距離を縮めて。

藍原ソラ

第1話

 あたしの好きな人、寡黙でシャイな里見くんはものすごい強敵だ。


 あたし、山田鈴花の身長は悲しいくらいに低い。もう十七歳なのに、服は子供サイズでも余裕で入るし、毎回小学生に間違われる。

 友達には小さい方が可愛くていいじゃないとか、子供料金でも大丈夫なら安くすんでラッキーじゃないとか言われるけど、そういう問題じゃない。

 好きなデザインの服が身長のせいで壊滅的に似合わないとか、毎回学生証を提示しなければいけない煩わしさとかは、自分がその立場にならなければ分からないのだろう。

 あたしは、子供っぽくて可愛いって言われるより、大人っぽく綺麗だって言われるような人になりたいんだよー。

 そんなコンプレックスを抱えるあたしだけど、今、好きな人がいるんだよね。あたしが恋をしているのは、同じクラスの人だ。

 席替えのくじ引きで隣の席になった、里見くん。あたしはこの身長のせいで困ることも多いんだけれど、そんな時にさりげなーく助けてくれるんだよね。何度か助けてもらううちに、気付けば好きになっていたんだ。

 友達の中には、里見くんは普段無口だから、何を考えているか分からなくて怖いから苦手だって言う子もいるみたいだけど……。

 たしかに、里見くんは自分から話そうとはしないけれど、彼が優しいことはちょっと一緒に行動すればすぐに分かるのになぁ、と思う。すごく、もったいないなぁ。

 ……いや、ライバルは少ない方がいいから、これはこれでいいのか。みんなが里見くんの優しさに気付いて、好きになったりしたら、困る。子供っぽく見えるあたしじゃ、太刀打ち出来ないじゃない。

 友達に好きな人が出来て、相手は里見くんだと報告したら、そこそこイケメンだけどもっとコミニュケーション能力が高くて明るい人の方が鈴花には合うんじゃない、なんて返されたりもするんだけれど……。

 クラスのそういう男子はなぜかあたしの身長をイジってくるから嫌なんだよね。それに、あたしは明るい人より、優しい人がいい。

 ともかく、あたしは里見くんのことが好きで――……そして、告白の機会はあっさり訪れた。

 彼をどこかに呼び出したわけでも、ラインで告白したわけでもない。本当に偶然、ふたりきりになれたのだ。

 告白の機会を待っていて、この状況! これって、運命に違いない!

 単純なあたしはそう思って、勢いのまま里見くんにストレートに想いを伝えた。

 その時のことは、昨日のことのように思い出せる。……というか、実際、昨日のことなんだから、覚えていて当然なんだけど。


「――……里見くん! あなたのことが好きです! あたしと付き合ってください!!」

 ふたりきりの放課後の教室でそう言うと、里見くんは驚いたような顔をして、それから困ったように瞬きを繰り返した。

「……えっと……ありがとう、山田さん。……でも、俺……」

 そこで言葉を切って、里見くんは言葉を探すように視線を彷徨わせる。嫌な雰囲気の展開に、あたしは既に泣きそうだった。

 でも、なんて言われたら、お断わりの言葉以外に何かあるだろうか。少なくとも、いい言葉ではない気がする。

 運命だと思ったのに、何でこんな展開になってるんだろう。

「……ほ、他に好きな人がいるの……?」

 なんとか声を絞り出して、おそるおそる尋ねると、里見くんはぶんぶんと首を横に振った。

「いや、そうじゃなくて……。……ほら、俺こういう性格だからさ、恋愛とかまだいいかなって……。だから、山田さんのこともそういう目で見るのは、難しいかなって、思って……」

 そう言って、里見くんは再び言葉を探すように口ごもった。

 里見くんが無口になるのは、主に女子に対してのみだ。家が男所帯で、女子と話すのはちょっと苦手だし気恥ずかしいって、そういえば前に言っていたなぁと思い出す。

 草食系男子の里見くんは、積極的に女子と関わるタイプでもないし、告白をしてもこんな答えになるのを想定しておくべきだったかもしれない。そう思っても、既に口に出してしまったのだから後のまつりだ。

