第五章 崑崙人、大いに語る!
第一節
綿と虫食い (2955字)
難題を出すぞ出すぞとおっしゃっていた大納言だったが、ご自分の若かりしころを振り返って、いささかお考えを改められたようである。
というのも、長い長い思い出話の五日後、虫姫に提示された試練は、「各地の賢者に会って話を聞くべし」というものだったからだ。
自分のように、無理やり税収を上げてくるよう命じられ、いきなり都から放り出される体験は、やはりどうにも乱暴すぎる。あのときは偶然が重なって成果を上げ得たけれども、現実は常に好機が満ちているとは限らない。姫には姫にふさわしい見聞の広め方が必要だろう。
こうして、まず最初に会うこととなったのは
肌の色は南島の漁師のように焼けて、精悍な顔つきである。衣服は肩から脇の下へと布を巻き付ける形をしており、日域の近隣では見られないものだった。
内裏に勤める異国人の博士達も、彼がどこからやってきたものやら、まったく見当がつかない。ただ、唐人博士が推測したところでは、おそらく崑崙人ではなかろうか、と。
呼び名は
漂着当初は日域はもちろんのこと唐土・高麗と、どの言語も通じなかったものの、一年ほどたつうちに大和言葉を流暢に話せるほど上達した。その言によれば、「
ふだん兌隈丸は南都のさらに南、飛鳥の四大寺の一つである川原寺に居住し、身寄りのない者の世話などをしている。その彼が都を訪れる機会に合わせ、虫姫と一日お話しできる運びとなったのである。場所は某寺長老の別邸一室なのだった。
◇ ◇ ◇
「ナムスカーラー」
ごく普通の僧服を身に着けた兌隈丸は、姫を迎えるにあたり合掌して深々と頭を下げる。
「な、南無ー」
たどたどしく、姫も合掌して返す。
「父君はお元気でいらっさいますか。一度お目にかかったことガあります」
「はい、元気にしております。本日は父の代わりに参りました」
そんないきさつには頓着しないのか、兌隈丸はさっそく、
「これは、綿の木の種です。差し上げマす。どうぞ植えてふやしていただけたらと」
「綿、ですか」
蚕糸をよるときに、糸にはできぬ余り物を綿と呼び、防寒着にこれを詰めれば綿入れと呼んでいる。兌隈丸の持ってきた種は、純粋に草木としての綿、つまり木綿であり、その繊維ができるにあたって、蚕のような虫は介在していない。
「種からは油が採れて、それは食用にもなりマす。この白い綿の中に、黒い種が包まれテいるのです」
兌隈丸はフワフワして薄く茶色味を帯びた白い塊を取り出し、姫に手渡す。
「うわあ、軽い。柔らかい」
なにかの巣に似ているな、と姫は思う。
「その中に種があります」
言われて、繊細な綿毛をより分けると、茶色の種子がいくつか見えた。
「日域でも、温暖な地域であれば栽培できルはずです。この綿毛を集め、紡いで布となせば、村人の手には丈夫な衣服と大きな利益がもたらされることデしょう」
今のところ、綿花の栽培は日域において全く行われていない。試してみた荘園主や商人はこう考えている。春がもっと暖かければ、あるいは秋が寒くなければ、と。これは無い物ねだり、日月の運行をどうにかしたいと言うに等しい、無理な話である。そのため、綿布は唐土渡りの品が高級品としていくらか知られている程度だ。
(この柔らかい繊維。絹のしなやかさとも違い、麻の強さとも違う。ふわふわな性質を何かに使えないかな)
布にする用途から外れて、姫は考えてみる。ふわふわなまま、いま使っている綿入れに詰めてもいいかもしれない。それとも、蝉の殻や標本を固定するのに役立つかも。考え込んでいる姫に兌隈丸が説明を始める。
「布にするまでにはいろいろな手法が必要になりまスものの、蚕を育てる技に比べたら、それほどの手間とは思えません。まあ、綿をほぐすのはやっかいですけれども」
「なるほど。栽培に適した暖かい場所がみつかればいいのですね」
「左様です。水が豊かなのは素晴らしいでス。でも多すぎるのは、綿にとっては問題になります。あとは暖かさがもっとあれば」
紀貫之の日記で知られる土佐とか、話に聞く隼人の地とか、細かく探せば、あるいは? そもそも兌隈丸の住んでいた国は、どれほど暖かいのだろうか。
「崑崙とはいったいどんな土地柄なのでしょうか」
兌隈丸は少し申し訳なさそうな顔をする。
「ああ、はい。私は日域では崑崙人と呼ばれておりマすが、自分のことは天竺人だと思ってイます。唐土の博士がたは、天竺の向こうにあるこの世の果て、ぐらいの意味で崑崙と呼んでオられるようです。また、天竺にも南溟にも数多くの国々があり、それぞれ言語も違えば人の顔かたちも異なりマす。天竺という名前の国や、崑崙や南溟という名の国があるわけデはないのです」
(……すると、日域の中にいろいろな国があるような感じなのかな。いにしえの唐土で燕の国とか呉国とかあったような。そう言えば、釈尊の生まれ故郷は天竺の
思いを巡らす姫へと微笑を向けながら、兌隈丸は続ける。
「船で周辺を回った感じからすれば、天竺は唐土と同じくらい広いでスから、気候もいろいろあるのデす。北の方、例えば仏陀の生まれ故郷の向こうには、一年ずっと雪をいたダいた山がそびえています。けれど、天竺の南方なら、日域で言えば真夏のよウな暑さが、一年を通して続きマす。天竺の南東に広がる南溟でもこういう暑い気候が毎日続いて、雨も多く降ります」
「すると、珍しい虫も多いでしょうね」
「南溟の虫はね、もウね、大きいですよ」
「おお」
目を輝かし、姫は身を乗り出す。
「例えバ、ひげを広げると手のひらからはみ出すようなカミキリ虫がいます」
「そんなに大きいのですか、ああ、見てみたい!」
頭をかかえて姫はもだえる。
「さらに、それヨりも一回り大きなカブト虫がいます。角は三本、四本のものもいます」
「なんという楽園でしょう……くくぅ」
もはや姫の目は潤んでいて、両の手は握りしめられている。
「それどころか、五本角のカブト虫もいて、土地の者はそれをおいしくいただくそうデす」
「お、おいしく?」
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