第7話 戦況予報士の想い

 厳重な警備から一転、神殿の中庭は閑散としていた。


 護衛の任を外されたリーシュは、王が引き上げてからもそこに残って人を待つ。

 崩れた外壁、抉られた地面。物的被害がそれだけに留まっていたため、ふと視線を移せば招かれざる者アウトサイダーに急襲されたことなど忘れてしまいそうだ。


咆哮ブレスを弾くなんて。〈堅盾のウォルト〉……どうやら噂の一人歩きじゃないみたいだな。あの爺さんと一緒に行くのか)


 考え事は自然と会合に告げられた〈旅〉へと向く。ウォルトと2人だけでイリアを守る──それに不安が無いと言えば嘘になるだろう。

 但し敵に対してではない。他ならぬ自分の中にある要因について。

 そのための人選でもあると推測するのは容易だった。


 目の前にそびえる塔を何となく眺めていると、リーシュは一番上の窓際に白いぬいぐるみが置かれているのに気づく。


(イリアの部屋かな)


 昔から可愛らしい物が大好きだったイリア。大人になった今でもそこは変わらないのかもしれない。

 とはいえ8年もの歳月が流れたのだから、彼女にも何らかの変化はあるはずだ。

 それが楽しみなようで不安でもあり、リーシュは茶褐色の瞳に複雑な色を浮かべた。


「待たせてごめんなさい」


 そこへ、まるでそよ風のように穏やかな声。


「いや、ソフィーこそ大変だったな」


 現れたのは金髪をポニーテールに纏めたソフィアである。彼女は足早に歩み寄り、ごく自然な動作でリーシュの頭に触れた。

 少し背伸びしながら髪を梳くようにそれを撫でると、フリージアの爽やかな香りがリーシュの鼻腔をくすぐる。


「体調はもういいの? 怪我の具合は?」

「問題ねえよ。そもそも怪我なんてしてねえし」


(意識があった間は……でしょう)


 招かれざる者アウトサイダーを倒した後、リーシュは気を失ってかなりの高さから落下した。しかし生死に関わるどころか全くの無傷。

 それは衝突の際に負った怪我が、治癒魔法も使わずにからだ。


 単純に喜べる話では無かった。繋ぐべき言葉を失い、ソフィアは少し困り顔に。


「ソフィーが戦場以外で髪を結うの、初めて見た」

「……私にとっては、会議室だって立派な戦場よ?」


 話をはぐらかされたのは明らかである。しかしソフィアもそれ以上の追求はせず、するりと自らの結い紐を解いた。


 流れるように落ちる髪、そして優しく目を細めての笑顔。

 そこでようやく、リーシュの記憶するソフィアと目の前のソフィアがピタリと重なる。


「成果はあったみたいだな」

「勿論。実際に話をつけてくれたのはヴィクトール様だけどね。さすがにあのメンバー相手だと緊張しちゃって」


 それは事前の打ち合わせ通りに、つまり彼女の意向通りに事を運べたということだ。


勇者プレイヤーを探すためにイリア様のご出立が決定。貴方とウォルト様、2人だけを伴って」

「そうか……」


 ソフィアが決めた以上、覆ることはないと踏んでいた。

 しかしリーシュはまだ納得のいく説明を受けていない。後に続くであろう言葉を待つ。


勇者プレイヤーを刺激して表舞台に引きずり出すのがその目的よ。3人だけにした理由は、イリア様の成長を促すため……表向きはね。でもより重要なのは、敵を見定めること」

「敵を? 見定める……?」


 復唱しかできないリーシュに、ソフィアはやや難しい顔を覗かせる。


「何と言ってもまず、結界を破壊されたことが私には解せなかった。この20年で改良され続けたそれは、単にパワーバランスで崩壊する代物じゃない。内側から緩められでもしない限り」

