第9話 下界へ

 浮遊島たるエデンと下界、即ち地上との往来には【ゲート】と呼ばれる仕掛けを使う。


 2つの座標を重ね合わせる魔法がそのベースで、起点となる魔方陣から別の魔方陣へ人や物を移動させることができる。

 瞬間的というわけではないが、移動に要するのは僅かに数分。そこからさらに改良も進められている。


 無論、結界の外を彷徨うろつ招かれざる者アウトサイダーが、否が応にも技術力の向上を加速させたのであった。

 メタトロンの主要都市が交易を維持できているのも、それらを零距離で結ぶゲートの存在があってこそだ。


 しかしながら一度に運べる容量には限りがあるため、およそ大人数の避難には向かない。

 最も強固とされる結界が破られた今、ゲートはもとより結界すら持たない街や村に対するエデンの優位性は、もはや失われたと言っていいだろう。


 いつ襲われてもおかしくはない状況──途切れることのない緊張感に疲弊する人々に背を向け、彼らはひっそりと旅立つ。


 六芒星ヘキサグラムの中心で時を待つ3人と1匹。

 紅涙のイリア、堅盾のウォルト、モフモフのエレナ、そして魔壊のリーシュである。


 世界を変えるための旅路にしてはあまりに寂しい門出。それでもイリアの表情に不安の色はない。

 強面だが頼りになる爺やに、ケンカが絶えずとも背中を押してくれる召喚獣、そしてようやく会えた幼馴染が一緒なのだから。


「まったく……溶けかけの雪だるまみたいにフニャフニャした顔だにゃ」

「もしかして、まだ怒ってるの?」

「当たり前にゃ! 純潔な乙女の心と身体が汚されたにゃよ!?」


 真っ白な召喚獣が少し膨らんで、ふわふわの毛並みを逆立てる。


「何をどうやったら、つまずいた隣の部屋で転ぶのにゃ!」

「だって……ローブなんて着慣れてなかったんだもん。ドアを開けようとしたら裾を踏んで、こけないように踏ん張って、でも結局こけて……」


 急遽決まった出立の儀に臨まんとするイリアは、窓際にいたエレナにダイブ。それがモフモフに不幸の連鎖を呼んだ。


「エレナの初めてをあんな乱暴者に。イケメンだけど……イケメンなだけに……くううっ」


 悔しいような、惜しいような。自分でもよく分からない感情がエレナを支配する。

 一方、その乱暴なイケメンはというと何やら神妙な顔つきであった。


(まずかったな……)


 最強の力を内に秘める騎士、リーシュ。デュラコンメレクとの戦いを省みてのことだ。


(知らなかったとはいえ、俺が倒すべきじゃなかった)


 騒動の後、師であり上官でもあるヴィクトールから聞かされたある事情。それ以来ずっと彼の心は晴れない。


『20年前、私はウォルト様の部下としてデュラコンメレクと戦った。突然のことで混乱するしかなかった我々を統率し、ウォルト様は王宮を守り抜かれたのだ。ご家族の住まう市街地ではなく』

『それって……』

『デュラコンメレクは、あの方にとってこの世で最も憎むべき仇敵だったのだ』


(──それであの時、爺さんが取った行動にも納得がいった。フレイアの団長を務めた程の人間でさえ、我を忘れる理由があったんだ)


 いつの日か自らの手で彼の敵を倒すと誓い、ウォルトはひたすら武を磨いてきたのだろう。

 それを自分がふいにしてしまった──。


 すっかり回復したらしいウォルトは自慢の顎髭を撫でながら、虚空に映し出されるメタトロン王国の地図を眺めていた。

 ひとつ溜め息をつき、意を決したようにリーシュが声をかける。


「爺さん……あのさ」

「──すまなかった」

「え?」

「個人的な事情を優先させ、大局を見失ったこと……あの時ヴィクトールが来なければ、被害を拡大させておったやも知れぬ。儂の命運もそこで尽きていたじゃろうな。礼を言う」

