第二節

幼き姫の危機 (3006字)

 ははあ。事情が見えてきた。

「なるほど、貝合わせをするのかな?」

「すごーい、そうです。千里眼みたいね。姫様がお心を痛めておいでなの」


 珍しくも美しい貝殻を集めて、どれが一番素晴らしいか競う雅な遊びである。また、それらを品良く展示するための州浜と呼ばれる漆塗りの棚まで用意されるような、まことに手の込んだ催しなのであり、競う者の趣味や趣向といった点が事細かく批評される。


 落ち着いた口調で、右馬佐は言ってみる。

「私は、海の方から来た貝殻長者なのだよ。あなたの姫様をお助けできるかもしれない。今日は観音様のお導きでこちらへと足が向いたのかも?」


 この言葉、あながち嘘でもないのであった。あの、虫姫に送りつけた、生きている蛇に見まごうばかりの動く帯細工は、右馬佐の家で管轄している種々の職人のうち、布細工師が作り上げたものだ。他にも指物細工、螺鈿、金工などをなす者がいる。貝殻はそれらのどの細工にも用いられる貴重な素材だ。


「どうだろう、中に入れてくれれば、もし事情が聞ければ、お力添えができるかもしれない。誰か大人の方に話せないかな」

「うーん、母上が女房なんだけど、聞いてみようか」

「おお、それはいいね」

「おじさん、お名前は?」

「おじ……そうだな、右馬のお兄さんと呼んでね」

「ウマのお兄さんね」

「あなたの母上に、〈右馬のお兄さんがお手伝いしようか〉って言えば通じるかもね?」

「はぁい、待っててください」


 女童はぱたぱたと邸内へと戻り、

「お母様ぁ」

「何やってるの、あなたは。忙しいのだから早くしなさい早く」

 女童の母親は、姫様の母上に仕えて以来、長きにわたってこのお屋敷を切り盛りしている。女童はかいつまんで説明し、

「貝殻長者なんだって。それでね、顔は人だけど、ウマのお兄さんって言うの」

(ウマ。公達でウマ……。ははぁん)


 女房は思い当たる。虫好きとかいう変わり者の姫様に接近したけれど、「虫にしか興味無いの」みたいな文を返されたなんて、そんな噂を聞いたことがある。たしか、右馬佐様だったか。そのお方が、貝集めに助力したいと?


「よし、では入っていただきなさい。あそこの、あなたが隠れ鬼のときによく使う場所があるでしょ。そこへお連れして」

「えー、あんなとこへ」

「いいから、早くお迎えに。門番にも言っておくから」

「はぁい。ウマのお兄様ぁ」


 こうして、右馬佐はにんまりと、扇で顔を隠しながら女童に導かれて門をくぐる。門番の老人は下を向いて(つまり頭を下げて)見て見ぬふりをしている。あれだけ出入りしていた大人たちは、いつの間にか潮の引いたように失せている。付き従っていく光豊は心配そうな表情を隠さない。それにひきかえ、無人の荒野を行くがごとく、扇をかざした右馬佐は女童に先導されて邸内へと進んで行く。


「では、そこでお待ちくださいね。隠れやすいでしょ」

「これは、どうにも足場の悪い……まあ、見えはしないかな」


 西面の妻戸あたり、隅の方に屏風やら何やら雑多な調度が押しつけてある陰へ、右馬佐はよじよじ登っていく。庭からは朝日がさんさんと降り注ぎ、そのため南に面した簀の子より見上げれば、右馬佐の隠れた天井に近いあたりは全くの暗闇となる。頂上付近に腰を落ち着けたところへ、声がこそっと届いた。


「ただいま経緯をお聞かせしますゆえ、しばらくお待ちいただきたく」


(なるほど、女童の母親が気を利かせているのか)

