要なれば」

 医官が恐縮しながらとりなす。足音もどたどたと、鍼灸博士が入室する。


「おう、これは皆様、こにちは」

 博士は唐人風に立礼し、一同は座したまま会釈を返す。博士はさっそく若者に歩み寄り、

「ふむ。普通に息してるのことか。あなたね、今日はね」

 付き従ってきた医官に向かい、博士は腕組みをして語りかける。

「この方法覚えてくたさい。覚えてくたされぱ、私わざわざ来なくてもいいのこと、なちゃうからな、ほんとに」


 言うやいなや、親指を曲げた角を、若者の唇の上で鼻の下にある溝に当てて、ぐーりぐり、力をこめて押していく。すると、


「……う、うーん」

 若者が声をあげた。

「いいね。どぉれどれ」

 あちこち押したり揉んだりして、博士は効果を確かめているようだ。


 そして、ようやく納得したらしく、鍼灸博士は両手を腰に当てて、

「ふむ。また一人、すくてしまたか。それでは拙者、これにて!」

 覚えたての若者言葉を使ってみたかったのか、いささか場違いな挨拶を残し、手を振りながら博士は帰っていった。見守っていた一同は、あっけにとられている。


 この様子を白州から見上げている者がいた。博士の入室と同時に、部下に連れてこられたのは、柾行だった。寝ぼけたように身動きする樟六を見て、

「樟六ッ」

 柾行は思わずきざはしに駆け寄り、樟六を揺さぶる。


「んん、あれ、俺は?」

 覚めやらぬ顔つきで、ぼんやりした声を漏らす。

「樟六ぅ! すまん、すまんな」

 涙と鼻水を振りまいて樟六の両肩をつかみ、喜んでいるのやら泣いているのやら、柾行はひっくひっく嗚咽し続ける。


 さて、落ち着いた柾行から事の経緯を聞いた一同は、皆それぞれ虚脱したような表情となっていった。柾行は夜が明けてから陰陽先生のもとを訪れ、大変なことになったと自首してきたのだった。


 厳かに、晴時が語る。

「師の皆様は、自ら出頭もされ、法に触れることは何事もなされておらぬ。よって、当然ながら不問といたします」

 ホッとした空気が流れた。


 だが、晴時は語気を強める。

「これ、樟六よ」

「はひ」

 まだいささかボケッとした様子の樟六。先ほどまでは証拠物件扱いで簀の子に転がされていたけれど、今は騒ぎの根本原因として白州に、柾行と並んで縮こまっている。


「こともあろうに大師様を呼び捨てしおって、なんたる罰当たりな。それがためにこたびの混乱は引き起こされたのだぞ。よって」


 息を呑む柾行。


「二度と、伝竹の竹にて遊んではならぬ。よいか。一生涯、木の道の工匠を助け、努めよ」


「は、ははー」

 平伏する樟六。


 整った顔をはっしと柾行に向け直し、晴時は続ける。

「柾行も同罪である。木の道を極めるよう、一生努めよ」

「あ、は、ははー」

 平伏する柾行。その手元には、また涙と鼻水が流れ落ちている。


 みいんみんみんみんみんみーぃいいんんん。

 

 今日も蝉の声が響き渡っている。


「ふ、ほほほ」

 誰ともなく、忍び笑いが漏れた。すると、

「ふふ、ははは」

「参りました。いや、ははは」

 探程台の中枢、取り調べ大広間は、蝉の声と安堵の笑いに包まれるのだった。


◇ ◇ ◇


 部下と二人きりになり、晴時が口を開く。

「さて、本来の監視対象はどうだ。何か動きは見えたか」

「いえ、それが、特にこれといったものはありませんでした」

「そうか。引き続き、注視を続けるように」

「承知ッ」


 晴時は思う。

(おかしな噂の多い大納言だ。まさかとは思うが……。監視さえ続けていれば、そのうち)


 これまでに幼児が五人、行方不明となっている。都では不安の声が広まっている。何としても、解決しなければならない。傾きかけた日を照り返し、ギラリと光る白州を見据えて、晴時は背筋を伸ばす。

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