第2話 おっきな紙に描いて

 背景係には心強い美術部が三人もいる。因みに私も絵を描くのは嫌いでは無い。

「草原の絵は茶の地面と緑の草で良いと思うんだよね。問題はお城の絵だよ」

「演劇部の佐藤さんにアドバイスもらおう!」

「とりあえずお城の写真資料は図書室から借りて来たよ」

 美術部の女子三人は腕組みして唸っている。私と他のメンバーは、余計な口は挟まずそれを見守っていた。とりあえず無難にこなしたいので、彼女たちに任せるのが良いと判断したのだ。

「谷平さん、悪いけど裏庭で練習中の佐藤さん呼んで来てくれない?」

「うん、分かった」

 声をかけられた私は頷き、役者たちが芝居の練習をしている裏庭へと向かった。途中の廊下や空き教室でも、色々と文化祭準備の風景が広がっている。

 裏庭では佐藤さんが主人公役の生徒と何か話していた。彼女自身も舞台に上がるが、同時に劇全体の監督も担当している。私は話が終わるのを待って、彼女にそっと近付いた。

「佐藤さん」

「あ、谷平さん。どうしたの?」

「ちょっと背景が決まらなくて……アドバイスが欲しいなあって」

「了解。この場面終わったらすぐ行くわ」

 佐藤さんは快く答え、また芝居の方に戻って行った。

「ねえ、ちょっとごめん」

 すぐ横から声を掛けられて、少しびっくりしながらそちらを向く。そこには狩人役の辰野君がいた。

「今から教室戻るなら、衣装係にこれ渡してくれない?」

 それは、出演者たちの大まかなサイズが書き込まれたリストだった。これを元に衣装係たちは衣装を作るのだろう。

「うん、渡しとくね」

「サンキュ、谷平」

 そう言って笑った顔は人懐こい。そういえば辰野君は誰にでもこうなので、男女関係なく皆から好かれている。そう、まるで少女漫画に出てくるヒーローのような男子だ。正直、私には眩しすぎるというか、爽やか過ぎるのだけど、笑顔を向けられて悪い気はしない。

 衣装係にリストを渡して戻ると、背景係はまだ相変わらず頭を悩ませているようだった。帰って来た私に皆の――特に美術部三人の縋るような視線が突き刺さる。

「い、今やってる場面が終わったらすぐ来るって」

 私は言われたことをそのまま伝え、ふうと息を吐き出した。

 と、そこへ、

「ノリちゃん、ノリちゃん!」

「! シ――」

 反射的に自分を呼んでいる男の子の名前を言いかけて、はっとする。そうだ、私とトシ以外、彼らの姿は見えないのだった。私は慌てたように廊下側の窓からこちらを覗いて大きく手を振っているシンくんと、その隣で困ったような顔をしているミナちゃんに近付いた。廊下に出て、二人を人気のない所に連れて行く。

