第二節

砂の島 (3313字)

 漂流三日目、まだ経験の足りないダグマダが舵持ちからたしなめられていたとき、若い水夫ドゥブラが叫んだ。

「島影だ!」

「ほうらね、若、この海域は沈みさえしなければね、船首を北にさえ向けられれば、そのうちどこかに打ち寄せるんですよ」

 ダグマダはおとなしくうなずいた。

「でもね、その打ち寄せる先が問題なんだ。ここからが大変ですよ、若旦那」


 小さな島影には断崖が無かった。ごく平坦な砂州のような地盤だ。この点から、ここは噂の首狩り島でもなければ、訪れる者をことごとく拒絶する絶縁島でもないなと判断し、船をどうにか浅瀬へと導く。目の前には、砂浜に縁取られた椰子の林が広がっている。椰子の根方には藪が茂りに茂っており見通しがきかず、人家も人煙も認められない。停止した船上で、一行はまず航海母神に祈りを捧げた。続いて、すぐさま船体の手入れにとりかかった。


 船を構成する板は、それぞれ丈夫なココ椰子繊維の綱によって連結されている。鉄釘は一本も使われていない。柔構造の船体は、岩礁に乗り上げても変形することで衝撃を吸収し、船体に穴の空きにくい仕組みになっている。まことに先祖代々の工夫が重ねられた、知恵の結晶と言えようか。


 そして、綱を通す穴や板と板の間から海水が入らぬよう、鯨の脂肪を配合した充填剤が外側から塗り込められている。これは、精製した鯨油と鮫油・鰯油・珊瑚石を焼いた石灰とを混合した物なのだが、船員たちは簡単に鯨油ワダクと呼んでいる。海の物は海の物にという、これも先祖から伝わる技法だ。


 普段でも、塗り込め作業はできるだけ三月に一回は行われているし、特に船体が軋んだ後には、決して安くはないワダクが大量に必要となる。

 水夫たちは作業しながら、航海母神に感謝する歌を口ずさむ。食糧も水もまだ豊富にあり、舵持ちの表情もいくぶん柔らかくなっている。

「とにかくこの作業をすませないことには、安心の土台って申しますかね、それがね」


 一方、ダグマダは積荷の点検をする。水にやられた荷は見当たらず不幸中の幸いではあったが、この先の行程によっては、諦めねばならぬ品物も出るかもしれない。

 その日は船体補修に全力を注ぎ、念のため船中泊することとなった。


◇ ◇ ◇


 次の朝、主柱に使える木材を探そう、ひょっとして人家があればと、ダグマダ、ジャフミィ、ドゥブラの三名が偵察に出た。とりあえず浜に沿って歩いて行く。


「怪物とかいなければいいんですけどね?」

 槍を担いで、まだ若いドゥブラが上目遣いの顔で心配する。ビィイン、弦を弾いて弓の調子を見ながら、ジャフミィがからかう。

「まずそんなものはいねぇよ。恐ろしいのはな、首狩りだとか人食いとか海賊のやつらだよ」

「やめてくださいよぉ」

 ジャフミィは全くやめずに続ける。

「でもまあ、世界は広い! 西方人によるとだな、体は人なのに頭だけ犬そっくりの形をした連中がいるんだそうだ。そんな奴らがうじゃうじゃ住んでる島があるんだってよ。あとな、その近くには一本足の怪物もいて、そいつは自分の足を空中に掲げて日傘代わりにするんだと。それからもっと西にゃあな、見上げるようなどでかい銅像がドカドカ歩き回って警戒している島ってえのが」

「ほんっと、やめてください、お願いします」


 今のところ人家は見えない。ダグマダは考える。やはり小さめの木をいくつか組み合わせて臨時の帆を作った方がいいのだろうか? できるだけ手のかからない方法はないか。


 どこまで行っても真っ平らな砂地と林立する椰子だけが続く。風は柔らかく、天空には一点の雲も無い。だが一行は、そんな景色を愛でるほどの余裕を持ち合わせてはいない。黙々と三人は歩いて行く。


 しばらく進むと、いきなり視界が開けた。今まで小ぶりの島だと思っていたけれど、この展望からすれば、非常に細長い弯曲した島の突端近くへ到達したことになる。そして。


「あれは、家か」


 はるか彼方、弓なりに続く砂浜の果てに、奇妙な突起を持った屋根が見える。ここからでは豆粒のような大きさに見えているけれど、椰子の葉で葺いた屋根に、いくつも突きだした巨大な突起、あれは、どう見ても、骨の白さだ。ということは。