 あたしがどうしようと悩んだのは、一瞬だった。

「……ねえ、里見くんは、あたしのことは嫌い?」

「え? いや、そういう訳じゃないけど……」

「クラスメイトとか、友達としてなら、嫌いじゃないよね?」

「まあ、そう、だね。……好き、かな」

 あたしの問いかけに、里見くんは困ったように応じてくれる。あたしが何をしたいのか分からないのだろう。

 困らせてしまっているのは、分かる。でも、あたしは諦めたくなかった。だって、彼に他に好きな人がいる訳でもないのに。嫌われていないなら、頑張れば、振り向いてくれるかもしれない。そう思ったら、簡単に諦められない。

 今、この時間、ふたりきりになれたのが運命なら、このまま突き進むしかない! そう思った。

「じゃあ、明日! 明日、土曜日だし、あたしと遊ぼうよ!」

 気付けば、あたしはそう言っていた。

「えっ!? あ、明日!?」

 唐突な申し出に、里見くんは目を丸くした。

「一日一緒にいてみれば、あたしのこと女子として好きになれるかどうか分かるかもしれないじゃない! 遊んでみて、恋愛対象に見られないって思ったら、それでいいから!」

 あんまり必死なあたしの様子に、断るのは難しいと思ったのかもしれない。

「わ、分かった。……じゃあ、明日遊ぼう」

 里見くんは頷いてくれたのだった。


 そんなやりとりがあって、そして今日。あたしは今、恋愛に興味がない里見くんとデートをしている真っ最中なのだ。

 昨日、あんな風に宣言した手前、あたしは今日中に里見くんの恋愛対象にならなければならない。……自分で言っておいてなんだけど、難易度が高すぎる気がする。恋愛に興味がない人を振り向かせるなんて、里見くんはものすごい強敵だ。勢いだけだった昨日の自分に、ちょっと文句を言いたい気分だ。

 昨日、半ば強引に約束を取り付けたあと、あたし達はその場で別れて、どこに行くかはラインのやりとりで決めた。

 炎天下の外を歩き回るのはちょっと嫌だし、ちょうどお互いに観たい映画があって、それが一緒だったので、映画館デートをすることになった。

 だから、今あたし達がいるのは地元からふた駅離れたショッピングセンターだ。

 このショッピングセンターはこの辺じゃ一番大きくて、映画館も併設されているんだよね。ちょっと遊ぶなら一カ所に色々とあるから、すごく便利だ。

 映画を観て、お昼を食べて――その後は、まあショッピングセンターだし、ゲームセンターでもウインドウショッピングでも、どうとでもなるよね! という、いきあたりばったりのプランだ。近くにはからおけもボーリング場もあるしね。

 まあ、あたしはデートだと思ってるけど、里見くん的にはあくまで遊んでるだけなので、これくらい余裕があるほうがいいんじゃないかなと思う。詰め込みすぎてもいけないよね。

 最寄り駅が違うので、ショッピングセンターのある駅の改札で待ち合わせをして、ショッピングセンターの中を映画館に向かって移動中な訳だけど――……。

(くっ! 距離が遠いっ!)

 駅から映画館への距離じゃなくて、あたしと里見くんとの物理的距離が、だ。

 いや、恋人じゃなくて、あくまでも友達なんだから当然といえば当然なんだけど。でも、里見くんの斜め後ろ三十センチの位置をぱたぱたと忙しなく歩いていると、なんだかもどかしい気分になる。

 隣を歩けないのは、単純に身長差によるコンパスの長さのせいだ。里見くんはちっこいあたしに合わせようとゆっくりめに歩いてくれてるんだけどね。歩幅のせいで、あたしは早足にならざるを得ない。

 ――……身長! 身長のせいだから! あたしの足が短いせいじゃないからね、断じて!

 そんなことを考えながら、里見くんに視線を向ける。制服じゃない彼を見るのはもちろん初めてで、なんだかどきどきする。私服だと、やっぱり雰囲気変わるなぁ。

 そんなことを考えていたら、急にこの距離間が寂しくなってきてしまった。

 教室では隣の席だから、自然に見ることが出来た横顔。その見慣れた顔をいつもより少し後ろの位置から見ていると、一緒に出かけてるのにいつもより遠くなってしまったような気がする。