 右馬佐は小さく咳払いをしてみせる。逆光の隅に控えていた大人の影は、かすかに頭を下げて退いていく。


 しばらくすると、小さな人影が何人もあらわれた。

「困ったわ、ほんとうに」

「あちらの姫様は、内裏の方にまで声をかけていらっしゃるとか」

「どうしましょう、こちらには伝手が足りなくて」

「母君様がご存命ならば、まだ何とかなったものを」

「それがこんなことに、よよよ」


 侍女や女童たちが口々に嘆いていると、この館の姫君が簀の子へ出てこられた。

「それにしても、なんでしょうね」

 じゅうぶん分かりきっていることを一から言い立てられて、姫はいぶかしげなお顔もち。

「なにやら、今さら説明くさい感じがしますけど?」


 続いて現れた件の女房が、全く非常にすこぶる真剣な表情にて申し上げる。

「過去を振り返ることは、人にとってとても重要なふるまいなのです」

「それはそうでしょうけれど」

「姫様、今日はこちらが良き方角なれば、どうぞこちら向きに」

 女房は姫の座る位置を加減し、右馬佐から見てそのお姿が最も良く映える角度を演出した。


〈おお、なんと可憐な〉


 右馬佐は心を打たれる。十三歳ほどだろうか。若さと言うべきか幼さゆえと言うべきか、まだ化粧もしていない肌は朝日を受けて光り輝き、その長い御髪は黒々と目にしみる。額髪がかかるご様子も、何かキラキラと、この世のものかと疑うばかりのかわいらしさがあり、お召し物がまた、表地は薄萌黄に織り模様の浮かぶところへ濃萌黄を重ねて、これら配色の上品さが、うるわしい姫をさらに引き立てているのだった。今は心配ごとのただ中にあり、ひそみに倣うという言葉を思い起こさせるような愁いを帯びた寂しげなお顔だが、それと同時に落ち着いた気立ての素直さが感じられる。


(こんな妹でもいればなぁ、あちこち参詣に連れて行ったりしたいのだがな。こういう方にはにっこりと微笑んでいてもらいたいものだなぁ)


 口うるさい姉二人にやっつけられがちな右馬佐、家の女どもには頭が上がらないのだった。そこへ、朽ち葉色の狩衣と二藍の指貫袴を無造作に着こなした十歳ほどの男君がいらっしゃる。


「姉上、ただいま帰りました」

「まあ、こんな早く。首尾はいかが?」

「それが、なかなか難しいのです」

 弟君はつらそうなお顔を伏せている。

「あちらの女房どもが耳打ちしてくれましたが、かなり手広く助力を申し込んでおられるようで、それは内裏の女御にまで及ぶのだとか。一方、私に集められたのはこの程度です」


 とは言うものの、姫の御前に差し出された紫檀の小ぶりな箱には、巻き貝や桜貝などがきらきらしく詰め込まれ、すでにそれは宝箱のようである。

承香殿じょうきょうでんの女御様にお願いして、ようやくこれだけ集められましたが」

「ありがとう。あなたのできる限りの気持ち、確かに」

「いえ、もっと、手を尽くしてみます」


 姉君そっくりの整ったお顔をすっくと上げて、弟君は涼しい笑顔を向けてうなずき、渡殿へと向かわれる。幼いながらもりりしいお姿だ。またのお出かけを見送り、女房が解説風に嘆いてみせる。


「北の方様の新姫あらひめ様は、お母様の人脈をご利用になって、清らなる貝、得難き貝をいくつも手に入れられているとか。それに引き替え、静姫しずひめ様のご不自由なこと。よよよ」

 袖で涙を拭く仕草までいたしておる。


 右馬佐は合点がいく。

(ふうむ、第一夫人の姫と、今は亡き第二夫人の姫との貝合わせか。さすれば……)

 これは簡単には負けられぬ。そして相手は、帝の身近な方にまで援助を頼んでいる。どのような種類にせよ、趣あふれる貝が集められることは必定である。となると、対するこちら側がきらびやかな貝を並べるにしても、何か独自の工夫が必要になってくるはずだ。評者をして唸らせるような、見栄えを引き立てる何らかの仕立てが。


 そんなことを思い、腕組みなぞして頭をひねっている右馬佐の耳に、なにやら騒々しい足音が聞こえた。ばたばたと大股に歩いてきたのは、これはまた、どうにもがさつ過ぎる見かけをなさった姫君だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る