第二節

蚕の郷 (4203字)

 国府での儀式三昧と連日の歓迎宴が終わったころ、宗輔はある山郷の資料を調べ始めた。ここでは、米が作れない。代わりに、生糸紡ぎと林業が主な産業となる。桑の木は根が張るから土止めにちょうどいいという、そんな土地柄である。問題は、桑葉の急激な不足にあった。


 三年前、桑原に害虫が大発生した。毛虫どもが何種類か蔓延し、かなりの桑葉を食ってしまった。そのため、近隣荘園から葉を買い取らねばならぬほどの、今までにない被害を被っている。

 養蚕は、文字通り蚕の世話を中心とする産業ではあるが、桑の木の世話もまた大切な仕事のひとつなのであった。桑原の見回りを強化し、害虫を見つけ次第捕殺すれば、このような虫害は改善されるはずだ。


 ただ制約となるのは、人手が足りないことだった。税として収めるものは生糸の他に、労働力の提供が定められている。このとき、具体的には、国府に近い場所での河川土木工事へ人手が必要とされ、村の男衆がほぼ全員出払っていた。畑仕事も養蚕も、実際のところ女子どもと老人の手によっていたのである。このためどうしても、人の目が届かぬ部分が出てしまう。


 そもそも養蚕と製糸は女手による作業の多い仕事ではある。しかし、男衆が出払い、郷での生活に必要とされる作業のすべてを、何でもかでも年寄りと女子どもとでやりくりせねばならぬのは、やはり無理のあることなのであった。


 害虫を追い払うには蚊遣りのような、虫の嫌がる草木をモクモクといぶす方法もあるにはある。だが、いかんせん、蚕も虫の一つである。いぶした桑葉は、蚕にとっても致命的なしろものとなってしまうのだ。


 さらに、この害虫が年々被害を拡大させていることが明らかになった。見回りと捕殺だけでは打つ手が足りない。公領から発生したこの虫害がよその荘園の桑原にまで及ぶことは、なんとしても阻止しなければならない。


 結局、五月もおしせまった蚕の世話を始める季節となり、宗輔は直々に現地へ向かうことになった。備前守からの指図もあり、ごく小人数の騎馬隊が仕立てられ、見送りも簡素なものにとどめられた。


 街道を下り、山を越え谷を渡り、ときには、この先にまだ人家はあるのかと危ぶむほどの道を通り、馬の背に揺られ山郷を目指す。平伏する牛引きの向こうには、まるで祭礼の山車かと見まごうばかりに材木を背負わされた牛がいる。牛というものはこんなにも多くの荷を運べるのか。牛車を牽けるのだから当然かな。いや、それにしても、牛の体が見えぬほどの本数ではないか。今まで直面したことのない光景に、宗輔はいちいち感心する。


 尾根にさしかかり頬を過ぎるのは、緑の香りをいっぱいに含んだ清々しい風。峠からふり返り眺むれば、見える限り森林がどこまでも続き、それぞれの樹影は風を受けて、備前の山並みのすべてがゆったりと揺れ動いているかのようだ。


 すけの補佐をする役人であるじょうは、国府から宗輔を見送る際、まことに気の毒そうな顔をしていた。駆け出しの若殿が無理難題をあてがわれておかわいそうにとは、とても口にはできぬものの、表情にはその思いがありありと読みとれるのだった。


 だが、若き宗輔は山郷に向かう途上、都や国府では感じたことのない空気の爽やかさや、カリカリに焼いた川魚の旨さ、人々ののんびりした古風な様子に、締め付けられていた心を解きほぐされるような気がしていた。


 田の開けぬ山郷はもとより、都でも庶民はふだん雑穀を食している。粥やら姫飯ひめいいにして朝な夕なに白い米をほおばれるのは、貴族か、あるいはごく富裕な者に限られている。それでも宗輔は少し興味が湧き、道中の里に宿る際は、国府から持参した米に替えて雑穀を噛みしめてみることにした。都ではお目にかからない山菜料理と共に、それは宗輔の舌を驚かせるものであった。


 供人ともびとたちは目を伏せて唇を噛んでいる。先ほどまでは宗輔にいろいろ申し上げて、やめさせようとしていたのだが。


(四代さかのぼれば親王につながるお家柄じゃぞ)

(帝の笛のお相手でもあらせられるとか)

(何故、かようなひなへと)


 押し黙る者どもの念頭には〈 追放 〉の二文字が浮かんでいる。


 だが、宗輔には彼らの悲しみが分からない。都を立つとき、すでに何かの覚悟ができていたからだろうか。きらり。汗なのか涙なのか、うつむいた供人の乾飯かれいいに水滴が落ちた。宗輔は思う。


(……ああ、これは、あの東下りの、「みな人、乾飯の上に涙落としてほとびにけり」か。そのときもこんな様子だったのかな)


 馬を連ねているせいもあり、谷道や茂みでは虫がまとわり、払子を頻繁に振るわねばならぬほどだ。気がつけば、めったやたらと虫がいる。それも、大きい。もちろん都でも虫は見るけれど、こちらの方が格段に生きが良い、と言っては変だろうか。梅雨前の比較的乾いた時期にこの状態だということは、暑さと湿気のそろう盛夏にはどんな虫世界になり果てるのやら。


「殿様におかれましては遠路はるばる、まことにもって、ありがたき……」

 郷長さとおさが這いつくばって申し上げる言葉を聞き終えると、宗輔は歓待の宴を柔らかく断り、仕事に支障をきたすゆえ平伏は今後一切せんでいい、直答じきとうも許す、と申し渡した。また、宴のために用意されたものは無駄にせぬため、供人や馬引きに行き渡るよう手配した。そして、到着したその日のうちに、宗輔は桑原を見て回った。


