第三章 蜂飼いの若殿、誕生す

第一節

蚕を害するもの (3051字)

 その日、宗輔は、まだ幼い蚕に顔を寄せてじっと観察していた。与える桑葉の量を節約するためには、葉はもう少し細かく砕いた方がいいのだろうか。さまざまに考えを巡らしていると、宗輔のすぐ目の前に、羽音を響かせ細身の蜂が降り立った。見れば、小さな蚕をその細い足で器用に抱えこんだかと思うと、再びブインと飛び立って、蜂は蚕小屋の窓からするりと出ていくではないか。


「なんと、蜂が蚕をさらって行ったぞ!」

 興奮した宗輔が、いま目にした一部始終を語ると、郷長は笑いながら答えた。

「殿、それはときおりあることでございます。また、それほどの数を盗られるものでもありませぬ。打ち払えば済みますし、穴もふさいでありますゆえ」


 確かに、蚊遣りのような煙が使えぬとなれば、打ち払うしか方法はあるまい。それから穴とは、巣穴のことを言っているのか?

「この郷では、蜂の巣をいちいちふさいでおるのかな?」

 郷長は丁寧に答える。

「昔からの言い伝えがございます。蚕を飼う村ではどこでも、指ほどの太さの竹筒はすべて、穴に泥土を塗り詰めておくのです。道具でも垣根でも、家の軒先でも、とにかく全部ふさぎます。蚕を盗む蜂は細竹に住み着くのです。なんでも、いにしえの蚕民の知恵者が、泥棒蜂の住みかを無くすために編み出した技じゃと伝え聞いております」

「ふむう、すでに上古の時代、そんな理に気付いていた人があったとは……」

 思いもよらぬ言い伝えに、宗輔は深い感動を覚えた。人の暮らしの歴史とは、このような改良の積み重ねなのかもしれない。


 さて、郷長たち養蚕にたずさわる者の間では、泥棒蜂はことさら珍しくもないできごとではある。しかし宗輔の目には、この誘拐はとても興味深いありさまに映った。

「あの蜂は蚕を食うのだろうか?」

「蜂というものは、何を食うにしても、いちいち巣に運んでは蜂の子に与えて養う、そういう生きる術を持った虫でございます。巣を作り、子育てをする虫なのです。とられた蚕も、今ごろは巣の中で蜂の子の餌食となっておりましょう」


 でもいったい、巣はどこにあるのか? それは、すでに詰め物のされた山郷の細竹ではありえない。そして、運ばれた蚕はそこでどんなふうになっているのか。


(上古から人に警戒されてきた誘拐蜂が、蚕だけを食って代々その命脈を永らえてきたとは、とても思えぬ……)


 もしかすると、蚕以外に誘拐される芋虫もいるのではないか。

 気になりだすと止められなくなる宗輔は、この誘拐蜂がどこから来てどこへ帰るのか、無性に知りたくなった。巣を調べさえすれば、これらの疑問を解くための手がかりが得られるはずだ。


 数日にわたり手はずを考えて、宗輔は郷の者にもこまごまと相談し、ある目印を用意することにした。すなわち、蜂の子取りに使う目印を少し小さくして、かの誘拐蜂にくっつけてみる計画を立てたのである。


 山郷では当たり前のように蜂の子を食べる。その際、まずは親蜂を魚肉などの餌で誘い、肉の吟味に夢中となっている親蜂に、チガヤの綿毛や糸などを肉と一緒に抱えさせる。こうして、餌を持って帰る親蜂は、藪の中で目に付きやすい印を振り立てて、こっちだこっちだと巣のありかまで人を導くこととなる。


「若き殿はまだまだ稚気がおありのようだ」

 翁が面白そうに言えば、もう一人が、

「あれは食えぬ種類の蜂だろうに」

 つぶやくように言う。

「ずいぶん遠くまで行かねばならんはずじゃ。郷には管が無いからの」

 老人たちは面白がったり、蜂の子目当てなのだと思いこんだり、さまざまに噂した。


 目印の付いた蜂を追うには、藪を越えたり沢を渡ったり、かなりの身軽さが必要になる。若い男は河川工事にかり出されているため、助手は選ぶこともできず、子どもたちの他はない。小柄で身軽な山郷の子どもにとって、そもそも蜂の子取りは面白くて腹もふくれる実用的な遊びの一つだ。


