第二節

蚕を益するもの (2956字)


 蜂は、よっこいしょと言いそうな様子で、目印の付けられた蚕を切りっぱなしの竹の中に運びこんでいるところだった。竹筒に蚕を詰め込むようにして、蜂も筒の中に姿を消す。そしてしばらくすると、また蜂は出てきて、飛び立っていく。

「よし、では、これを持って戻ろう」


 一同は放置してあった竹をすべて拾い集め、蚕室前の庭にとって返し、宗輔は慎重にその一本を割ってみた。

 すると、筒の中に若い蚕が三匹も、それぞれ小部屋のように区切られた中に収められていた。一緒にあった数本の竹もそれぞれ割って調べたところ、同様の形で芋虫が収納されているのだった。その中に、蚕ではない、野生蛾の幼虫をいくつか見ることができた。郷長の言っていた通り、どうやら蜂は、蚕や蛾の幼虫に卵を産み付け、蜂の子のための食料とするらしい。そして、蚕と並んで収納されていた蛾の幼虫は、桑場の害虫としてさんざん見慣れた種類の芋虫や毛虫なのであった。


 こんなありさまを目にして、宗輔は一瞬、まわりから物音が消え去ったかのような心地がした。


(やはり……やはり、蜂にとっては、桑を食う芋虫ならどれでも良いということか。すると、これは……使えるのではないか)


 そうかもしれないとうすうす感じていた宗輔ではあったが、以上の観察から確信を得て、さっそく次の作業にとりかかった。まずは新しい細竹が必要だ。


「今度は何だろうかの」

「郷に管を置かれてはなぁ、困るのだがなぁ」


 老人たちはまだ彼の意図を酌めずにいる。それというのも、宗輔が自らの手で黙々と竹を切り始めたからだ。太さは半寸前後の竹を、慣れぬ手つきで鉈を使い、節間の中心から断ち切る。こうして片方だけ節でふさがれた半尺ほどの竹筒を、二十本ひとからげとする。この束を、宗輔は桑原の隅に仕掛けてみた。桑原の果ての、蚕室から一番遠い桑を選び、管が水平になるように枝へしっかりと結わえ付けたのだ。


 翌日、様子を見に行くと、早くも数匹の蜂が飛び交い、竹筒を住みかとしているのだった。昨日おこなわれた調査によって巣を根こそぎ失った蜂たちが、集団で新居へと移住してきた形となったようだ。さらに観察を続けると、期待通り、蜂は桑の害虫を抱えて、それをせっせと竹筒に運び込んでいることが確認された。


 郷長にこの様子を詳しく説明し、年寄りたちを説得してもらい、宗輔は次なる準備にとりかかった。すなわち、子どもたちを動員して、同じような竹筒の束をいくつも作らせたのだ。


 筒束は蚕室から離れた桑原のあちこちに設置された。「虫をもって虫を制す」とでも言うのであろうか、宗輔は一種の罠を仕掛けたわけだ。こののち、誘拐蜂は住みかと食料を得て増えていき、逆に桑の害虫被害は激減することとなる。


 竹筒を大量に仕掛けた翌日、国府に使わしていた供人が五匹の子猫を携えて戻ってきた。国分寺や各地の寺で増えすぎた猫をそれぞれもらい受けてきたものだ。国府に到着してすぐのころ、宴席で僧がこぼしていたのを宗輔は覚えていたのだった。繭は鼠に狙われやすい。仏典を鼠害から守るために猫は役立つけれど、繭を守るためにもきっと役立つことだろう。


 生後三か月ほどの子猫たちはそれぞれニャアニャアと鳴きまくり、犬しか見たことのない郷の子どもたちは、目を大きく開いてこれに見入る。子猫どもは籠から這い出し、子どもたちの足元に頬や首筋をすりつけだした。


「母上はいずこじゃ、父上はいずこじゃ、とでも訴えているのかな」


 この一言を宗輔が発するやいなや、しん。座は静まってしまう。

(ううむ、うっかりした)

 長らく父親に会えないでいる子どもたちだ。瞬時にして目を潤ませている者もいた。中でも一番年かさのガキ大将が、泣きそうに見える笑顔で子猫にほおずりしているのは意外だった。

「俺はこれを飼うぞ、この白黒のはおれんちで飼う!」

「そうだな、みんなでかわいがってやるのだぞ。鼠を捕るから、大切にしなさい」

 その後は、それはもう大騒ぎで、「甘えとる」だの「やわらかい、ぐにゃぐにゃしとる」だの言いながら、女童も男童も目をキラキラさせてなでさすり抱きかかえている。


 ミギャーッ!


