第3話 それは小説の場面
文化祭まで残り三日。背景はもうほぼできあがり、後はガムテープで補強して吊り下げるための紐を通すだけだった。本日の舞台練習までに仕上げて実際に使う予定だ。
「何とかなって良かったね~」
「佐藤さんにも出来栄え褒められたし、良かった~」
「私もほっとしたよ~」
美術部の女子三人は早くも涙ぐんでいた。
「谷平さんもいっぱいお遣いありがとう!」
「う、うん……」
何だかんだで丁度その場にいることが多く、私はほとんど佐藤さんへの連絡係となっていた。おかげで佐藤さんともすっかり馴染んでしまった。
「お疲れさん、背景係」
色々なところに顔を出していた辰野君が私たちの所へやってくる。
「ほんっと、後は演技にかかってるんだからね!」
「辰野、ふざけないでよ」
「私たちの背景を立派に見せて」
美術部女子たちの言葉に、
「え、何それ。ひどくね?」
辰野君は意味が分からんと眉を顰めた。私は思わず笑ってしまった。
ああ、小説でも書いたけど、やっぱり皆で何かをすると前より仲良くなれたような気がするなあ、としみじみ感じる。
「舞台練習三時半だから、それまでによろしくな」
「それはあんたのセリフじゃないでしょ!」
「そうよ、佐藤さんが言うセリフ!」
「え、だから何なの」
辰野君は最後までいじられていたが、これも彼の性格故だ。あまり話したことがなくても、少し喋っただけで彼をいじりたくなってしまうのだ――本人には悪いけれど。しかしいくら人懐こいといっても、前までは少し近づきにくかったのに、私もすっかり慣れてしまった。
辰野君って、すごく小説のキャラとして参考になる気がするんだよね……。
ふと、そういえば部誌はどうなったんだろうと部長を思い出した。最近は専らクラスの方に力を注いでいて――何より私は自分の作品をもう仕上げている――文芸部の方はすっかりご無沙汰だった。部長から連絡が入らないということは、特に何も無いと思うのだが……いや、本当の修羅場は明日明後日かもしれない。多分ギリギリに印刷したものが上がって来て、それをまとめる作業をすることになるのだ。ああ、あまり考えたくない。
三時頃になると小道具係と大道具係が動き始めた。背景係もくるくると巻いた紙を皆で持つ。
「あ、念のためガムテープと紐の予備持ってっといた方が良いかも」
階段を降りる途中で誰かが言い、この時もまた、一番差支えなさそうな所にいたのはどういうわけか私だった。ここまで来るとおかしさを感じながら、
「私取って来る」
先に言って、教室へと引き返した。
教卓の上にあったそれらを手に、小走りで渡り廊下を過ぎたところで、いつものくせで遠回りをしていることに気付いた。特別棟に向かっている。本来、舞台のある体育館へ行くには渡り廊下を渡らずに、左手の階段を下りて裏庭を突っ切った方が早いのだ。
「はは、ミナちゃんとシンくんに会いに行くクセがついちゃってるなあ」
苦笑しながら階段を降りかけて、
「――待って、ノリちゃん」
「え?」
聞き慣れた声に後ろから手を引っ張られて、階段を降りようとしていた私は踊り場で踏鞴を踏んだ。バランスを崩した身体を、自分より長い手が支えてくれる。
「ちょ、ちょっとトシ? 危ないじゃないの!」
びっくりして言い返す。
「ていうか、何!? 私これ持ってかなきゃいけないのに……」
「行かせない――って言ったら?」
「は?」
私は意味が分からずトシをふり返ろうとした。だがその前に、トシの腕が私の首の前に回ってくる。
え? 何? 今どういう状況?
