第1章 復讐に囚われし者たち

第6話 変革の時は来たりて

 クレセント大神殿はピリピリした空気に満ちていた。

 それもそのはず、王宮から国王を迎え、今後について会合の席が設けられているのである。


 神殿内部では神殿騎士団マリスが、外部では王宮騎士団フレイアがそれぞれ護衛の任に就く。

 礼拝堂以外への立ち入りは一切禁じられているから、本来は静寂が支配的な聖地。

 今も決して騒がしいわけではない。しかし声という声を押し殺した異様な雰囲気によって、落ち着く場所もない。


 用意された部屋は、世界の創成を表現したという壮大なレリーフに囲まれていた。

 等間隔の窓が菱形に切り取られ、ガラス部分に神殿の紋章、2対のユニコーンが描かれている。


 白を基調とした長テーブルを挟み、向かって右側に座す王宮陣営は、国王ヨハネス、フレイア団長ヴィクトール、参謀ソフィア。

 他方、迎える神殿陣営は、時読みの巫女ナターシャ、マリス団長アラン、大神官カシューの3名。


 両者のトップ、ヨハネスとナターシャが直接顔を合わせるのは実に十数年振りとなる。


「被害の概要は以上です」


 末席から落ち着いた口調で淡々と報告を済ませ、ソフィア=キルシュナーが顔を上げた。


 彼女は王宮軍参謀部隊【ヴァン】に籍を置き、戦況予報士として活躍する。

 他ならぬ国王の命で設けられた〈発言優先権〉、序列1位のその言葉は、特に戦術面において国王より重い。


「20年間破られることの無かったエデンの結界があの通りですから、早急に対策が必要と存じます」

「ふぅむ。もはや下界と変わらんということですな。しかし招かれざる者アウトサイダーの侵攻を許しながら、たった・・・3人の死者で済むとは……いやはや、信じられません」

 

 ただでさえ重苦しい空気をさらに重くしたのは、同じく神殿側末席の大神官カシュー=ハミルトン。

 恰幅のいい体つきで、さほど暑くもないのにうっすら汗をかく。


「その3人はマリスの……神殿の人間なのですぞ」


 ヴィクトールが眉をひそめてそう指摘すると、カシューは意地の悪そうな笑みを浮かべた。


「これはこれは……〈鋼血のヴィクトール〉殿とも思えぬお言葉。敵の術中に嵌まり、化け物と化した時点で神殿騎士を名乗る資格などありません。

 そもそも、その内1人を仕留めたのは貴殿ではありませんか」


 ナターシャの破邪魔法で、亡くなった3名以外の神殿騎士たちは人間に戻った。その理屈で言えば、彼らもまた騎士たる資格が無いということになる。

 その発言には挑発の意味も含まれるだろう。しかしヴィクトールは微動だにせず、代わってソフィアがわざと論点をずらす。


「それでは、神殿騎士の獣人化についても招かれざる者アウトサイダーによる所業だとお考えなのですね」

「他にありますまい。尤も、我らを貶めんとする輩が他にいれば別でしょうが」


 そこで暫し間が空く。

 あくまでも好戦的な大神官は、今回の事件が全て王宮側による画策とでも言いたげだ。


 見かねてメタトロン国王、ヨハネス=シュテルンベルグが口を開いた。


「政治と神事……お互い野心家に担がれ、幾度も覇権を争った歴史が確かにある。しかし今はいがみ合っている場合ではなかろう。民を守り、導くのが我らに共通する務めではないか」


