第二節
奇談あふれる果てしなき大地 (3517字)
ごく当たり前のように、兌隈丸はうなづく。
「はい。南溟諸国は虫をよく食べマすね。カブト虫、カミキリの幼虫、タガメ、中にはカメ虫も」
「えええ! あの臭いものを?」
「日域でも、虫は食べるデしょう?」
「イナゴや蜂の子は食べますが……。他には川虫とかも食べるらしいけれど。あ、それと、生糸をとったあとの茹で上がったサナギも、蚕室近辺では好んで食べられています」
「そうデしょう? 虫を食べない国は無いのです。西の果て、天竺よりも
「うわあ、酸っぱいでしょ! 蟻をいじっただけでも、あんなに酸っぱい匂いがするのに」
「まさに、酢の代わりに使うそウです」
「あ、思い出した」
額に手をやられて、姫は、
「唐土でも蟻の料理があったとか、何かで読みましたっけ。そうそう、けれど先ほどの、カブト虫を食するとは、ちょっと想像ができませんね。甘いのかな?」
「さあ、私も食べたことはなイですね。聞いたところでは、土のような風味だと」
「カメ虫はひどい味がしそうですけど」
「ああいう匂いを喜ぶ人たちモいるのです。この、カメ虫好きの人々を、隣国の方たちは〈 変人め! 〉と非難しています。あんなものを食べて、と。でモ、そう言う隣国人たちには、蠅のウジを太らせて食べる習慣があるのです。彼らは互いに非難しあっテいますが、私から見れば、どちらも甲乙つけがたい奇食です。そして彼らは私のことを、〈 この美味が分からない変人 〉とでも言うのでしょう。ハハハ」
虫姫は気が遠くなりかけるけれど、なんとかこらえている。
「ぅうん、異国の生活習慣って……本当に風変わりな」
「変わっていると言えば、そういッた巨大虫を食べる葉があります」
姫はおもわず身を乗り出す。
「葉! 木が虫を食べるのですか?」
「木と言うよりも草ですナ。壺のような形で、虫が逃げられナい構造になっており、虫を溶かしていきます」
「なにか、あの、孫行者の物語みたい」
「ああ、聞いたことがあります。天竺のハヌマーン王のような、猿の王様の物語ね。溶かされてしまう場面ね。似てマすね。また、壺式ではなく、ヌメヌメとした触手で、虫を捕って食う草も現実にアります」
「捕る? くっつくのですか?」
「恐ろしい草です。触手を動かして、虫体を抱え込みマす」
「動く、草が? 虫を捕って? あああ、見てみたい」
すでに姫の目は、その焦点を定めていない。
「逆に、日域と同じ虫もイますよ。例えば螢ね」
「螢は同じなのですか」
「でもやっぱり、一年いつでも盛夏のよウに暑いから、季節が無いです」
「常に暑い?」
「そう。だから、螢はいつでも見られマす」
「それはいいですね。暑いのは大変だけど」
「螢は大群になって、木にとまる。そして、互いに同じ調子でパッパッパッと点滅を繰り返しマす。その様子と言ったら、もう、はるか遠くの雲上で稲妻が光るときのよう」
「えええ、一斉に? バラバラに光るのではなくて?」
「そうです。螢は互いに目で見るのでしょうか、それトも息を合わせるのでしょうか。ときには調子が少しズれて、光の波が広がっていくように見えたりもします」
「ああ、それも見てみたいなあ。いにしえの皇帝、隋の
「そういう、全体で点滅を繰り返す木が、満天の星の下、闇のなかにかたまッて浮かびあガります。見物船の上で、これは夢か幻か、と思いましたね、あのときは。こういう光景が一晩中、永遠と続くのです」
ここでちょっと面を伏せて、姫は小さく咳払いをし、人差し指をあげて訂正する。
「ええと、そこはですね、〈 延々と続く 〉ですね」
「そうそう、延々と。はい。それで、地元の者の言うことには、こういう光り方を、ここの螢はすべからく行うと」
姫は目を伏せて、人差し指をあげ、遠慮がちに再度訂正する。
「……〈 すべからく 〉に〈 全て 〉の意味はありません。音は似ていますが」
「くうっ、大和言葉は難しいね!」
兌隈丸は頭をかかえるのだった。
南溟の話が続いたので、姫は聞いてみる。
「やはり、北の方には虫は少ないのでしょうか?」
「当然、暑い地域ほどにはいませんね、虫は。でも、面白い話はどこにでもあるのです。例えば、巨大な蟻の話」
「巨大とは、それこそ、十倍どころではなく……?」