「……誰かが手引きしたとでも?」

「そうよ」


 皮肉を言ったつもりが即答で肯定されてしまった。

 反論しようと開きかけたリーシュの口に人差し指をあてて、ソフィアはさらに被せる。


「それはデュラコンメレクの行動からも明らかでしょう。南から現れて真っ直ぐ西の神殿へ──補食対象が何万もいる市街地を無視して。

 これまで、敵がわざわざ遠くの獲物を狙ったことなんて一度も無いわ。そして補食以外の目的が確認されたことも無い。全く初めてのケースだけど、それらを繋ぐとしたら──」


 慌ててリーシュがソフィアの手を払い退けた。


「ちょっと待て。招かれざる者アウトサイダーが誰かに操られたとか言い出すんじゃないだろうな?」

「そうだけど?」

「そうだけどって……ええ!? マジかよ」

「信じられるかどうかじゃなくて、そう考えるのが一番自然って話。それとも、『招かれざる者アウトサイダーが政治的な知恵を身に付けました』って言った方が良かった?」

「そ、そんなわけあるか!」

「でしょう? 私もそれは無いと思う」


 悪戯っぽく笑うソフィア。からかわれているように見えて、不思議と嫌な気持ちにはならない。

 かつて頻繁に体験したそれを肌で思い出し、リーシュは苦い顔になる。


「じゃあ……獣人の件は?」

招かれざる者アウトサイダーが味方と協力する動きを見せたのなら、これも初のケースね。でも恐らく違う。

 その証拠に、獣人はデュラコンメレクのお腹の中。騎士を味方に変えたのなら、それを喰べちゃうのは変でしょう」

「だけど……例えばさ、パワーアップさせてから喰った方が旨いとか。味付けみたいなモン?」


 自分で言っておいて少し気分が悪くなるリーシュ。また笑われるかと思いきや、ソフィアは真剣な眼差しである。


「……さすがは討伐実績ナンバーワン、感覚的に敵をよく知ってる。確かにその可能性はゼロじゃないわ」

「それじゃあ?」

「ううん、獣人化したのがマリスの人間だけだったこと……これが説明できないと、やっぱりただの可能性に終わる。

 今の段階では、デュラコンメレクも獣人化も同じ〈誰か〉による仕業で、獣人は細かい統制が難しいデュラコンメレクに補食された──そう考えるのが妥当でしょう」


 妥当どころかそれが正解なのだろう。リーシュの当てずっぽうは、別の側面から敵の特徴を捉えたに過ぎないのだ。


「〈誰か〉って……誰だよ」

「それを探るための旅立ちでもあるのよ。ただ、これだけは確か。

 結界の維持、管理は魔法師団ミストの仕事。さらに神殿が襲われ、神殿騎士だけが獣人化した。つまり──」

「まさか、王宮おれたちの中に!?」


 ソフィアは首を縦にも横にも振らず、「あの時エデンにいた〈誰か〉」とだけ口にした。


 その〈誰か〉の目的とは何なのか。神殿という場所に縛られるのではないとしたら、人。

 考えられるのは求心力のあるイリアかナターシャの抹殺であろう。まずはそれをはっきりさせるための〈旅〉であり、両者に戦力を振り分ける選択が〈3人〉たる理由なのである。


 ターゲットと共に戦力を分散させ、──強力だが僅か2人しか護衛のいないイリア側、そして多数を揃えるが切り札不在のナターシャ側。要するに敵を誘き出すのがソフィアの作戦だ。

 リスキーなのは承知の上、しかし撃退するだけの備えも十分加味した上でのこと。


 ソフィアは、本心ではリーシュを危険な目に遭わせたくなどない。

 どんな化け物より強かろうとも。いや、どんな化け物より強いからこそ。


 暫し沈黙が流れた後、騎士より2つ年上の戦況予報士が言いにくそうに呟く。

 

「ねえリーシュ。私たち、もう一度……」


 その時だった。上空から何かが降ってくる気配。

 はっと見上げたリーシュの視界にそれは迫る。


「うにゃあああ!?」

「うおああああ!?」


 害意が感じられなかったため、リーシュは動くことができなかった。


「ぶへっ!?」


 落ちてきたそれは、彼の顔面にクリーンヒット。

 すぐさま両の手で引き剥がした次の瞬間、白くフワフワしたそれと目が合い時が止まった。


(な、何だコレ。さっきのぬいぐるみ……生きてんのか!?)

(はわわ……い、イケメンにゃ。エレナ、こんなイケメンと、せせせ、接吻を……)


 初めて見る生物に驚きを隠せないリーシュと、白い毛並みをピンク色に染めていくモフモフのエレナ。


「何モンだよ、てめえ!」

「うにゃあ!」


 無惨にもリーシュに投げ飛ばされ、エレナはポムポムと跳ねる。

 そして土に汚れた顔を上げると、ジワジワとそのつぶらな瞳が潤っていく。


「は、初めてだったのに。初めてだったのに! いくらイケメンでもこんな乱暴者に……ズコー!」


 エレナは一直線にリーシュへと跳び、その大きな右耳で騎士の横面を「パーン」とはたいた。


「???」


 避ける程でも無かったがわざわざ叩かれる理由も無く、わけが分からないまま結局叩かれたリーシュ。


「うわあああん……!」


 傷心のエレナはくるっと反転してピョンピョン跳ねながら去ってしまう。


「何だありゃ……」

「す、すいませんっ! この辺に、白い毛玉が落ちて来ませんでしたかっ!?」


 息を切らせて駆けつけたのは──イリアだ。


「イリア?」

「ふえっ!? りり、リーシュ!」


 そしてまた、時が止まる。


 それを見たソフィアは「ふぅ」と肩を落とし、すぐに笑顔を作って巫女へ頭を下げた。


「イリア=マグリアス様ですね、初めまして。私はソフィア=キルシュナー。王宮の戦況予報士です」

「は、はぁ。あの、えっと……どうも」


 イリアにも事態が飲み込めていない。修行で叩き込まれたはずの礼儀は活かせなかった。


「もう行くわ、リーシュ。最後に1つだけ。ナターシャ様の時読み……理由は分からないけど、恐らくもう機能していない。未来が読めるにしては、全てが後手に回り過ぎてる。

 でもだからこそ、そこに希望もある。8年も前の神託じょうほうに囚われるなんて、ナンセンスでしょう」

「ソフィー……」


 リーシュに優しい笑顔を向け、またイリアへと向き直ったソフィアは、見えないように両の拳を握り締める。


「イリア様、リーシュを……宜しくお願いします」


 そして返事も聞かずに走り出した。その場から逃げるように……決して戻らぬ時を振り払うかのように。

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