第二節

友達思い (3812字)

 きらりん。虫姫は、妙な水晶のようなものを持ち出した。黒光りする細身の枠が面白げな曲線を描いて、そこに透明な輝きがはめ込まれている。


「まあ、何ですの、これは」

 花姫は小首をかしげている。使い道の想像もつかぬ代物だ。


「あの兌隈丸だぐまる氏からいただいた玻璃はり玉です」

「噂の、崑崙人の方ね」


 兌隈丸のもたらした海外情報は、日域じついきの貴族や僧侶らに一定の衝撃を与えている。そのため、会見したがる貴賓もあり、そういった方々から種々雑多な「また聞きの輪」が拡がっているのだった。


 虫姫様はうっとりと回想する。

「天竺や南溟での珍しい虫のお話や、海をぶっ飛んだ交易商人の漂流体験談や、大蜥蜴とかげの開きのお話を聞いたりしました!」


 一瞬、耳を疑った花姫様は、

「ぶっ……とんだ? おおとかげの、開き……。ううん、虫のお話は置いといて」

「ええーっ? 面白いのに」

 ちょっとすねたお顔をなさる虫姫様。それにかまわず花姫様は、

「どうして兌隈丸様は、遠い天竺からはるばる、たった一人でいらしたのかしら?」

「それがね」


 虫姫様は言葉を選ぶように、

「何か悲しいできごとがきっかけになったらしくて、まだ語るまでに、心の整理がつかないのだとか」

「……なるほど。かわいそうなお話が苦手ですものね」

 困った笑顔にて虫姫様は、

「無理に聞けないでしょう?」

「でしょうね。……では、珍しいお花については、何かありまして?」

 さすがに、咲き乱れる常夏の花々に興味がおありのようだ。


「そうそう、一つうかがいました。なんと、角盥つのだらいよりも大きな花があって」

「おお、すごい!」

「密林の地面に焦げ茶色のぶ厚く硬い花びらを開き」

「……え?」

「その中心から、なにやら生臭いにおいを発して」

「は?」

「蠅を集めるのだそうです。なぜか、蜂ではなく蠅だけ引き寄せるとか。その姿と言い、育ち方と言い、まことに、天然の神秘と申せましょう。こぉんな大きいそうで」

 両腕を広げられて笑顔はじける虫姫。

「……」

「すごいでしょ?」

「どうしてあなたはそちら方面のすごい話ばかり面白がるの!」

「さて、この玻璃玉ですが」

「うわー、そらすんだ、話を」

「戻したのです」

 きっぱりと、虫姫様は人差し指を上げて続ける。


「これは、うまく使うと細部が見やすくて、非常に面白い道具なんですよ。こうやって頭に着けて」

 枠からすんなり伸びた細い腕の先は丸めてあり、虫姫がその部分を御髪に差し込むと、しっかり保持された玻璃玉はいい具合に右目の少し前へと位置する。手の込んだしつらえである。これをのぞき込むと?

「未来でも見えるの?」


 膝元においてあった小箱から蝉の抜け殻を一つ取り出し、虫姫はそれを玻璃玉に向かって前後させ、

「こうするとね……おおう、これは!」

「なになに?」

触角ひげの節が九つもある!」

「…………ふーん?」

「このように、常に拡大して観察できるのです」

「また変な物をこしらえて……」

 花姫はあきれ顔をなさる。一方の虫姫は平気なもので、

「さらにこうすると」


 カチリ。

「玻璃玉を撥ね上げて固定できます。使うときだけ眼前に下ろせる仕組みになっていてね。匠が頑張って工夫してくれて」

「うん、まあ、枠の細工はなかなかのものですけどね」


 しっかりした保持、確実な撥ね上げ。意匠の面からも、片眼の周りがつややかな枠によって強調されて、虫姫様にまたひとつの魅力が備わったような気が、しないでもない。なんだか妙な魅力だけれど、まあ、ちょっとかっこいいかもしれない。


