第三節

首狩りの笛 (3569字)

 喉を潤して、兌隈丸は語り続ける。

「南溟は他のどの土地よりも暑いためデしょうか、虫だけでなく、蜥蜴とかげわに、蛇の類も、まるで龍のように大きかったりしますね」

「え、龍の眷属けんぞくをご覧になった?」

「いいえ、龍というものは一度も見ておりマせん。ああいう姿形の、雲を踏み天上高く昇る神獣には、めったなことデは会えないようです。長い鰐や竜巻なら何度か遭遇しましたけれど」


 少し落胆されたご様子の虫姫様に、兌隈丸は笑いながら、

「でも、まるで龍ではないかと思うヨうな、大きすぎる蜥蜴の開きなら、この目で見ました」

「おお……え、開き?」

「その長さは人の背丈を越えるほどにもナります。燻製をよく乾燥させて薬にするそうです」

 酷暑が毎日続き、太陽があらゆるものを焼き焦がす土地ならば、そんな巨大乾物も作りやすいのだろうか。


「姫は象についてはお聞き及びでしょうか?」

「象。例えば白象は、仏典や仏画に描かれておりますね。鼻が長くて、耳がとても大きいとか」

「日域では無理でしょうけれど、あれも実物をお見せしたいものですナ。おそらくこの天下で一番大きな獣でしょう。それこそ牛車のような大きさなのです」

「まあ、恐ろしい。とても見当がつきません(でもちょっとだけ、夢でそういうのを見たけど……)。大古の時代、唐土にもいたのだと、古書には書かれているそうですが」

「やはり、暑くて樹木の無限に生え出ずる土地でなけれバ、あのような巨獣は生きていけないデしょう。天竺の寺では、象を何頭も飼っていることがありマす。お祭りの時には、そんな象に黄金細工や錦を回し掛けて飾り立て、行列をさせたりしマす。馴れた象の中には、書き付けを持って市場へ買い物に行ったものモいたそうです。虫とのお話ですと、その長い長ぁい鼻に住む虫もいるのデすよ」


 日域の生活実感とはあまりにもかけ離れた巨獣の話に、姫は声も出ない。買い物をする象なんて……。きらびやかな巨象がしずしず行進する姿は、どんなにか荘厳な様子だろうか。それから鼻虫。ただでさえ長々とした鼻なのに、そこへ虫まで住み着くとは。そんなことだと、巨象の鼻がむずむずして大きなクシャミを爆発させることも、時にはあるのだろうか。


「鼻と言えば……南海の遙か彼方、一年中猛暑のよウな気候の続く南冥諸島ノ中には、村ごとに武装して首狩合戦を繰り返シておる島もあるのデす。そのたメ、若い母親は子守歌デ〈早く大きくなって、立派な首をたくさん狩ってくるんだよ〉と歌ウそうです。私はもともと商人ですから、こういう危険地帯にツいては、みんなで情報を持ち寄っテ、用心に用心を重ねマした。首狩り族に一度は捕まり、命からがら逃げ帰った者もいて、だからその貴重な話を参考に、島へ漂着したときのことも考えます。これこれの断崖が見える島には気をつけろ、とかネ」


「なんたる……(あれ、鼻の話は?)」

「まことに、遠く離れた国デの生活習慣とは、よそに住まウ者には思いもつかぬことばかりなのデす。姫様は笛や笙を嗜まれるとうかがっています。ですからお話しました。この首狩島には、鼻で吹く笛があります」

「鼻で、ですか? ずいぶん吹きにくそうですけれど」

「ごく小さな響きを奏でるものデす。死者との語らいにのみ用いるとか」

「そんな技があるのですね……」


 棕櫚しゅろ檳榔樹びんろうじゅの葉を透かす、南溟の輝かしい月光の下、亡き者を思ってかすかな調べを紡ぐ奇妙な笛吹きが、姫の脳裏には、仏画にある伎楽天のような、優美きわまる姿に描かれている。


「南の島の夜にかすかな笛の音が流れる。まるで、夢の一場面のようではありませんか」

「……イエ、どうでしょうネ。ううん、つまり……その亡き者の墓前には、ひょっとして、〈立派な首〉が供えられテいることもあるのかもしれません」

「あれえぇ……うう、そういう島でしたっけ」


 申し訳なさそうな顔をして、兌隈丸は話題を替えようと思ったのか、

「笛の技ですけれど、天竺の笛吹きは音色を絶やさズに吹き続ける技を持っています」

「それはつまり、とても長く吹けるのだとおっしゃりたい?」

「いえ、何と言うか、息継ぎをしないのデす。ずっとずっと、音が途切れません。ずっと奏で続けられる方法です」

「とても、不可能としか思えない……」

「日域にも毒蛇はいマすけれど、天竺には毒を吐きつける恐ろしい蛇がいます」


「えええ、長虫はちょっと……(ふ、笛の話は?)」

 にょろりとした蛇のお嫌いな姫は、いきなりの話題にふいをつかれ、襟元へと手を当てて、表情をいくぶん曇らす。


「はは、すみません。そういう毒蛇を笛であやつる人々がいマすので」

「笛で、長虫を? 笛の音色で?」

「はい。蛇使いと呼ばれる見世物のたぐいデすが、籠に毒蛇を入れ、笛の音によって踊らせマす。彼らにとっては毒蛇は家族であり、蛇が寿命を迎えれば、ちゃんとお葬式まデあげるのだとか」

