最終話 星夜

「僕たちは、ここを出て行きます」

佐々木の葬儀が終わって数日が経った頃だった。

朝早く訪ねてきた佐々木一家。源次が今にも泣きそうな顔で見つめてきた。

状況を理解できず口をぽかんと開ける。

「源次は祖父が大好きでした。思い出のあるこの場所を離れたくはないんですが、引っ越すことに決めました」

そう言って一礼し、粗品として旬のくだものの詰め合わせを渡された。

「友平、少しの間だけど……楽しかった!ありがとな!」

それだけ振り絞るとついに涙が決壊、昨日よろしく号泣した。

「友平さん、愛されてるんですね」

「……なんだか恥ずかしいな」

まさかこんなところで命の恩人なんかになるとは思わなかった。味わったことのない照れからくる恥ずかしさに頭をかく。

源次、いくよ。と母親が声をかけて、嫌がる源次を宥める。これが、お別れなのだろう。ここで待っていれば、いつか源次と会えるかもしれない。しかし、残念なことに既に腹は決まっている。

少子高齢化の進むこの地域では子どもの数も少ない、源次がいなくなり、一人残され寂しがる花の姿は想像にかたくない。

遠くなってく源次を見ると、目頭が熱くなるのが感じた。二月ふたつきほどしか会っていない人物との別れが、こんなに辛いなんて。東京で腐っていた頃より自分が成長できた、そんな実感が悲しみと共に湧いてきた。

もしかしたら源次が戻ってくる、そんな気がして友平は長い間立ち尽くしたままだった。


8月に入り2日が経過した。その日の夜は真夏に珍しく風の気持ちいい夜だった。

友平は大垣に来てからお気に入りの場所がある。それは家の屋根だ。

出ることを目的に設計されているわけではないので、窓を開け危険を覚悟で空を見上げるのだ。

その日の星は格別に綺麗だった。

デネブ、アルタイル、ベガからなる夏の大三角形がよく見える。かつての人は星から方角を判別し、果てには空想を巡らせエンターテイメントにまで発展させた。人の想像力は留まることを知らない。

月明かりが優しく闇を照らす。東京とは違い人工の明かりが極端に少ないのが、この景色が絶景になりゆる所以だ。

もう少しこのままでいよう、自分でも気づかなかったが案外ロマンチストの部類なのかもしれない。

しかし突如、友平の安寧に割り込んでくる音が聞こえた。

「はぁ……そんなとこ登ると危ないよ」

「……落ちねぇよ」

こんな遅くに見られるとは思わなかった。夏鈴が下で呆れるのが見えた。

すると夏鈴は無断で家の中へ入った。友平は無言で星を見つめる。

「よっと、あー涼しいー」

まるでそこが定位置と言わんばかりに、夏鈴は友平の隣で大の字に寝そべった。女子にあるまじき姿にむっとなる。

「こんな風に空を見ることなかったからなー、綺麗。友平こういう好きなんだ」

「たまたまな。考え事する時とかは使ったりする」

虫の鳴き声をBGMに、しばしの静寂が流れる。この雄大な自然の前ではどんな言葉も霞んでしまいそうだ。

——その沈黙を破ったのは、友平の吐露だった。

「俺、来年出てくかも」

「……そっか」

気のせいか、夏鈴の顔が寂しそうに歪んだように見えた。

「俺な、憧れてる人がいるんだ」

「……」

夏鈴は何も言わない、ただ広い空を眺めている。

「俺に義足をくれた人。あの人に憧れたから、あの人に近づこうと思ったから頑張れたんだ。それを忘れてた」

なんで、忘れてたんだろう。一度の失敗で全ての夢が終わった気がした。盲目的な思考放棄、未来を考えることが怖かった。自分のことのはずなのに、今の先に存在する可能性のはずなのに、それが叶わないことを想像するのが途轍とてつもなく怖かった。

「友平は——医者になりたいんだよね」

無言で頷く。

「——なれるよ、あたしが保証する。だって友平、人の命を救うのをいとわないもん。佐々木さんの最期、あたしは足がすくんだ。あたしのせいで死なせてしまったらどうしようって」

「あの時は夢中だったから……」

「ううん、源次の時もそう。仕方ないとはいえ、自分が関わって失った命があったのに救うことを迷わなかった。理性よりも先に本能で助けようとする、生まれつき持った才能があるよ」

確かに友平は——夢中だった。

一人になれば考える、自分が人の命の終わりに関わるなんて信じられない。避けて通りたい。何度も思ったはずなのに、いざ人が倒れたら理性が全て吹き飛んだ。

「きっと友平は何度も迷う。つまずく。でも何度でも立ち向かえる。救いたい人がいる限り」

まるでなんでも見透かした親のように、夏鈴は饒舌だった。しかしそれが嬉しかった。

「……そっか。ありがとな」

「たくさん稼いであたしに仕送りしてくれてもいいよ」

「……雰囲気返せ」

ははっと夏鈴は笑う。

しかしわかる、ちょっと真面目な雰囲気を出したのが恥ずかしかったのだろう。夏鈴なりの照れ隠し、いかにも夏鈴らしい。

「ね、岐阜楽しい?」

「……いろいろあったけどな、楽しかったよ。お互いもう受験勉強しなくちゃいけないから、もうあんまり遊べないか」

「あーあ、だるいなぁ。でもま、家庭教師いるし安心」

「もうやらないからな」

呆れたように友平は笑った。


時間が経ち風がふわりと二人の肌を撫でる。安らぎを孕んだそれを浴びて心地好さそうに二人は目を細めた。

「夏鈴。俺お前のことが好きになった」

「奇遇、あたしも」

二人は視線を合わさずに夜空を見上げていた。まるで星と話すように。

「でも、や。今はやだ」

「奇遇だな、おんなじことを思ってた。いつならいい?」

「じゃあ友平が夢を掴んだら」

「……頑張る理由がひとつ増えたな」

日常会話のように淡々と紡がれた告白。いや、告白ではなくただ確認作業かもしれない。まるでお互いが半身とでも言わんばかりだ。

すると夏鈴はおもむろに立ち上がる。そして——屋根から飛び降りた。

「……無茶するなぁ」

まるで猫のように、夏鈴はで3メートル下に着地した。玄関に入り靴を履くと、友平に向かってバイバイと手を振る。

友平も手を振り返すと夏鈴は満足そうに笑って家へと帰っていった。

夏鈴の姿が見えなくなるのを確認し、はしたないのを承知で夏鈴の真似をして大の字に寝そべる。

頭の中で考えていたことを全部話せた。そして夏鈴は真摯しんしに答えてくれた。

ちょうどこの空のように、すっきりとした気分だ。

夢を追う時に不安を感じない人間はいない。しかし、どんな不安に駆られようが乗り切れる気がした。

——ありがとな。

そう心で呟いて、友平は家に戻った。



「もしもし、母さん?」

「うん、ちょっと話したいことがあって」

「ありがと、俺岐阜で大切なものを手に入れた気がするよ」

「うん、俺もう一度————

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義翼の空 魚谷 羊 @turuha

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