第四節

天翔る者 (3105字)


 そもそもイスラァミィ諸都市の学者たちは、あきれるほどにいろいろな工夫をする。酒からアル・コホォルと呼ばれる精分を取り出して龍涎香を溶かし、それによってあまたある香水の品質をより高めたのは彼らだし、玻璃はりの原料をあれこれ吟味して、麝香じゃこうなど貴重品運搬用の透明で硬質な玻璃密閉瓶を作り出したのも彼らなのだ。恐ろしいものでは、地面から湧き出る油を容器に詰めて噴射する仕組みを備えた、対艦放火兵器まで開発中なんだとか、あるいはそれはもうできているのだとか。


 そういった学者の中でも、特に変人だと評される〈物好き博士〉の一人が、奇妙な凧を作った。それも、交易船に翻る主帆ほどもあるような大きさのものである。

 これは人の乗れる構造になっており、博士は自ら試験飛行することを数度に渡って繰り返し、ついに、街を二つ越えるほどの結構な距離を飛んでのけた。しかし、天上にまします大いなる方は幸運と共に試練をお与えになるのであろうか、最後は漁民の家へと墜落してしまった。


「うまく着地できなかった原因として、尾羽に当たる部品が無かったことを指摘できる」

 こう、しかつめらしく評論する博士もいる。それはともかく、落ちた屋根には椰子の葉が厚く葺いてあったから、その弾力によって博士は大したけがもせず、一命を取り留めた。幾重にも巻いたターバンが頭を保護したのだ、とも噂されている。


 これだけならば良かった良かったで済む話だけれど、落ちた土地がグプハーラ主要港にほど近い漁村だったため、ひょっとしてこの騒ぎをうまく利用しようと画策した者がいたのかどうか、結局、グプハーラ主要港知事とイスラァミィ諸都市民安全保護局との諍いとなり、一時は双方の交易船が足止めをくらう事態となってしまった。競争相手の商権を制限しようとする騒ぎは、沿岸でも内陸交易地でもときおり勃発するものである。


 港街ジャイフートの商人たちからこんな話を聞いて、ジャフミィは言い立てる。


「だだ、だから、ね、言ったじゃないですか、大きな鳥がって、出港前に、アタシ、言いましたよね? 家にはまり込んで、大騒ぎですよって?」


「お、お前がびっくりしててどうするんだね」


 突拍子もない経緯に、ダグマダも二の句が継げない。イスラァミィ諸都市の博士たち、恐るべし。


 こうして、はからずも一時的な交易停止の間隙を突いた形になったダグマダは、ふんだんな資金を手中に収め、まず船の修理を手配し、それからゆっくりと時間をかけて、この港町、ジャイフート周辺の名産品を吟味するのだった。


 目の前に並ぶのは、苦いとも甘いとも評される独特の香りを放ち、薬品にも用いられる没薬、火にくべればかぐわしき豊かな煙を放つ乳香、高級細工物の素材として欠かせない鼈甲、南溟の象とはまた異なる風格を備えた大いなる象牙。犀の角は、遙か東の唐土において、身分を示す帯留め具に欠かせない素材であり、また同時に高熱を癒す得難い薬品としても珍重されている。


 東方諸国民から見れば文字通り宝物の山を積み込み、ダグマダ一行はそろりそろりと帰路についた。故郷マクハルラを出航してからすでに二月が流れ去り、風向きは東寄りに傾く季節となっている。墜落騒動はすでに収束したとはいえ、グプハーラの沿岸は避けるよう慎重に南下し、そこを過ぎればできるだけ細かく寄港する。この道筋は安全航路と呼ばれている。時間はかかるけれども、「ぶっ飛ぶ」よりは危険性が少ない。


 故郷を出港して三月後、ダグマダ一行はようやくマクハルラ港へと帰り着いた。父はよくやったと肩を叩き、母と弟妹は泣いて喜び、航海母神に感謝した。西方の珍奇なる宝物は、またしても莫大な富をダグマダにもたらし、船員たちには特段の報償が支払われたのであった。