「そう。これは全くの伝聞ですが、天竺のはるか北方、どこまでモどこまでも草原と荒れ地が続く王国に、巨大な蟻が住まわっているそうデす」
「ううん、でも、にわかには、とても信じられません」
「はい。私も伝説の一つとして聞きましたが、ある人によると、それは大きなモグラのような動物を指しテいるのではないか、と言うのでス」
「そうか、穴を掘る点で性質が同じわけですね」
「その動物は蟻のヨうに群れを成して穴に住む習性を持ち、常に一家を挙げて穴を掘り進めマす。みんなで協力して。そして、彼らの掘りあげた土塊に、黄金が見つかるのだそうな」
「黄金とは。また奇抜な」
「蟻が物を集める様子からの連想なのデしょうか。あるいは、実際に、モグラの穴から地相を見る人たちがいるのかもしれない。こういう話は北だけではありマせんで、西方人は、さらに遙か西の果ての王国において、まさにそのような動物を捕らえテ、彼らの都にまで見本を送ったのだそうです。イスラァミィの地方都市より出発した地理博士の見聞録、『大いなる驚嘆の諸世界』によりますと、曰く……えーと」
なにやら書き付けを選び取り、兌隈丸は読み上げだした。
沙漠西方大陸の黄金産地はほぼ砂地の広がる土地柄であり、現地人は皆まるで蟻 のように縦横の穴を掘って黄金を採掘している。しばしば、彼らの採掘穴に猫のよ うな大きな蟻が侵入し、それによって人命が奪われることもある。現地人はこれを 撃退しつつ、常に黄金を掘り続けている。我らはこの猫蟻を入手し、比類無き平安 の都に送り届けた。
「平安の都ですって!」
驚きを隠せず、虫姫はつい大きな声をたててしまう。そしてすぐさま恥ずかしそうなお顔を少しうつむけ、口元に扇を当てられる。
上目遣いになった虫姫様にほほえみを向けて、
「はい、西方人は自らの都をマディーナ・アッサラーム、平安の都と呼んデおります。大海を越え、大山脈を越え、国々を越え、計り知れぬ万里の、遙か遠方。そんなに隔たった西方でも日域でも、人の願いは共通するのデしょう」
兌隈丸は静かに合掌し、
「北方にせよ西方にせよ、大草原と砂地の違いはありマすが、黄金産地と蟻のような動物は結びついて語られていマす」
猫のような蟻が跳梁する、黄金を産む砂地。あるいは、どこまでも続く草原と荒れ地。これらの景色を、姫は思い浮かべようとする。でも、なかなか難しい。
「果てしなく平らな大草原とは、海原のような感じでしょうか」
「私も少ししか、草原の周辺を旅しただけデすが。例えば、周囲は平らな草原で、はるかかなたに小高い丘が見えます。その丘に登れば、先に何か見えるかモしれない。やっとたどりついて、その頂上から周りを眺めると、やはり草原が見えルだけ。でもまた、少し先に小高い丘がある。あそこまで行けば、何か草原以外のものが見えるかモしれない。行ってみようとすると、見えた感じよりズっと遠いのです。で、なんとかかんとかたどりついテ、上に登って周りを眺めルと、やっぱり、周囲は平らな草原であり、少し先に小高い丘が見えるだけ」
「あああ、きりがない……」
姫は額に手を当ててうつむく。
「こういうことの繰り返しデした。私はひと月ほど、海岸からそれほど離れない地域を移動した程度ですけれど。交易商人の中には、海を渡るヨうにして、こんな果て無き大草原を横断していく者もいるのデす。それも、何年という月日をかけて。陸地とは、それほど広く、海に匹敵するものなのです」
暑気払いに冷ました麦湯を口にし、兌隈丸は続ける。
「日域ならば、大空と海原とのあわいに生じる線を見ることができます。天竺の内陸奥地では、展望の開けた場所ならば、これと同じような線が大地と天空とを区切るのです」
目まいに似た感覚が姫を揺り動かす。大空と接するまでにどこまでもどこまでも広がる、無限の距離を思わせる草原とは。ふと、
(馬を走らせ西へと向かえば果てしなく、このまま天にまで昇りそうな気がする)
(家を出立してのち、満月を二回見た)
(今夜はいったいどこに宿りすればいいのか)
(荒れ地だけが限りなく万里も続く中に、人家の煙はどこにも見えない)
おそらく、このような風景が天竺の草原にも広がっているのだろう。
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