私の頭の中に、最近書いた小説の一場面が思い浮かんだ。
『窓の下から例の彼が自分を呼んでいる。彼女がふっと笑って階段を降りて行こうとした時、後ろから手首を掴まれた。
「――行かせないよ」
「え?」
引き寄せられて、彼女の首に腕が回る。――彼女を引き止めたのは、彼女の幼馴染みの少年だった。』
そう、実はあの話の間にも色々あって、主人公の少女を好きな幼馴染みも登場する。今まで何かと彼女に協力してきてくれた彼だが、ついに告白することを決めたところだった。
――で、今、何で。思考が現実に引き戻される。
「ノリちゃんも振り切って行っちゃう? ――あの小説みたいに」
耳元で聞こえた低い声にドキリとする。
「!」
すっと腕が緩んだ。ゆっくり振り返ると、少し困ったように微笑むトシがいた。暫く呆然としていたが、急に先程されたことを思い出して顔が熱くなる。一気に心拍数が上がったような気がした。
「な、な、トシ、何やってっ……」
「本当は主人公みたいなヒーローやりたかったけど、僕にはそんなの無理だから」
「だから何でいきなりそんな……」
「ノリちゃんが好きだから」
「へ……っては、い?」
頭の中が真っ白になる。頭がトシの言葉を理解せず、ただ彼の顔をぼーっと見上げていた。
「ノリちゃんのその鈍いとこも嫌いじゃないけど……さすがにちょっと我慢できないかな」
「に、鈍いって……」
何が、と続けようとした所でトシが一歩距離を縮めた。ドキリとして、一歩下がりそうになる。
「前に言ったよね? 僕に彼女ができたら一報しろって。あれ、どういう意味で言ったの?」
「意味なんて……」
意味は――ある。あるが、トシの前でどういえばいいのか、分からない。トシはそのまま続けた。
「その後、僕も言ったよね。ノリちゃんに彼氏ができたら教えてって」
私は小さく頷いた。目は、彼のそれから離せなかった。
「僕は、その報告が同時になれば良いのにって思ってたよ」
「……同時?」
その意味を考えて、私は目を見開いた。それは私とトシ、それぞれがそれぞれの彼氏彼女を見つけるのではなくて――
「正直に言う。前に美術部のモデルの件でノリちゃんが勘違いした時、それが妬きもちだったら良いなって思った。それくらい、僕はノリちゃんのこと想ってたよ」
「……」
こんな漫画みたいな展開があるのか? と頭のどこかで誰かが言う。だって、まさか、トシが私のことを好きだなんてそんなことがあるわけ――
「そんなこと、あるんだってば」
「そうそう、夢じゃないよ。トシ兄マジだから」
どこからかひょっこりミナちゃんとシンくんが現れる。
「!?」
私はびっくりして固まった。
「ノリちゃんはトシ兄がもし彼女つくっちゃっても、本当に良いと思ってたの?」
ミナちゃんがじいっと私の目を見つめる。その瞳は吸い込まれそうになるくらい、純粋で綺麗だった。
「私は……」
もしトシに彼女ができたら。前からもやもやしていた気持ちが、またぐるぐると胸に渦巻く。
「彼女ができちゃったら、今までみたいに一緒にいられなくなっちゃうよ?」
ミナちゃんが困ったように眉を下げて、私の手に彼女の小さな手を伸ばした。実体がないので直には触れられないが、重なった場所はほんのり温かく感じた。
――そうだ。もしトシに彼女ができたら、
「……うん、私にはもう構ってくれなくなっちゃうよね。私だって、遠慮しなくちゃいけなくなるよね。もう、一緒に帰ったりもできなくなっちゃう……」
私は何だか泣きそうになるのを堪えて上を向いた。少し上にある、トシの顔を見る。
ああ、そっか。私はトシと一緒にいたいのか。もしかして――これが、「好き」なのか?
「……トシは誰にでも優しいし頼りになるから、きっと私だけじゃないんだろうなって思ってた。ずっと、幼馴染みだからなんだって思ってた」
「幼馴染みだからってのは少し利用してたかもしれない。だけど、その理由は後付けだったよ。だって普通の幼馴染で、高校生になっても一緒とか……しかも男女でってそんな無いでしょ」
「……そうだね」
じゃあ、トシは本当に――
「もう! ノリちゃん! トシ兄の気持ちは本当なんだってば! ノリちゃんは!?」
ずっと黙っていたシンくんが痺れを切らしたように言った。
「わ、私だって……好き、だと、思う、けど……」
勢いに負けて思わずたどたどしい言葉で口にする。
「何て? もう一回!」
シンくんは耳に手をあてるようにして言う。
「す、好きだと思う!」
「はい、よく言えました! めでたしめでたしー」
シンくんがにっこり笑って親指をぐっと突き出した。……え?