◇ ◇ ◇


「初めて私が体験した漂流は、おおよそこのようないきさつデございました」

 兌隈丸はため息をつき、麦湯で舌を湿らす。


 同様に麦湯を口に含み、虫姫は気持ちを落ち着かせる。兌隈丸の語る、文字通り別世界のありさまに、言葉も無く聞き入る他はない。目が回りそうな気さえする。数多くの国々、いくつもの言語、様々な神々とその教え、船に溢れるばかりの交易品、聞いたこともない香料、酒の精分、海面に直立する鯨の群れ、どこまでも続く砂浜、地の底から湧き出す油、玻璃の密閉瓶、そして耳を疑うのは、空を飛ぶ博士……。


「沙漠という土地は、荒れ地に石や砂があるだけの場所なのですか?」

 なんとも想像ができず、虫姫は漢詩による知識を思い返す。

「そういう場所もありマすが、例えばジャイフートなどの、あのあたりの沿海沙漠というものは、もう本当に砂しかありマせん。日域には全く見られない種類の土地です。サラサラとした、粒のそろった粉にも似た砂だけが、どこマでもどこまでも、地の果てまでも広がっていマす。ずっとずっと砂の山々が続き、風に寄せられると、町を一つ飲み込むことモあるそうな」


 姫は瞑目して思い浮かべる。砂の山並みが果てしなく続く光景を。日差しの刺さるような昼も、月が輝く夜も、砂の山は微動だにせず、同時にサラサラと移動し続けるのだ。それでも海が埋められることはなく、砂の山脈が尽きることもない。

「なんたる場所でしょう……」

 雨の多い日域に暮らす人にとっては、この世の景色ではありえないような、そんなお話ばかりだ。


「こうした土地を嵐が襲いますと、茶色い砂が遙か天上まデ巻き上げられ、それはもう、まるで山が迫り来るような姿を現します。まだ岸の見えぬほど隔たった海上であってモ、この砂が吹き寄せてくることガあります。まことに恐ろしい限りです。嵐とは呼びますけれど、沙漠では雨が降りマせん。風が吹きすさび、砂を巻き上げ、昼なのに暗くなってしまいます。

 そういう乾ききった土地柄でも、ところどころ水の湧く場所がありマして、そこに町ができます。西方人たちは、そもそも沙漠の交易者なのデす。一木一草とて見当たらぬ土地を旅して町と町をつなぐ交易を、太古の昔から続けテきた人たちです。したがって彼らは、沙漠を渡るように海を渡るのだと言われテいます。例えば、信じがたいことですが、沙漠の泉と同じく、海中で清水の湧き出る場所があるのダそうです」

「清水というのは、つまり、塩気の無い水のことですか?」

「はい。あのような乾ききった土地にも水脈が伏流しテいて、地上に湧けばそこは町になりマすが、それに連なる水脈の一部が海底から吹き出してイるのだそうです。西方人の船乗りたちは海中泉の位置を代々伝えてオり、船から皮袋を持って飛び込んデは、海底にて清水をくみ上げます。このような技がデきるのも、沙漠を越えるための生きる術があっテこそのものでしょう」 


 麦湯を含み、一息ついて兌隈丸は、

「あちこち、大変な土地だらけデしたね。思い返してみれば、数々の幸運に守られたと申せマしょう。航海母神に今でも感謝しておりマす」

 兌隈丸は瞑目して合掌する。


 もう一度、虫姫は麦湯を含む。そして考える。この天の下は、はたしてどれだけ広いのだろうか、人の住む国々はいったいどこまで広がっているのだろうか。砂だけが視界いっぱいに広がる土地を、吹きすさぶ風が通り抜け、海上かなた隔たった船にまで砂を降らせる。その天竺の船。船に乗るのは日域と同じとしても、綱で板を縫い付けている柔らかい構造の船なんて。

(日域でも船に鯨油を塗ったりするのかな?)

 漁師や船人とまだ話したことのない姫には、兌隈丸の説明を聞いても分かりづらいところがいくつもある。そんな思いにふけっていると、兌隈丸が口を開いた。


「そう言えば、こんなこともございました。あれは、ずっと東、南溟の多島海での出来事です」

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