「あ……いや、別に構わないけど……」


 言うべき言葉の先を越され、思わず口籠るリーシュ。


 フレイアの長であることの意味を、彼はヴィクトールを通じてよく知っている。

 時には弱者を見捨てる決断を迫られる立場。自らは簡単に死ぬことを許されず、待つ人のいる部下に「死ね」と命じなければならない立場。


 ウォルトがフレイア在任中に招かれざる者アウトサイダーは現れた。今よりもっと情報が少なく、被害も大きかった時期に。

 一体どれ程の屍を踏み越えて、この男は生きてきたのだろう。どんな想いで、剣を握り続けてきたのだろう。


 リーシュが目線を上げると、ウォルトは厳しい表情を緩め、右の口角を上げた。


 金髪の騎士はすぐその理由に気づく。


 彼らには葛藤する暇さえ与えられない。後悔にしろ懺悔にしろ、全ては敵を殲滅したその後だ。

 それでも決して許されはしない熾烈な運命に、既に身を投じたのだからと。


「とはいえ……」

「ああ、分かってる。それはそれ、これはこれ……だよな!」


 右側にリーシュ、左側にウォルト。両者に挟まれたイリアがびっくりして碧眼を見開く。


「イリアは俺が守る!」

「イリア様は儂が守る!」


 同時に放たれた言葉。そしてメタトロンを代表する騎士2人の視線がぶつかり火花を散らした。


「無理すんなよ爺さん。もう隠居した身だろ」

「官職を降りただけで儂はまだ現役じゃ! イリア様の正式な護衛はこの儂じゃと忘れるな、小僧」

「ふええっ!? ちょ、ちょちょちょ……」


 突如として始まった護衛ポジション争いに、右へ左へ巫女の目線が忙しい。

 そこへすかさずエレナが参戦する。


「えっへん! ポンコツイリアはエレナが守ってやるのにゃ」

「はあ? お前みたいに弱そうな召喚獣初めて見たぜ。とりあえずウサギなのかヒツジなのか、そのへんをはっきりさせろ」

「エレナは猫にゃ!」

「だから語尾がいちいち『にゃ』なのか。安易なキャラだな」

「ムキーっ!」


 エレナは大きい耳を振りかぶり、「パーン」の態勢。だが今度はリーシュも身構えていた。

 右耳は派手に空振り──しかし自称猫はくるっと回って、その左耳が騎士の横面をはたく。


「へぶっ!?」

「秘技、〈裏耳拳〉にゃ!」


 ワナワナと肩を震わせるリーシュに、したり顔のエレナである。


「わっはっは、修行が足りんようじゃの小僧。今からでも遅くない、ヴィクトールの下に戻って基礎からやり直したらどうじゃ?」

「う、うるせえ! まともに相手してねえだけだ」

「お願いだから、みんな仲良くしよう? ね? ね?」


 堪らず仲裁に入ったイリアを中心に、2人と1匹が睨み合う。

 ちょうどその時、鈍い音と共に魔方陣が少し揺れた。移動が完了したのだ。


「ほ、ほら! 着いたみたいだよ! ケンカなんてしてる場合じゃないでしょ」


 転移の間。そこは魔法への干渉を最小限に抑えるため閉鎖的な空間で、扉は僅かに1つ。

 その先はもう、メタトロン最大の街【アラクニード】である。


 救国の巫女となって以来、初めて下界に降り立つイリア。その顔が緊張で引き締められた。

 決意も新たに、自ら扉を開いた彼女を出迎えたのは──


「グアアッ!」

「こ、こここ……こんにちはっ!?」

「馬鹿、離れろっ!」


 リーシュが幼馴染みを抱え跳ねるように獣の脇をすり抜ける。続けてウォルトも獣に体当たり、道を作ってエレナと共にフロアの中央へ。

 だが、そこは同じく異形なる獣たちで埋めつくされていた。


 人や物の出入りを厳しくチェックする転移管理局。本来そこにいるはずの役人や商人、警備の兵士たちは何処にもいない。

 即ち──。


「いきなりかよ……」


 。彼らを取り囲む敵を睨み返し、リーシュは低く重心を移した。

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忘却のアポカリプス~救国の巫女と破滅の騎士~ 辻村 恭♡蒼龍 葵 @kyo_tsujimura

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