「これはまだ名前がついていないの」

「ふうん、そうね、眼にかけるのだから、眼掛めがけでよろしいんじゃなくて?」

 呼び名なんぞどうでもよさげに、花姫様は適当なことをおっしゃる。

「メガケ……ううん、言いづらい、微妙に」


 いいかげんな命名に納得されない虫姫は、カチリと玻璃玉を眼前に下ろし、蝉の殻をまた観察なさる。

 けれど花姫は、そんな虫姫のお顔をしげしげご覧になると、

「うわぁ、こちらから見れば眼が大きく見える! まるで猫みたい。そうね、メガネコと呼ぶのはいかがかしら」

「ご冗談はよしてくださらない?」

「虫姫、またの名をメガネコ姫! くふふ」

「うく、むか腹ですわ」


 そこへ、

 ぅるにゃ~ん。

 鳴きながら、コヨリが花姫様の膝先にあらわれ、きちんと正座してお顔を見上げる。


「まぁ、コヨリ、コヨリ、いつもかわいいね。んーんん。毛虫っぽいお宅にいるより、うちに来なさいな?」

 うれしそうにコヨリの頭をなでておられる。


「この子はね、御器虫ゴキムシと遊ぶのが好きで。試食したりもしますよ?」

「ご、御器虫ゴキムシって?」

 花姫様の手がコヨリの頭上でぴたりと凝固する。その白魚のような指先は、いくぶんフルフルなさっている。その下であくびをして、コヨリは顔を洗い始めた。


「先ほど御器ゴキカブリと命名しましたけれど、あの、漆のように黒く、てらてらしたツヤを誇る、極めて俊足の、いわゆる芥虫」

「やーめーて」


 ちょうどそのとき、耳を上げ、コヨリは何かを見つけてタッと奥に走った。

「あ、また御器虫ゴキムシが?」

「いっやぁああ!」

 両のお耳をふさぐような仕草をして、ぎゅっと目をつぶって、花姫は身を縮められる。


 こうした花姫の騒ぐ様子を目の当たりにし、いまさらながら虫姫は深く感じ入る。

「ううん……そうか、の子は御器虫ゴキムシが嫌いなのか」


「はあ? また何をおっしゃるの?」

 縮こまった仕草にてお顔だけこちらへ向けて、花姫様は怪訝そうなご様子をなさる。


「いえ……」

 メガネコを着けたままの虫姫は、すでに自分だけの世界に入りかけて、なにやら考えを巡らしておられるようだ。


(虫好きな自分は、やはり、少し常識が足りないのかもしれない。

 不思議だ、面白い、楽しい。

 そんな感覚に従って、今まで心の赴くままに観察実験研究してきたけれど。


 このような社交の場においては、一人でいるときと同じように振る舞うと、虫好きでない方々に不快な思いをさせてしまうのかな。


 ほら、見て、花姫様が取り乱されるこのご様子を。

 不安そうなお顔でこちらをご覧になっている。

 せっかく遊びに来てくださったのに、私はこんな仕打ちを……)


「ど、どうかされまして?」

 沈思黙考する虫姫様は、一種の近寄りがたい圧力を放っている。花姫様はいささか心配になった。


 一方、虫姫様は尋常でない勢いにて回想へと突入していた。


(確かに……、

 私は以前、〈表面を取り繕うよりも、物事の根本を考えることが大切〉と言った。


 もちろんそれはそれで大切だけれど、花姫様のお気持ちを考えると……

 私にはもっと別のやりようもあるのでは?)


「む……虫姫様?」

(ああ、この花姫様の、心細い迷い子のようなご様子と言ったら!)

「も、もすもす……?」

(こんな、手を伸ばせば触れられるほどの身近で対しているのに、まるで伝竹を使っているかのような距離感あるお言葉づかいまでなさるほどに……そこまで私は、花姫様を追い詰めてしまったのかも!)


 とうとう虫姫様は決心なさる。両の手を握りしめて。


(ならば、私は努力しよう。

 ここは我慢をしてでも、普通の行いをなぞってみよう。


 人間じんかんで滞りなく暮らすためにも、花姫様のお気持ちをなだめるためにも、こうすることが、少しは役に立つかもしれない)


 以上のような思索を瞬時に巡らし、虫姫は、握った両手を胸の前にそろえ、小首をかしげ、少し花姫様のまねをして言ってみるのだった。


「いやあああん?」


 かしげた瞬間、メガネコがきらりと光って、非常にあざとい感じを増幅させる。思わず花姫、太い声で、

「うっわー、むか腹ですわ!」


 二人の姫は今日も仲良しなのである。


◇ ◇ ◇


 それでね、と、花姫様はおっしゃるのだが。

「今度は部下が来たのよ、部下。まったく、本人が来なさいっていうのよ、ほんとにもう」


 未解決事件を専門に扱うため、新たに設置された機関、探程台たんていだい。先日はその長官が花姫様を訪問なさった。こたびは彼の下僚が聞き取りに来たのだそうな。


「それで、何を聞いていったの?」

「子どもの泣き声が聞こえなかったかとか、いつも子どもは何人集めているんだぁ、とか」


 長官の抱いているだろう疑いが、虫姫にはおぼろげながら分かった。


 父上が子どもを集めている、奇妙な子ども好きであるとの、事実無根で無責任な噂がある。


 いつぞや耳にしたところでは、「大納言は日ごろから懐に幼き女児を何人も抱え込んでいる」とかいう噴飯ものの噂まであるそうだ。


 力持ちの相撲人すまいびとであったとしても、それは無理じゃないかな。まさかこの噂を真に受けてはいないのだろうが、やはり誤解は解かなければならない。けれども、その説明はなかなか面倒だ。理解されにくいことではあるだろう。


 子供を集めるのは、おりに触れて、姫の都合によって行っていることだ。


 普段、姫はすず丸一人に虫取りをさせる。手数の必要なときには、すず丸の弟や近所の子どもを連れてきてもらう。小さい子どもを使うのは、彼らが虫を追いかけてどこかに入り込んだとしても、特に不審がられることがないからだ。


 ただ、毛虫を捕ってきていいのはすず丸に限られている。毒蛾の幼虫は触れるだけでも危険なため、その見極めができなければ採集は任せられない。すず丸にはその判別ができる。


「よし、兄ちゃんに付いてこい」

 無毒な虫を多人数で集めるとき、すず丸はうれしそうに兄貴風を吹かす。


(こんな様子が、いきさつを知らぬ人には怪しく見えたりするのだろうか?)

 またも考え込む虫姫に、

「もう、こちら向いてくださいな。それからね、私は」

 花姫様のお話は途切れなく続いていくのだった。

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