 そういえば、待ち合わせで顔を合わせてから、里見くんの笑顔を見ていない。心なしか、いつもより素っ気ない気がする。今だって、会話ひとつないし。

 そんな風に色々と気付いてしまったら、あたしの浮かれた気分はずーんと一気に落ち込んでしまった。

 昨日はあんなにポジティブだったのに、なんだかおかしい。なんで、嫌な方、嫌な方に考えちゃうんだろう。あんなに楽しみにしていたはずなのに、今は里見くんを半ば無理矢理ここに連れ出したことを、後悔しはじめている。

 あんな風に必死にすがったら、優しい里見くんが断れるはずないじゃないか、それで好きになってもらおうとか何を考えてるんだあたしは、とか色々考えはじめたら余計に暗い気持ちになった。

 高かったはずのテンションは元に戻るどころかぐんぐんと下がっていき、思考はあっと言う間にネガティブまっしぐらだ。

 昨日の夜から悩み抜いて気合を入れてしてきたオシャレも、背の低いあたしには似合ってないかもしれない。

 男子の平均くらいには身長がある里見くんと並んでもきっと釣り合ってないし、そんなあたしと並んで歩きたくないと思ってるかもしれない。だから、こちらをちらりとも見ずに映画館に向かって歩いているのかも。

 そんな風に思ったら、あたしはここに何をしに来てるのかすら分からなくなりそうだ。

思わず小さくため息をつきかけ――それじゃあ、今付き合ってくれている里見くんに失礼だと、顔を上げる。

 けれど。

「……あれ?」

 あたしの斜め前を歩いていたはずの里見くんの姿が、ない。ぼんやり考え事をしているうちに歩速が緩んで、距離が開いてしまったらしい。

 休日のショッピングセンターは家族連れやカップルで混み合っていて、背の低いあたしの視界は完全に遮られてしまう。あたりを見回してみても、彼の姿は見えない。

 それでも周囲に視線を巡らせながら、あたしは鼻の奥がつんとするのを堪えた。

「……はぐれちゃった……?」

 口に出さなければよかった。口に出したらじわじわと悲しくなってくる。

 はぐれたって、連絡先は交換してるのだから電話なりラインなりすればいいのはわかっている。分かっているけど――……今、この場所でひとりなことが寂しくて、悲しい。だって、彼はあたしが遅れていることに気付いてくれなかった。じわりと視界の端が滲む。

 こんなに人出が多い中で、あたしは一体何をしてるんだろう。みんな楽しそうなのに、あたしは一体どんな顔をしているんだろう。

 カバンの中のスマホが振動しているのは感じたけれど、スマホを出すことすら出来なくて。

 あたしは、迷惑にもたくさんの人がいるショッピングセンターの通路の真ん中で、立ち竦んでしまった。


「――……山田さん!」


 どれくらいの間、あたしはぼんやりとしていたんだろう。かけられた声に反射的に顔を上げると、そこには里見くんの姿があった。

 いつの間に、そこにいたんだろう。あたしの姿がなく、スマホにも応じないから心配して戻って来てくれたに違いない。

 そう分かっているのに、謝らなきゃいけないはずなのに、何を言えばいいのか分からなくて。あたしは開きかけた口を閉じて、顔を少しだけ俯かせる。この距離なら、目尻に滲んだものは見えないはずだ。

 名前を呼ばれたのに返事も出来ずにいるあたしの姿を見て、里見くんは小さくほっと息を吐いてから、安堵の表情を浮かべて近づいて来る。

「よかった、見つかって。ごめん、はぐれちゃって。こんなに人が多いんだから、俺がもう少し気にかけてればよかったね。……山田さん?」

 反応のないあたしの様子を訝しんで、里見くんはあたしの顔を覗き込んでくる。こうなっては、もう誤魔化しようがなかった。あたしの目尻に浮かんだ涙に気付いて、里見くんは困惑と心配とが混ざった複雑な表情を浮かべた。

「ど、どうした? 大丈夫? 具合悪い? 怪我した?」

 あたしは、黙ったまま首を横に振った。彼が困ってるんだから、何か、何かを言わないと――……!