 こういった殿上人らしからぬふるまいを見て、郷長と年寄りたちは口を開け放して驚いた。こたびの殿は本当に仕事をなさるおつもりじゃ。税をもっと出せとだけ責められるかと思っておったがの。


 次の日から、宗輔は郷の養蚕作業をそれぞれつぶさに点検した。権介の任務が決定してより、できるだけ文献を読み、都の近郊にある荘園におもむいて養蚕の実際を聴き取るようにはしてきた。ただ、それはまだ寒い季節であったため、残念ながら実作業をこの目で確かめることはかなわなかった。まあよいだろう。これからは思う存分見て回れるのだから。


 桑葉摘みをする際、山郷の人々は古風にも鳴弦めいげんを欠かさない。よろずの物の怪、魑魅魍魎を遠ざける技として、鳴弦は都でも上古から行われてきた。今でも内裏の儀式には必ず鳴弦がなされている。


 ふつう、弓の弦には麻を使う。ここでは蚕場の儀式として、ことさら絹の弦にこだわっているようだ。絹糸を撚って仕立てた弦は細く、しかも丈夫であり、小弓に張って鳴弦させると高く澄んだ音色を響かせる。小弓を持った子どもがビインビインと音を立てる様子には、いにしえの風雅を思い起こさせる趣がある。だが、言うまでもなく、鳴弦をたびたびすれば虫害が減るというわけにはいかないのである。

 かつては都の桑畑でも、葉を採る際にはしばしば鳴弦が行われていた。しかしそれも近頃では、「はるか昔にはそうしたものだ」という類の話となっている。平晏京に遷都してから二百年あまりが過ぎた今、桑葉摘みにいちいち鳴弦をおこなっているのは、あまりにも古風な景色に見えてしまう。つまり、藁にもすがる思い。この山郷はそれほど追い詰められた状況にあると言えようか。


 桑の葉は毎日三度、摘み取っては点検し、蚕に与えなければならない。食えば出るのが道理だから、汚れは掃除して取り除かなければならない。一方で、蚕の落とし物には薬草博士が珍重するような効果がある。薬品名では蚕沙さんしゃと呼び、節々の痛みや腹痛に効くとされている。そのため、ころころした暗緑色の固まりは丁寧に集められ、湿気を除いて、大切に保管される。時期が来れば専門の商人が訪れて、売り上げは山郷の貴重な副収入となる。


 桑葉を摘み取り、蚕に与え、蚕沙を集め、また葉を摘み取る。養蚕の時期は、こうしてめまぐるしい毎日が延々と続いていくのであった。


 今はとりあえず、桑葉に生み付けられた虫の卵は見つけしだい取り去り、潰している。毛虫の大発生した枝は、元の大枝から切り落として火にくべている。しかもこの作業は、桑葉を傷つけないよう丁寧に行う必要がある。傷んだ桑葉は蚕に与えられない。雨に当たった桑葉でさえも、思わぬ病気の引き金となったり生糸の質に影響が出るからだ。桑葉の管理は養蚕全体の成果を決するほどの、きわめて重要で手間のかかる、やっかいな仕事なのである。


 それに加え、郷の桑はのびのびと大きく育っているものが多い。平晏京周辺の桑原では見られない光景である。人の背丈の三倍ほどにまで伸びている桑の木を見て、宗輔は素朴に疑問を持つ。

「都では桑を低く仕立てておってな、その方が葉を集めやすいのだが」

 郷長は申し訳なさそうに答える。

「桑を低く仕立て直したい、あるいは桑原を広げたいとか、やりたいことは山々あるのですが、どうにも人手がかかりますゆえ、八方ふさがりでございます。先祖伝来の桑はわしらの幼きころにはもう、この高さになっておりました。手の届かぬ枝からは、ご覧の通り長柄の鎌にて葉を刈っております。また、桑を新たに植え増やしますと、そこには本数当たりの税がかかってきます。それを納めるためには、また大変な労力が必要となってしまいます」

 苦しい状況を明かされ、宗輔は黙ってうなづくしかなかった。


(何か見落としはないか。人手に頼らずとも、改善の手がかりとなるものはないか)


 桑の木の管理、桑葉の集め方、害虫の捕殺、害虫の形態と種類、集めた桑葉の保存管理、蚕室の風通し、蚕棚の素材にいたるまで、それこそ目を皿のようにして、宗輔はあらゆる作業や道具をじっくりと見つめ続けた。だが、あまりにも夢中になったためだろうか、

「うぅーん、蚕が、蚕が……か、いこ」

 ガクッと倒れ込む宗輔。すぐそばに控えていた郷長は慌てふためき、助け起こす。

「と、殿、お気を確かに! うわ、目がグルグルと回っておられる! 根を詰め過ぎですぞ!」


 こうして、次の日には郷はずれの沢にある出湯へ運ばれ、休養を三日とらねばならなかったほどだ。出湯は、その昔、なんぞの上人が見出して以来、湯治場として使われている。


 この失敗に反省して、若き殿は折を見つけては山道をせっせと歩くようになり、近い場所なら馬にも乗らず、出湯にもしばしば訪れて休養もしっかりとり、つまりできるだけ体力を付けるような努力を始めたのだった。


 さて、山郷に至ってからしばらくしたころ、宗輔はこうした熱心すぎる観察を通して、一つの現象に気がつくこととなった。それは、蚕を誘拐していく蜂の存在についてであった。 

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