「用心して近づいてみよう」

 ダグマダの言葉にうなずく二人。見つからないよう藪に姿を隠しながら、そろそろと、かなりの時間を費やして忍び寄る。乾いた砂が足先に絡む。見えているのになかなかたどり着くことができない。

「航海母神さま、航海母神さま、航海母神さま!」

 つぶやくドゥブラ。


 やがて、人の顔が判別できる程までに至ったとき。

「なんだありゃあ」

 大きく弯曲した骨が屋根から突き出ている家は、周囲に古風な雰囲気を漂わせて五軒並び、その門扉は、明らかに鯨の脊椎骨で作られている。さらに、なんということか、門の横にはグプハーラ語で、

「いらっしゃいせま」

 と書いてある。歓迎の意を表しているらしい、と思いたい。なにやら人影も二人ほど蠢いている。いくつも並べた樽を、並べ直したりころがしたり。奥には簡単な船着き場もある。


「これは鯨村の類じゃないか」


 言うまでもなく、鯨はたやすく狩れるものではない。けれど、弱ったものが浜に漂着でもすれば、それは食糧になる他に、油もヒゲも筋も余すことなく利用できる、いわば〈海の宝〉となる。あえて危険を冒さず、もっぱら地の利を生かして漂着鯨を回収し、主に充填剤ワダクを生産する、そんな〈鯨村〉が大海中にいくつも点在することは、話としては何度か聞いたことがある。


 ダグマダが思い起こしていると、人影のうちの一人が、ひょいとこちらを見つめた。

(ままよ!)

 意を決して、ありったけの笑顔を作り、手を振りながら、グプハーラ語で話しかけてみる。先ほど気づいた変な看板にも使われていたではないか。たぶん通じるはずだ。

「こ、こにちは! わたわた私たち、あれよ、鯨に、ドガンて」

 鯨村の男は、身振り忙しく力説するダグマダから目を移し、後におとなしく控えて会釈してくるジャフミィとドゥブラの様子をじろじろ観察しながら、ゆっくりと応える。

「なにね、あんたら、マクハルラの人ね? 東からとは珍しいな。流れ着いたか?」

「そうそう、困たよ。ワダクほしいよ」

「あー、はい、ワダクいっぱいあるよー。良いワダクだよ。この上ないワダクね。よそとは違うの品質」


 男は分かりやすいグプハーラ語で話してくれる。三人の間に安堵感が広がる。事情を話し、ワダクと水、食糧を分けてもらうことにした。もちろん、買い付けるのだ。


 鯨油ワダクは船板の充填や外壁塗装に高性能を発揮し、当然のことながら高い値で取引される。しかもダグマダたちの故郷・交易都市マクハルラでは、富裕な大手船主が独占買い付けする事態もしばしば起きている。そのため、このとき、ワダクは当座の充填剤という以上に、魅力的な商品とも言えるのだった。ここでダグマダは提案した。


「わたしたち、少しだけの鉄と香辛料いぱいありますね。選んで選んだ、肉豆蔲と丁子。あと木綿布」

「うむ、鉄と木綿、ちょうどいいね。それから丁子、肉豆蔲と。ふむ、いいだろう」


 売る側からすると、香辛料は早くさばきたい品物だ。イスラァミィ諸都市まで持ち込みたいのは山々だが、背に腹は替えられぬとも言うではないか。いくらか手元に残るように交渉してみるか。


 ただ、胡椒には触れない。あれだけは別格だ。どうしても西方まで持って行きたい。いにしえの大秦国では学者が嘆いたそうじゃないか。あんな、甘くもない旨くもないものに、どうして黄金をつぎ込むのか、と。それほど、西方人は胡椒をほしがるのだ。


「では鉄・木綿・丁字・肉豆蔲で支払いましょう」

「ともあれ、話は船をこっちに移してからだな。風向きがいいから、南砂州からすぐ来れる」

 仮契約もとりあえず済み、どうしようかなと迷った挙げ句、ダグマダは看板を指さし、

「これ、綴り、間違てるのところが」

「ん、ああ、それはな、そう書いておくとな、グプハーラの人たちが見て笑って、品物を買ってくれやすくなるって寸法よ」

「お、おう、深謀遠慮」

「そうそう。でもどういうわけか、この時期たんと仕入れに来るはずなんだが、まだグプハーラからぜんぜん来ないんだよね、船が。何かあったのかね?」

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