第8話 幼馴染
(ソフィーって呼んだ……)
眉間には皺が寄り、口先は尖り、やがて頬っぺたまでぷぅと膨れる。
金髪の美女を見送った後、イリアはすっかり拗ねてしまった。
戦況予報士といえば、軍の参謀本部に属し、感情を押し殺した冷淡なイメージだ。
しかしリーシュに向けられたあの笑顔は本物。しかも間違いなく仲間以上の関係を匂わせるもの。
(リーシュの好きな人、なのかな。そしてあの人も……)
8年という月日は2人を大人に変えた。お互いに知らないことが増えていたとて仕方ないだろう。
しかしイリアは、込み上げてくる怒りにも似た寂しさを抑えることができない。
「リーシュ、ソフィアさんって……」
「恋人」
「ふえええっ!?」
「……だった。2年前までな」
(がぁん……)
絶句するイリアに悪戯っ子のような笑みを見せるリーシュ。
イリアの、独占的とも言える好意はリーシュもよく知っているはずだ。
やはり自分は〈妹〉以外にはなれないのだろうか──。
イリアは孤児である。
生まれ落ちてすぐ、フォレスト家、つまりリーシュの両親に拾われた。
それ以来、イリア=フォレストとして15年間を過ごすこととなる。
2人が実の兄妹でないと告げられたのは、イリアが12歳の時。
リーシュの妹である──当たり前のように特別でいられる理由を失って、当時の彼女は大いに動揺した。
だが、それを機にリーシュを異性として強く意識するようになったのも確か。イリアは積極的に彼を求めるようになり、リーシュもまた、故郷から遠く離れたこのエデンまで自分を追ってきてくれた──。
「イリアは渡さねえ!」
狩猟を主な生業とする【ホープ村】において、幼少期より危険な森に出ていたリーシュの体力、腕力は並以上であった。
しかし全く訓練を受けていない彼では、戦闘に於いて子供が大人に立ち向かうようなものだ。
鎧姿の男に鍔で押し返されただけで、その身体があっさり泥の上に投げ出される。
「くっ……ちくしょう!」
それでも口に入った土を吐き出し、乱暴に頰の血を拭いながらリーシュはすぐに立ち上がった。
それに困惑しているのは神殿騎士たち。眉を
彼らは一般人に危害を加えることなど許されておらず、また実際にそのつもりもない。
「何度も言うようだが、これは神託による決定なのだ。この少女が救国の巫女様となり、やがて
「うるせえ、そんなモン知ったことかよ。イリアは俺が守──」
ゴン、という鈍い音。
今にも噛み付きそうな威勢を保ったまま、後頭部に受けた衝撃でリーシュは膝を折り地面へと伏す。
「──ご協力感謝致します」
「これ以上、ここであんたらに暴れられちゃ困るんだよ」
騎士らは加勢した金髪の女性へ一礼すると、先刻魔法で眠らせたイリアを小脇に抱え、顎で合図を送る。
馬車へと運ばれる少女からはうっすらと涙が溢れた。
「リーシュ……リーシュっ……」
うわ言のようにリーシュを呼ぶイリア。霞む意識を懸命に繋ぎ止めながら、ギリギリと歯を噛み合わせるリーシュ。
いつも、何処へ行くのも一緒だった2人の道はそこで別れた。
しばらくして──ズキズキと痛む頭を押さえるリーシュの目に映ったのは、フライパン片手に彼を見下ろす母の姿。
「母さん……何で」
「──絶対に無理だと分かってる方法で何度も挑むなんて、馬鹿のすることさ」
「……なっ!?」
「あたしらじゃ、到底騎士にゃ叶わない。ここで無理を通したら村の人たちを巻き込んで騒ぎが大きくなるだけ。
だから考えな。そして実行しな。確実にイリアを守れる方法を」
「確実に……守る。イリアを……」
危害を加える気はないとは言っても、彼らにとって神殿の命令は絶対。
母が止めなければ、確かに結束の固い村人と神殿騎士による武力衝突に発展したかも知れない。
「母さん、俺……エデンに行くよ。あいつを連れ戻せないんだったら、俺があいつの側へ行って守ってやる。そうだ……騎士に。騎士になって!」
「ああ、そうしてやりな。折れない根性を見せるならその時さ。絶対に2人揃って戻って来るんだよ。そうじゃなきゃ赦さないからね」
母の力強い言葉に後押しされ、リーシュがエデンを目指したのはその翌朝のことだ。
(リーシュは私を追って……えへ)
そもそもリーシュがここにいる理由を思い出し、イリアの機嫌はコロッと変わる。
母からの手紙でそれと知ったものの、2人は顔を合わせることができなかった。
救国の巫女となったイリアは一切の外出を禁じられ、面会もごく限られた人物しか認められなかったためだ。
「リーシュは……か、かかか……」
(格好いい……)
改めて見ると、リーシュは田舎にいた頃に比べて洗練され、騎士としての佇まいも様になっている。
もともと顔立ちは端正だったが、訓練により精悍さを増した彼はイリアの目にとても眩しく映った。
「か……?」
「……変わらないねっ!」
「そうかな。これでも随分強くなったんだぜ?」
その一言で、紅潮させたイリアの顔から一気に血の気が引いていく。
元々素質があったのだろう、リーシュはいきなり
しかし、彼がエデンで知らぬ者の無い程の有名人になったのは、それから2年が経過した頃のこと。
〈魔壊〉の名と共に。
彼女の表情に気付いたリーシュが、やや自嘲気味に先手を取る。
「分かんねえんだ」
「え……?」
「何で俺にあんな力が備わったのか。〈解放〉しなくても、前とは比べモンにならないくらい強くなった。きっかけになった出来事ならあるんだけど、理屈はさっぱり」
言い知れぬ不安がイリアの全身を駆け巡る。
あれは
あまりに圧倒的、そして理解の外にある力。例えるなら──敵でさえ飲み込む災厄であるかのように。
何より、ずっと疑問に思っていたことがある。
イリアを守るために騎士になったはずのリーシュは、神殿騎士にはならなかった。
それになるための条件は2つ。
まず、兵役に就いて3年を経過する者──これは確実に満たしている。
もう1つ、神殿の課す洗礼をクリアすること。篩にかけられた者たちから〈邪なる存在〉が弾かれるのだが、引っ掛かるとすれば後者しかない。
彼女が知らない8年間で、一体リーシュの身に何が起こったのだろうか。
「そんな顔しなくても大丈夫だよ。力を〈解放〉した後は、身体がガタガタになるけど」
その話は終わりと言わんばかりに、リーシュは柔らかく笑顔を見せた。
「あの時は守れなかった。でもこれからは──」
「私がっ!」
リーシュを遮るイリア。その手は少し震えている。
「私がリーシュを守る! だって世界を救う巫女だもん。リーシュのことだって……何があっても私が守ってみせる!」
今度はリーシュが言葉を失う番だった。
泣き虫で、いつも彼の後ろにくっついて離れなかったイリア。その彼女が見せた、強い決意。
この8年で変わったのは、リーシュだけではなかったのだ。
(絶対に負けないんだから。敵にも、恋のライバルにも……それから運命にも!)
巫女としてまだまだ未熟、だが彼女は本気だった。
何やら難しい顔をして奮起するイリアの姿に、クスリと笑みを溢し、リーシュもまた決意を改める。
(絶対に死なせねえ……死なせてたまるか)
戻らない空白の時を埋めるように、2人の想いは何処までも高く、強く。
ぽっかりと穴の空いた空から、春の日差しが降り注いでいた。
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