 郷長が心配して渡してくれた虫除けの薬汁を肌に塗り込んで、宗輔は自ら山仕事の装束に身を包んだ。頭には格式高い立烏帽子を律儀に載せているため、それはなんとも奇妙な姿に見えてしまう。真剣ではあるが柔らかな表情で、彼は子どもたちに向かって言った。


「それでは、これから蜂の巣探しを始める。先に言っておくが、こたびは蜂の子取りが目的ではない。巣がまるごと手に入ればそれで良いのだ」


 こう語っている彼の足もとのすぐ右手には、指をくわえた二歳ほどの幼子が、不思議そうな顔で宗輔を見上げている。

 目の前にパラパラと立っている八歳前後の子どもたち、その間には明らかにがっかりした空気が漂い始めていた。子らの後ろには、幼児を連れた年寄りが何人かしゃがんでいる。皆ニコニコしてこの珍しい演説風景を眺めており、先ほどの幼子もいつの間にか婆ちゃんに抱えられている。


「蜂の子の代わりに、皆には良きものが用意してある。三日後には届くであろう。楽しみにしておきなさい」

 なんだろう? 良きものって? 子どもたちの表情に好奇心が浮かんだ。

「巣が見つかったら、そのまま手を触れずに、すぐ私を呼びなさい。では、餌用の蚕を」


 郷長が持っている一番大きな蚕室の手前、作業用に広げられた庭先に木の台があり、その上に桑葉を敷き詰めた平たいざるが据えられる。よく見ると、桑葉には何匹もの蚕がとりついている。

「では、頼みますよ」

「へい」

 翁がうなづく。若い頃にはさんざん蜂の子取りをしており名人と呼ばれていたそうだ。


 空は高く、柔らかな日差しが山郷を包み、かすかな風がときおり額に感じられる。名も知らぬ鳥が、盛んにさえずり合っている。


 ……待つ。待ちくたびれて子どもたちがつねり合ったり始めた頃、蜂取り名人が声をたてた。

「参りましたよ……よしよし、はい、付けました」

 蜂は蚕を抱えようと夢中になっている。名人は赤く染めた細い絹糸を輪にして待ち構え、誘拐されようとしている蚕に素早く結びつけたのだ。


 虫除けの薬汁を塗っている宗輔は、邪魔にならぬよう、翁の背後より少し離れた位置にいる。そこから子どもたちに声をかける。

「いよいよだ、みんな、頼んだぞ」

 てんでんばらばらな方向を見ていた子どもたちは瞬時に向き直り、桑葉の広げられた笊を凝視する。

 ふっ。赤い絹糸が浮いた。

「うわ、これは食えないやつだ」

「ああー、食えない」

 口々に言いながら、蜂のあとを追いかける。それほどの速度では飛んでいかないため、追う姿もどこかのんびりしている。


「足元に気をつけるんじゃぞ」

 郷長が声をかける。そのとき、

「見つけたー!」

 藪の向こうから子どもの声がした。

「ええ? 近いな。そんなはずは」

 いぶかしむ郷長と共に、宗輔は声の方へガサガサと向かう。藪の中をいくらか進んだところに、切り倒された細竹が数本、束のようになって横たわっていた。その周囲に件の蜂が舞っている。


「これは……冬だな。どこぞの童が冬に何か作ろうとして、刈ってみた竹なんだろうが、それを始末せず、放っておいたな?」

 竹の肌を見て、ぐるりと周囲をにらみつける郷長に、子どもたちはごくまじめな表情をしたまま、互いに顔を見合わせながら答える。

「知らん」

 極めつけのまじめ過ぎる表情で、年かさの男童が同意を求める。

「知らんよな?」

 弟のような子がきまじめに答える。

「ああ、知らん」

 その横に立つ子が、あまりにも真剣な顔つきを保ってぽつりと言う。

「なんも知らん」

「……まったく、童というものは、本当に」

 温厚な郷長が珍しくぶつぶつ言っている。

「うむ、まあよい、少し観察しようぞ」

 郷長と子どもたちの後ろから宗輔が一言を発し、場が静かになる。

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