 突然、絹を裂くような鳴き声がした。

「ああ、これこれ、しっぽを逆なでしてはいかんよ。やってみたくなる気持ちは分かるが。それと、爪が鋭いからな、気をつけるように。のどをさするとゴロゴロ言って喜ぶぞ」

「ほんとだ!」

 子どもたちは競ってのどをさすり、子猫たちはみな顎を出して目を細めている。


◇ ◇ ◇


 蚕はすくすくと成長し、順調に繭が張られて、繭から生糸が繰り出され、成虫の産んだ卵が孵化し、また幼虫は黙々と桑を食べ……宗輔は、誕生から生糸の生産までの過程を二回見ることができた。郷の桑葉は不足することなく、得られた生糸は上糸と判定された。長い長い蚕室作業が終わりを迎えたとき、郷長がしみじみと語った。

「蜂を使役なさる殿様がおいでになるとは、夢にも思いませんで」


(使役か)


 宗輔は考え込む。上古において蚕民の知恵者がさまざまな工夫をこらしていた、そのことは断片的に残る言い伝えによってうかがい知ることができる。だが、長い長い年月を経るうち、多くの知恵が失われてしまったようだ。郷人は私をたたえるけれど、おそらく、こたびの工夫に類するものを、実は先人も試みていたのではなかろうか? 恐るべきは先人の知恵である。どこかに、それらをまとめたような資料はないものだろうか。


「おや、月が見えてまいりましたぞ」


 思いに沈む宗輔へと郷長が声をかける。ふと見上ぐれば、一筋の雲が月に向かい、稜線と形作る位置関係がまことに面白く、趣深いものが感じられる。久しぶりに龍笛を取り出し、宗輔は陵王乱声を奏でることにした。山郷の夕暮れに、染みいるような響きが喨喨りょうりょうとして渡っていく。その音に応じているのか、ひぐらしが、あちらの斜面から、こちらの茂みから、順々に声をたてている。


◇ ◇ ◇


 国府に到着すると、掾は何とも言えぬ安堵した表情をもって宗輔を出迎えた。あらかじめ出しておいた先触れの他に、情報の出口があったそうだ。山郷には生糸商をはじめ、蚕沙や桑白皮そうはくひを買い取りに来る薬種商ら、もろもろの商売人たちが出入りしている。その口を通じて、思いのほか詳細な様子が国府まで伝わっているのだった。

(人の口に戸は立てられぬ、ということか)

 いくぶん恐ろしい心地もする宗輔だった。


 このころ、宋銭は流通し始めていた一方で、権門荘園などのおこなう大きな取引の支払いには、今と同じく、もっぱら絹織物や米が使われている。いよいよ支払いともなれば、当然、その絹や米の品質が慎重に吟味されるものだ。つまり、宗輔の成し遂げた改革は、財を安定して生み出す工夫という意味があった他に、貨幣の質を向上させる得難い方策とも見えるのだった。波紋のように、木霊のように、商人たちの間へと広がり始めた噂は、もはやとどめようがない。


(これは、都の方々が黙ってはおられぬだろうな)


 回廊を行く宗輔の表情には、陰が差している。またしても考え込む宗輔は、うつむき加減に、我知らず立ちつくしている。供人たちは何事かと、そのお顔色をうかがっている。


 と、そこへ、迎えに出た目代が、挨拶もそこそこに神妙な顔で口を切った。

「実はもうひとつ、足を伸ばしていただきとう場所がございます」 

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