 民政家として名高い王である。それらしい言葉で場を鎮めようとしたものの、正面に座す巫女は黙り込んだまま。

 ナターシャ=マグリアスは灰色の髪を質素に束ね、やや草臥れた様子だった。広範囲の破邪魔法が老齢の身に堪えたのだろうか。


「お言葉ですが、そのためにはまず胸襟を開いて戴かなければ」


 答えたのはカシュー。神殿側の受け答えは全て彼1人が担い、ナターシャとアランはまだ挨拶以外の言葉を口にしていない。


「どういうことだ」

「〈魔壊のリーシュ〉。フレイアがあんな隠し玉を持っておられようとは……ヴィクトール殿もお人が悪い。

 彼ならば、勇者プレイヤーなど待たずとも敵を殲滅してくれるのではありませんか」


 そこで初めて、カシューの顔から笑みが消えた。


 招かれざる者アウトサイダー討伐でリーシュが群を抜く実績を持つことは既に知られている。

 しかし実際に、危険度が最上位、S級に指定される敵を容易く屠る様を目の当たりにしたのだから、神殿側にとってリーシュは頼もしいと同時に脅威でもあるのだろう。


「残念ながら。敵は現れるまで所在が掴めず、常に後手に回っているのが現状。討伐数以上に増えているとする研究報告もあります。

 捕捉さえ出来れば、確かにリーシュに倒せぬ敵などおりませんが」


「何と、化け物以上の化け物ということですか」

「リーシュは化け物なんかじゃありません!」


 初めて顔色を変え、ソフィアが思わず声を荒らげた。しかしすぐ冷静さを取り戻し「すみません」と頭を下げて閉口する。


「……つまり、彼の者でさえ敵を殲滅するのは難しい。やはり勇者プレイヤーの登場を待つしかないのか」


 全ての元凶と言って良い話題に触れ、ヨハネスが嘆息する。

 敵の殲滅に必要なもの、それは勇者プレイヤーと神剣。言い換えれば、勇者プレイヤーとイリアの命。


「もはや一刻の猶予もありません。ここはひとつ……を与えてみては如何でしょう?」


 上座へと視線を移し、最高指導者のどちらにともなくヴィクトールがある提案を持ちかけた。


「イリア様自ら、勇者プレイヤー探しに出向いて戴くのです。救国クリアには必須の存在──さすれば勇者プレイヤーとて無視できますまい」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がったアラン=レイナルド。イリアと同じ23歳という若年でありながら、神殿騎士団マリスを束ねる青年である。


「イリア様を、そんな危険な目に遭わせるわけにはいきません!」


 名門公爵家の力で、強引にウォルトを退陣させ手に入れた地位。彼には彼の、誰にも譲れぬ想いがある。

 だがその反論は想定内、ヴィクトールは構わずに先を続けた。


「救国にはイリア様ご自身の成長も必要。故に供回りは最小限の人数で……そうですね、王宮からリーシュ、神殿からウォルト様。その3名のみの出立とするのはどうでしょうか。

 それで危険に晒されながら、最悪の事態だけは避けられる。無論、全面的にバックアップはします」

「正気ですか、ヴィクトール殿! そんな提案聞けるわけ──」

「私情を挟むでない」


 突然口を聞いたナターシャの声に、アランのみならず全員がピタリと静止した。


 過去、現在、未来。全てを見通す力に加え、創造主クリエイターとも直接交信が可能なただ1人の存在。

 〈神〉を代弁するその言葉は、神託として人々から崇められる。


「イリアには経験が必要じゃ。勇者プレイヤーを発見次第、その力となれるように……送り出すことには同意しよう。しかしまだ胸襟を開ききってはおらぬようじゃの、ヴィクトール」

「……何のことでしょう」


 時読みの巫女を相手に一切の誤魔化しは通用しない。それが分かっていながら、ヴィクトールが表情を変えることはなかった。


「〈魔壊のリーシュ〉をイリアの側に置き、が起これば何とする」

のナターシャ様がおられるのですから、その心配は無用と存じますが?」


 握手を交わしながら、他方の手でナイフを互いの喉元へ。鋭く応酬される探り合い。

 ナターシャはやがて息を吐き、会合の成果をこう表現した。


運命シナリオの改変……易くはないぞ」


 王宮と神殿。複雑な思惑を覗かせながら、長い歴史の中で初めて両者が歩を揃える。

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