 そう思うのに、思考はまとまらなくて、言葉は何ひとつ出てこない。

 心の中を渦巻くのは、嫌いにならないで、好きになってという自分勝手な感情ばかりだ。

 黙っていても何も伝わらないのに、何を伝えればいいのかも、何を伝えたらいいのかも分からない。

 そんなあたしの感情――自分でも複雑すぎると思う――を察したというわけではないだろうけれど。里見くんは困ったように視線を周囲に巡らせてから、あたしを見て穏やかな優しい声で問いかける。

「……具合が悪いわけじゃないなら、少しそこのテラスに出ようか?」

 そうして、彼が指差した先には外へと続くガラス扉があった。


 テラスは、もの凄く暑かった。雲ひとつない、よく晴れた真夏日で、しかも日光に照らされているのだから当然だ。

 天気予報で今日が特に暑くなると分かっていたからこそ、遊園地や動物園などの屋外デートではなく、屋内デートを選択したのだ。

 外に出た瞬間から感じるまとわりつくような熱気と、じわりと浮かんでくる汗に、里見くんに悪いことをしたなぁと申し訳なくなる。

 そこはテラスというよりも外廊下といった方がふさわしいかもしれない。申し訳程度にベンチが備え付けられているけれど、自動販売機も何もない。なんでこんな場所作ったんだろうとつい思ってしまうような空間だ。

 景色はいいから、気候がいい季節なら、ここから外の風を感じても楽しいのかもしれないけれど、今はその良さをまったく感じられない。

 もちろん、こんな暑い日にわざわざ空調の効いた涼しい施設からここに出てこようなんて思う人がいるはずもなく、あたしと里見くん以外に人の姿はなかった。

(なんか……さらに申し訳ない気持ちが増す……。ごめん、里見くん)

 けれど、さっきまでの人混みがなくなって、少しだけほっとしている自分がいるのも確かだ。そんなあたしの気持ちを読んだみたいに、里見くんが笑いかけてくれる。

「暑いけど、人混みがないと少しすっきりするね。俺、あんまり人混み得意じゃないんだよなぁ」

「うん……。分かる。あたしも、人混み苦手」

 意識して口の端を持ち上げれば、なんとか、笑うことが出来た気がする。

 でも、彼は心配そうな表情のままだ。

「……山田さん、大丈夫? ……気が回らなくてごめんな」

 その言葉に、あたしは慌てて首を横に振った。里見くんのせいじゃないのに、謝らせちゃダメだ。

「ち、違うの! 里見くんのせいじゃないよ! あたしがぼーっとしてたからいけないんだよ! あたしの方こそごめんなさい! スマホも、とれなくて……連絡、くれたよね!?」

 そう言い募るあたしに、けれど、里見くんは首を横に振った。

「いや、こんなに人出が多いんだし、俺が山田さんのこともうちょっと考えて歩けばよかったんだよ。人混みかき分けて歩くの、女の子には大変だよな。気がきかなくてごめん。……その、い、一応、デートなんだし……」

 少し照れたような顔で、口早にデートと口にする彼に、単純で現金なあたしの心は少しだけ浮上する。

 デートだと思っていたのは、あたしだけじゃなかった。里見くんもデートって、そう思っててくれたって分かっただけでなんだか嬉しいだなんて。

「う、ううん……」

 嬉しくて、でもなんだか照れくさくて、あたしはそれしか言えなかった。それは、里見くんもそうだったのだろう。向かい合ったまま、ふたりして黙り込む。

「……ちょっとだけ、座って話さない? まだ、映画までは時間あるし」

 里見くんの提案に、あたしはこくりと頷いた。そして、近くにある辛うじて日陰の中にあるベンチに向かう。あたしがふたりがけのベンチの端の方に寄って座ると、里見くんも同じようにベンチの端に寄って座った。

