第四章 花姫の襲来

第一節

すず丸、いつものお使い(2733字)

「こうして若き日の私は、蚕室にて働く人々から〈蜂飼いの若殿〉と呼ばれることになった。養蚕に関わる人々の間において、〈殿は蜂を使役している〉との共通了解が成立したわけだ」


 国府での話をもっと詳しく知りたい虫姫は、うかがってみる。

「目代が言った、もうひとつの場所とは……」

「もうひとつでは済まなかったよ。結局あの後、いくつかの郷へ行くことになってしまった」

 静かなお声で、大納言は答える。

「養蚕の終わった時期にも、桑の手入れはせねばならぬ。桑を健やかに保つためには、害虫をできるだけ取り除くべきだ。公領の村々で成果が上がり始めると、〈不思議の蜂を使役するそうじゃ〉なんぞと話に尾ひれが付き、そのうち権門荘園から呼ばれるようにまでなってしまった。折り入って頼むとまで言われれば、断ることもできぬしな」

 当時の様子が脳裏に浮かんでいるのか、父君は目をつぶって顔を上げ顎をいじっておられる。


 お話に引き込まれ、まるで自分が旅をしているかのような心持ちになった姫だったが、ふと思い出したのは、ちかごろ気にかかっていたことだ。

「いま、世間では、父上が一匹一匹の蜂に足高あしだかだの角短つのみじかだの、それぞれ名前をつけて、〈誰それを刺して参れ!〉などと自由自在に使役しているような、そんなふうに噂する者もいるそうです」


 大納言は大きく笑いだしそうになって、

「それはまあ、放っておいて良かろうよ。目に見えぬ護衛とでも言うかな。不思議な人じゃ、通力じゃ云々、あれこれ神秘化されておれば、賊も容易には近づくまい」


 やれやれ。一息つきながら、父君は軽く居ずまいを直され、

「蜂の日々生きる様子をよく知っている者ならば、山郷での話は不思議でも何でもない。だが、そういう物の理を知らぬような、ごく普通の公達や市井の人々からすれば、まことに不思議なありさまに見えるのだろう。ここに、神秘化の罠がある。理解しがたいできごとを、人々は〈不思議の技〉のせいにしたり、仙人や物の怪の行いだとして理解しようとするのだ。それで分かったつもりになりたがるのだ、と言っても良かろう」


 お話が途切れたのち、またもや大納言は瞑目して顎をいじっておられる。そして、

「 今日はもう遅い。難題のその一は、少し用意もあるゆえ、五日後にいたそうか。まあ、解かずに結婚という手もあるがね。ふふふ」


 姫は面を伏せぎみにして思う。

(うわぁ……何だろう、この、とってつけたような感じ。本心でおっしゃっているのではないのかな。父上、なぜそんなに、急かせるようになさるのですか?)


◇ ◇ ◇


 虫姫の助手、今年九歳になったすず丸は、道々あれこれと考えていた。よその超絶究極的にわがままな姫様の話や、怒りっぽい大人たちの話を聞くにつけ、

(ああ、おいらはめぐまれているのかな)

 とも思う。虫愛づる姫君のお屋敷で働く大人たちは、とてもおだやかだ。父君さまも母君さまも、無理なことは誰にもさせないそうだ。

(でも、おいらの大嫌いなカミキリ虫を「とってきてね」って、姫様にニッコニコの笑顔で言われたときには、ああ、幸せって何だろう?、なんて思うんだ)


 今はお屋敷への帰り道、その苦手なものをふんだんに採集し、すず丸は足早に大路を行く。知り合いの爺ちゃんが小路の角にしゃがんでいて、慌て気味のすず丸に気付いて何やら話しかけてきたけれど、もう適当に返事してさっさと通り過ぎる。話が長くなるとめんどうだ。行き交う大人達がこちらをチラッと見る。


(目立つんだな、すんごい虫かご持って、中身もはでだし。立ち止まりたくない。早くこれを届けないと)


 虫のことだけを考えるようにして、足下を見つめて、すず丸は急ぐ。


(カミキリ虫は、あの、どこを見ているのか分からない大きな目がこわい。虫ってみんなそうかもしれないけど、カミキリの目はやっぱりでかすぎるよ。かぎづめみたいな口でかまれるとものすごく痛いし、かまれないように気をつけて背中を持つと、首から「ギイギイ」って変な声をたてる)


 ツイッ。黒いトンボが目の端をかすめていく。それを追って首を上げ、

(ああ、トンボの方がずっといいや。スイーってとぶトンボ。かっこいいトンボ。とるのがむずかしいトンボ。カブト虫やクワガタはすんごくかっこいい。角をグッてはじいて相手を投げとばすんだ)


 ぱたぱた早足で行きながら胸にしっかり抱えている虫かご。中からガサゴソ動く気配が伝わってくる。

(それにくらべてカミキリ虫って! いったい何がしたいのか、さっぱり分からない形だよ。今日とったやつなんて、長いひげにはシマシマに黒いところがあって、そこにはみっしり短い毛がはえているんだから。まったくなんだろうね? どうしてこんな形になるのかな。作り物みたいで、触りたくない感じがする。それなのに姫様はときどきこの虫を見たがるんだ。うわ、門まで来た。これ、姫様になんて言おうか?)


「ああ、姫様、もう嫌です」

 疲れ切った顔ですず丸が言った。律儀にも虫はしっかり採ってきたようだ。虫かごには、目のさめるような瑠璃色の全身に、黒い星の並んだカミキリ虫がいくつか見える。

「ようやっと帰ってきた。また良い物いただいたのね。虫かごと似合ってるわ」

「ううう、はい、ご注文のカミキリです。文もお預かりしました」

「はい、お疲れさま。伯母上は子ども好きだから」

「美味しい物もごちそうになりましたけど」

「でしょう?」


 待望のカミキリ虫が手に入って満足げな姫様に、すず丸はちょっとだけだだをこねてみる。

「あのね、おいらね、こういうのね、ほんっとに好きじゃないんですけど」

「あらまあ、ふふふ」

「なんで笑うの?」

 ああ、美しい色合いと触角。まさしくこれは、天地自然の妙。指にカミキリ虫をたからせて、姫は虫に目を落としたまま答える。

「かわいいから」

「カミキリ虫が、ですか。かはぁ」

 すず丸の苦労はたえない。普段使いではないお出かけ用の童服は動きづらいためだろうか、なんだかモジモジしている。

「じゃあ、いつもの、作業用の水干に着替えていらっしゃい」

「はあい」


 瑠璃色のカミキリ虫。生きている宝石。いつまでも見ていたい、森羅万象の不思議を目前に突きつけられた思いだ。ただ、この得難き瑠璃色は、虫が死んでしまうと急速に失われる。青みは全て見る間に消え去り、茶色く変じてしまう。姫にはそれが、悲しみの色に見える。それだけに、夏のこの時期ともなれば、姫は瑠璃のカミキリ虫をこうやって手にとめて、身近に観察したくなるのだ。虫姫はきざはしに腰掛けて、しげしげと虫に見入る。


「姫様、お参りの帰りだとかで、お隣の花姫様がいらっしゃいました。このお花も」

 いつもの童水干に着替えたすず丸が、花々で満たされたかごを抱えて戻ってきた。

と、そこへ、あちらの角から聞き慣れた声がした。


 

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