私はポカンとした。
「……何か多少無理やり感があると思うのは僕だけかな?」
トシがどこか呆れたような声で言って、「ノリちゃん」と私を呼ぶ。
まだ呆然としたまま上を向く。そこには真面目な顔のトシがいた。そういえば勉強や何かの作業時には眼鏡をかけるんだよね、とどうでも良いようなことを考える。
「さっきの、思わず言っちゃった、とかじゃない?」
トシの目は真剣だった。それを見てると、照れるとかそういうのも忘れて、ちゃんと答えなきゃ、という気持ちの方が勝った。
「……うん、本当だよ。私はきっと、トシが好きなんだと思う」
「きっと、ね」
トシがふっと笑って、私の頬を軽くぐにと引っ張った。
「な、何す……」
「ノリちゃんは僕といて楽しい?」
「それは楽しいに決まってるでしょ!」
私がムキになって言い返すと、トシは手をそのままにさらに尋ねた。
「じゃあさっきの、ドキッとした?」
「さっきのって……っ!」
さっきの。あの、小説の場面のヤツか。
「あれっ……あれ、何だったの!?」
まさかあれを現実にやられるとは思わなかった。ていうか、現実にやったらあんななのか、と書いた自分がすごく恥ずかしくなった。あんなのを絵で表現する漫画家はすごいと思う。
「……ああうん、ノリちゃんの顔見たら分かったよ」
トシがクスリと笑う。
「はあ?」
「赤い。それに熱い」
「……っ! トシ!」
からかうのもいい加減にしろ! 拳を握りしめた私に、トシは涼しい顔をして頬から手を放した。
「ノリちゃんってさ、あれだね。文章書かせたら上手いけど、言葉で伝えるの下手だよね」
「あ?」
「そのくせ表情には良く出る。分かりやすいなあ」
「……っ」
そういうトシはいつも微笑んで涼しい顔をしているくせに。勝手に勘違いしたり落ち込んだり、わたわたしているのはいつも自分だ。
「あーもう何かムカつく!」
「あはは」
「そろそろいいですかー?」
「ぼくたちのこと忘れてない? お二人さん」
下から声が聞こえて、トシと共に下を向いた。そこにはやれやれと言いたげなミナちゃんとシンくんがいた。
「あ」
私がますます赤くなって横を向き、トシはふふと余裕の笑みを浮かべて二人の頭に手を乗せた。
「ところでさ、ノリちゃん。それ持ってかなくていいの?」
シンくんが私の手の中にあるガムテープと紐の束を指さす。
「あ」
忘れていた。
「まだ十五分くらいだし、大丈夫じゃない?」
トシが腕時計を見ながら呑気な声で言う。
「ちょっと! 行かなきゃ! 早く行くわよ」
私はトシの手を引っ張った。
「え。そんな急がなくて大丈夫だってば」
「ダメよ! もう皆行ってるの!」
「真面目だなあ、ノリちゃん」
「うるさい! 早く!」
「「いってらっしゃーい」」
後ろで元気な二人が見送ってくれた。
「これで良かったんだよね?」
「良かったんじゃねえの?」
ミナの問いにシンが答える。
「これで文化祭は二人と一緒に回れるね!」
「だな! 楽しみだ!」
特別棟に、誰にも聞こえない子どもの声が元気よく響き渡った。
「ねえトシ……」
「ん?」
別にお互いの気持ちを知ったからって、そんな急に何かが変わるわけじゃない。いや、むしろ変わって欲しく無くて、いつものように隣をのんびり歩いているトシにほっとする。
「あのね、小説のことだけど」
私は一つ、トシに伝えたいと思っていたことがあった。
「ああ、アレのこと?」
トシがにやりと昼間の話を持ち出す。
「いや、あってるけど違うくて!」
また顔が熱くなってきそうなのに悔しくなりながら、私は一つ息を吐いた。
「確かに私、ヒーローみたいな男の子には憧れてたよ。そんな人が出てくる物語好きだし」
「……ふーん」
「でもね」
私は小さく笑った。トシが首を傾げる。
「何?」
「現実で考えると、きっと私は中心にいるヒーローよりも、もっと脇役にいるような……あの幼馴染みの男の子みたいに、支えてくれる人が好きだなって思うんだ」
だってよく考えたら、トシも私にとったらそんな存在ではないか。
「……今回のヒロインは雰囲気がノリちゃんに似てたから、幼馴染みが振られる展開はちょっと面白くなかったんだよね」
トシがボソリと呟く。
「そうかなあ? 知らずに参考にしてるかもだけど、私は自分をヒロインに重ねたことってあんまり無いよ?」
自分とは違うキャラクターだから、動かしていて楽しいと思う。むしろ自分を重ねたら自由に動けなくなってしまう。
「ヒロインより、サブキャラの方が好きだし」
「ノリちゃんらしいね」
トシはふふと笑いながら頷く。
「でももう恥ずかしいことはあんま書けないなーと思った」
じろりと隣を見上げる。彼はきょとんとして見返した。私は思わず俯く。
「……実際されると恥ずかしさ半端なかった」
まさかトシがあんなことをするとは思わなかった、というのもある。
「アレ、やった方も結構恥ずかしかったよ?」
「え」
再び見上げると、トシは半笑いだった。だったらなぜやったのだ。
「ああいうのって、小説とか漫画とかドラマだから、くさいセリフ付きでやれるんだと思うよ」
素面じゃ無理無理、と手を振って言う。
「ああ、もう恋愛系は書けないかもしれない……」
「え、それは残念。ノリちゃんの青春恋物語好きなのにな」
「えー」
基本トシは何でも面白いと言って楽しんでくれる。彼がいるから、私はまだ書き続けていられるのかもしれない。
「まあでも」
トシがふふと楽しそうに笑う。
「ん?」
「ノリちゃんがどうしてもって言うなら、他のヤツも試してあげても良いよ? 照れたノリちゃんかわいかったしね」
「なっ……あんたねえ!」
私は反射的にトシの肩を容赦なく叩き、恥ずかしさを紛らわせるように一歩先に駆け出した。暫く後ろで堪えるようなくすくす笑いが聞こえてきたが、やがて静かに彼が尋ねてきた。
「そういえば、ノリちゃんって小説のタイトルどうやって考えてるの?」
私はきょとんとして振り返った。
現実に降る物語 葵月詞菜 @kotosa3
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