 お互いに端に座っても、そんなに大きなベンチじゃないから、ふたりの距離はそんなに遠くはならない。さっき、歩いていた時と同じくらい、三十センチの距離だ。

 教室で見ている横顔がいつもより少しだけ近くて、なんだかドキドキする。さっきまでは遠いと感じていた距離を近いと感じるんだから、不思議だ。

「――……ご、ごめんね! 泣いちゃったりして! ただでさえ子供っぽくみられるのに、あんな風に泣いてたらまるっきり子供だよね! 本当、恥ずかしいわ!」

 照れ隠しに口走ったのは、先ほどのことで、なんで自分から進んでこの話題に持っていくのかと少しだけ悔やむ。

 考えるより先に動いちゃうのは、あたしの悪いところかもしれない。

 でも、泣いているのは見られてしまっているし、いつまでも避けられる話題でもないだろう。こうやって座ってしまった以上、遅かれ早かれ話さなければならない。

 なら、自分から切り出したほうがいくらかマシな気もする。

「……でも、山田さんが泣いたのは、俺のせいだろう? 普段の山田さんだったら、ああいう場面でも泣かないと思うし」

 里見くんに申し訳なさそうに言われて、あたしは慌ててしまった。そんな風に思ってほしくなくて、ほとんど何も考えないままの言葉が口をついて出る。

「いやいや! あたしが悪いんだよ! 勝手に落ち込んで、勝手にはぐれて、それで勝手に悲しくなって泣いちゃったんだから!」

 里見くんが、わずかに眉をしかめた。

「……落ち込む?」

 里見くんのオウム返しの問いかけに、あたしはあっと声を出して固まった。しまった。また、なんか余計なこと言ったかもしれない。

「……なんで、落ち込んでたの? よかったら、話してくれないかな?」

 そう言われて、あたしは里見くんから視線を外した。授業を聞いている時みたいにまっすぐ前を見ると、少しだけいつもの調子が戻って来る気がする。

 何度か深呼吸をして、なるべく考えをまとめながら、話し始める。

「えっと……。あたし、昨日は告白のテンションで異様にポジティブでね、嫌われてないなら望みはある! 好きになってもらえばいいじゃない! って思って……そう思ったら諦められなくて、それで、今日誘ったの」

「……うん」

 自分の性格は明るくて前向きな方だとは思うけれど、思い返せば昨日のテンションはちょっとおかしい。そもそも、ふたりきりになっただけで運命だとか思っちゃう時点から、何か変だ。告白ハイってあるのだろうか。

「……けど。今日になったら、なんだか色々考えちゃって。一緒に歩いてても釣り合わないかな、とか、そもそも昨日無理矢理誘った時点で嫌われててもおかしくないじゃないの、とか」

 隣に座る里見くんの顔は見ない。見るこつとが出来ない。視線を合わせてしまえば、きっと話すことは出来ない。そう思った。

「そう思ったら、なんか頑張っておしゃれして張り切ってた自分がバカみたいに思えてきちゃって。……自分でも、不思議なくらいネガティブだよねー」

 あははと乾いた笑いを漏らしてみたりする。昨日の変なポジティブの反動なのか、本当に不思議なくらい思考がネガティブだった。

「そんなことをぼんやり考えてたら、はぐれちゃって、マイナス思考まっさかりなあたしは悲しくなっちゃって泣いちゃいましたとさ! おしまい! ……ね? 里見くんはなーんにも悪くないよ。あたしが勝手に暴走しただけだもん」

 重たい空気をなんとかしたくて、あたしは努めて明るくそう言った。声を明るくすれば、感情が引っ張られて明るい気持ちになれたりするものだ。

 あたしの勝手な感情の暴走で、里見くんに嫌な気持ちを残してほしくない。

「……山田さん」

「ごめんね、振り回して、迷惑までかけて。本当に自分勝手だよね、あたし。……だから、里見くん。今日はここまででもいいよ」

「……え?」

 あたしの申し出に、里見くんは呆気に取られたような声を出した。表情を見ることは出来ないけれど、きっとぽかんとした顔をしているんだろう。

 あたしは、すうっと息を吸った。今から言うことはすごく勇気がいることだ。下手をしたら昨日の告白よりも、ずっと。

「いっぱい暴走しちゃったけど、里見くんの気持ちを色々無視してるなって、ようやく気付いたの。嫌われても、仕方ないなって。……だから、昨日の告白はなかったことにしてくれていいし、これ以上無理して付き合ってくれなくてもいいよ。……あたし、ちゃんと諦めるから」

 そう告げるあたしの声は、少し震えていたけれど。それでも、はっきりそう伝える。自分で勝手に暴走して情けないところばかり見せた結果なのだから、里見くんがどんな結論を出しても仕方がない。

 あたしはぎゅっと目をつむった。さすがに平然と答えを待つような度胸も強さもない。

「……山田さんは、いくつか誤解してることがあるんだよ」

 しばらくの沈黙の後、里見くんはぽつりとそう呟く。

 拒絶でも何でもない、それどころか思ってもみなかった言葉に、あたしはぱちくりと瞬いた。何か聞き間違いをしただろうか。

「……誤解?」

「うん。……いや、はっきり言わない俺が悪いな。……俺は、何も迷惑に思ってないよ」

 あたしは思わず里見くんの方を見たけれど、視線は合わない。里見くんはさっきのあたしと同じように、ただじっと前を見ていた。

 授業の時よりも真剣な気がする横顔に、どきんと心臓が高鳴った。

「昨日の告白も、山田さんの気持ちに全然気付いてなかったからびっくりしたし、どうしようかと思ったけれど、嬉しかったんだ。……告白なんて初めてされたから、どうしていいのか分からなくて、あんな対応になっちゃったけど」