「ええと、その人たちが、途切れなく吹き続ける技を?」


 目を閉じ、顔をこころもち仰向け、兌隈丸は蛇使いの様子を思い浮かべる。

「方法を正確に言えば、まず、頬を息袋とデも呼ぶような状態にして圧をかけて、笛へ送る気流を確保しつつ、同時に鼻では息を吸いマす」

「ふうむ、まったく、とても、そんな奏法は日域では考えられませんよ!」

「笛の形も、日域とは異なって、丸い瓢箪ひょうたんに管が通っているような仕組みになっていマす」


「天竺にも瓢箪はあるのですね」

「ははは、なにしろ便利な作物ですから、瓢箪は天竺でも南溟、西方、どこに行っても巧みに使われテおりますな。両腕を回して抱えるほどの大きさに育てあゲ、それを刳り抜き乾かすと、大壺のように仕立てられマす。そこへ穀物を蓄えることもデきます。そんな大ぶりの入れ物を頭に乗せて、お母さんや娘たちが市場を行き交ったりするのデす。ああ、懐かしい」

「たぶん、それほど大きな瓢箪は、日域では作られていないかも? ふつうは種などを密閉して保存するために使われていますね。あるいは漆を塗ってお酒を入れたり」


 何を思ったのか、兌隈丸は腕組みをして、お庭の方を遥かに眺めやりながら、

「さよう、南溟も天竺・崑崙も、日域の方から見れバ面白い技、珍しい風習、珍奇な生き物に満ちておりますな。逆に、私たち天竺の者からスると、唐土や日域では紙でお尻をふいているという話が信じられませんでした」


「んまあ」

 口元に手を当てて姫はとまどう。


「姫君にこんなお話をしては不躾ですね。でモ、本当に驚いたのです。もちろん、こうして日域に来てみれば、へらや葉を使ったり、紙を使ったり、いろいろの方法を目にした訳ですが。それにしても天竺でも南溟でも、大きな市ならば紙は売られていまスけれど、貴重品ですからね。これでお尻をだなんテ、とてもとても。故郷ではこういうとき、もっぱら水や砂で清めたものでした」

 懐かしそうに語る兌隈丸を見て、天竺の人はさすがに仏陀に近い土地で暮らしているから、お坊さんのようなふるまいをするのかな、と虫姫は思う。


 口を麦湯で湿らせ、兌隈丸は続ける。

「不思議な風習、珍しいものごとと申しマすと、蛇遣いと同じように、魔術はいろいろな種類を路上で見ることができます」

「ふうむ、魔術……仏典にも様々な不思議が語られていますものね。天竺、崑崙ならば、さぞかし不可思議な魔術の数々がきっと」

「でもああいうのは全部ウソですね」


「……え?」

「ははは。大道芸人は知恵を絞りに絞っテ、一見すれば不可思議と思われる技をやってのけます。先祖代々、工夫を続けた結果の、宝の技なのデす。なにしろ彼らのご飯がかかっていますから」

「ううんん、でも、やっぱり、本当に神秘の技を駆使するような、正真正銘の魔術道人とでも言うような方が、広い天竺ならばどこかにいるのではないでしょうか?」


 虫姫の父上は、魑魅魍魎や神秘的なできごとについて、頭から信ずることはなさろうとしない。たぶんご自分の体験、若きころよりの見聞が、大納言をしてそうさせているのだろう。母上も虫姫も、父上と同じように感じることが多い。


 だが、今日の虫姫はいささか興奮している。いつもなら「そんなこと、信じられませぬ!」なんぞと言いがちなのに。つまり姫にとって兌隈丸は、もはや不思議がそこに座っているような人物と映っているのだ。まさかと思うような事柄を「これこれこうもありうる、ああもありうる」と説明してくれる実見者を前にした、期待感の暴走状態とも言えようか。


 姫君のそんな心持ちを理解したのか、兌隈丸はゆるゆると応える。

「どこかの国の、王宮の奥深くには、本物の魔術師がいらっさるかモですが、少なくとも路上にはいませんね。路上魔術師も、芸としては非常に面白いものデ……そうそう、こんな〈不思議な出来事〉を見たことがありマす」


(やっぱりあるんじゃないですか!)

 虫姫はいくぶん身を乗り出した。兌隈丸は語り出す。

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