 そう言って、里見くんは苦笑を浮かべた。

「だから、今日のことだってオッケーしたんだよ。……興味ないって言ったくせに、デートの誘いが嬉しくて、山田さんと同じ気持ちになれたら、山田さんの気持ちに応えられたらって……。なのに、来てみたら緊張して、肝心の山田さんを追いて先に進んで。しかも、しばらくはぐれたことに気付かないし。山田さんはちゃんと気持ちを伝えてくれたのに、俺は曖昧なままで……。……勝手なのは、俺の方だ。……ごめんね」

 なんだろう。ふわふわして、言葉の意味がうまく飲み込めないけれど。気のせいかな。すごく嬉しい言葉を貰ったような気がする。

 けど、最初に感じたのは嬉しさよりも安堵だった。今日のデート、里見くんも楽しみにしてくれた? 無理矢理じゃ、なかった? あたし、嫌われてない……?

 無意識にそう口にしていたらしい。里見くんの浮かべた苦笑が深くなる。

「楽しみにしてたし、無理矢理じゃないよ。俺の態度が悪かったせいで、色々誤解させちゃってごめん。……制服じゃない山田さんを初めて見たら、可愛くって、余計緊張し――……っ!?」

 そこまで言った里見くんは、焦ったように手で口を塞いだ。その横顔が目に見えて真っ赤になる。

 ばっちり聞こえたあたしの顔も、きっと負けないくらい真っ赤だ。

 今まで、可愛いって言われても嬉しいと思ったことなんてなかった。小さくて可愛いねーって言われることが多かったから。可愛いは、あたしにとっては褒め言葉じゃなかった。

 ――……けど。

 どうしよう、嬉しい。言葉が出ないくらい、すごく、すごく嬉しい。

 里見くんは手で口を抑えたまま、あーとかうーとか言葉にならない声を出している。

 お互いに何を言えばいいのか分からなくて、妙な沈黙が流れた。

 ええっと、これはどうすればいいんだろう。聞こえなかったふりをするには今更だ。何か言うのも微妙に空いた間のせいで言いづらい。

 その時、顔を真っ赤にしたままの里見くんが勢いよく立ち上がって、一歩前に踏み出す。

「や、やっぱり、ずっと外にいると暑いな! な、中に入ろうか!? そろそろ行かないと、映画も始まっちゃうし!!」

 必死に言い募る里見くんの様子がおかしくて、ついでにお互いに汗だくで真剣に話してたのもなんだかおかしくなってきて、あたしは思わず小さく笑う。

 ――……ああ、里見くんが笑ってくれないことを気にしていたけれど。あたしも今日、ちゃんと笑ったの、これが初めてかもしれない。

 そう気付いたら、なんだか気持ちがすっきりとして落ち着いた。あたし、ずっと緊張してたんだなぁ。

 そう分かれば、先程とは違う自然な笑みがこぼれた。

 そんなあたしを見て、里見くんも照れたような困ったような、でも少し楽しそうな複雑な笑みを浮べた。

 あたしは、ゆっくりと立ち上がり、里見くんを見上げる。

 最初は勝手に遠いと感じていた、三十センチの距離。友達というには近くて、でもどこか遠い距離。半分に縮めても、いいだろうか。

「……ね、里見くん」

 勇気を出して、声をかけて、足を一歩、踏み出す。開いていた距離を半分にするために、斜め前に。

 十五センチに縮まった距離から、彼を見上げて。

「……手、繋いでもいいかな……?」

 緊張で少し震えた声と、真剣なあたしの視線を受けて。里見くんは顔を再び真っ赤にしつつも、ちょっと笑う。

「……山田さんは、すごいなぁ」

 そう呟いて、差し出された彼の左手に。

 あたしは、そっと自分の右手を滑りこませたのだった。

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距離を縮めて。 藍原ソラ @aiharasora

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