「どうしたの?」

「ごめんね、ノリちゃん。授業中とかは声掛けちゃいけないって分かってたんだけど、どうしてもシンくんが大きい紙を見たいって言うから」

 ミナちゃんが説明してくれる。

「だってノリちゃん、おっおきーい紙だって言ってたから」

 シンくんがぶーと唇を尖らせる。彼はそれがずっと気になっていたらしい。

「うん、そうだね。でもまだ何も描けてないから、出来上がってからのお楽しみにしようよ」

 私はシンくんの前にしゃがみ込んだ。シンくんは「ちぇっ」と言って、それでも素直に頷いた。

「ノリちゃん、どうしたの?」

 後ろから焦ったような声が聞こえて振り向く。そこには小さな段ボールを抱えたトシが立っていた。

「あ、何だ。シンとミナが一緒だったのか。しゃがんでたから、何かあったのかと思った」

 トシはほっとしたように息を吐く。私はゆっくりと立ち上がった。シンくんとミナちゃんがトシの周りに纏わりつく。

「トシ兄、それ何?」

「何が入ってるの?」

「さあ、何でしょう」

 トシは少しおどけたように言ってそれを二人の前で開けた。中には劇で使う雑貨などの小物が入っていた。

「何これ何これ」

「造りもののお花が入ってるー」

 二人が目を輝かせて箱の中を覗き込んだ。

「松崎君?」

 トシの向こうで彼と同じ小道具係の生徒が不思議そうに呼ぶ。

「あ、今行く」

 トシは返事をすると、二人の前で段ボール箱を閉めた。シンくんとミナちゃんが分かりやすく残念そうな顔をした。

「使い終わったら二人にも遊ばせてあげるから、それまで待ってて」

 トシはそれだけ言って、私にも軽く微笑むと小道具係に戻って行った。

「良いなあー。トシ兄もノリちゃんも楽しそうー」

「わたしたちも何かやりたいねー」

「うーん……それは難しいなあ」

 当日一緒に回るくらいならできるかもしれないが、きっと自分一人では傍から見ると変な人だろう。シンくんとミナちゃんは周りには見えないからだ。友達を連れて行くわけにもいかない。

 トシと一緒に回ってもらうか? ……うーん、回ってくれるだろうか? 通学を共にすることはあっても、さすがにこれまで文化祭などで一緒に回ったことは無い。だって一緒に回るって……何か……。

「あれ? どうしたのノリちゃん。顔赤いぜー?」

「え!?」

「ホントだー。何、今のトシ兄の微笑みにドキッとした!?」

「は!?」

 なぜだか分からないが、目の前の二人がニヤニヤと私を見上げる。

「な……何でもない!」

 私は言い切ると、二人にくるりと背を向けた。そろそろ背景係に戻ろう。佐藤さんも来てくれているかもしれない。



「ノリちゃんどうして気付かないんだろ。トシ兄ってそんな魅力ないの?」

 シンが呆れたように肩を竦めた。それにミナが反論する。

「そんなこと無いよ! トシ兄は良い人だよ!」

「うん、それは分かってるけどさあ……ああもうもやもやするなあ」

「ノリちゃんのそういうとこ好きだけどね」

 ミナが困ったように眉を八の字に下げた。

「ていうかトシ兄も、いい加減告白しちゃったらいいのに」

「何考えてるんだろうね」

 シンとミナは、暫くぶつぶつとそんなことを呟いていた。



 ようやく背景の下書きが終わり、色づけ作業が始まった。色はほとんどベタ塗りなので、指定された色をひたすら塗って行く。私たちは体操服に着替え、上靴を脱いで直接紙の上に乗って作業する。机と椅子を出した教室一杯に広げた二枚の紙の上を、大きな筆と段ボールのパレットを手にうろうろする。

「水替えてきまーす」

「はいはいお願いー」

 私は上靴に足を突っ込み、水入れになっているバケツを持って教室を出た。廊下や隣の空き教室では大道具係と小道具係がそれぞれ工作をしている。本格的に形になってきているのが少し感動的だ。

 あ、トシだ、と教室の端に彼の姿を見つける。何人かと真面目な顔で話しているなあと思ったら、またそこへ一人、違う女子生徒が声をかけていく。トシはそちらにも丁寧に対応していた。

 ああいう所がトシらしいな、と思う。普段から静かで物腰が柔らかい彼は、その性格故頼られることも多い。クラスでは別に目立つわけでも無く、どちらかというと控えめな地味な位置にいる。だが常に対応が丁寧で、困っていたら助けてくれる。何よりまず話を聞いてくれるから、相談した方もとても安心するのだ。

 ふとトシが視線を上げる。

「あ」

 目が合って、思わず逸らす。本当最近こんなんばっかりだ。私はバケツの水替えを思いだし、足早に水道の所に向かった。

 何か気まずい。何で気まずいんだろう……。

「松崎君が小道具係で助かったね」

「ホントホント。頼りになるよね」

 後ろを通りかかった女子たちの会話が聞こえた。そうだろうそうだろう、と自分のことのように嬉しくなる。

「わたしトシ兄にホレちゃうなあ~」

「え」

 水を止めるタイミングを逸した。

「わわ、ノリちゃん、溢れてる溢れてる!」

「今のはミナが悪いだろー」

 私ははっとして水道の栓を回し、自分の右側を見下ろした。そこにはちょこんと小さな二人が並んでいる。

「……ミナちゃん、シンくん」

 二人はにっこり微笑むだけだ。

「……今相手できないのは分かるよね?」

「うん、ちょっと見学してるだけ」

「見てるだけでもけっこー面白いし」

「そう」

 私はふうとため息を吐き、バケツを傾けて入れ過ぎた水を流した。

 そしてバケツを手に提げた所で、ミナちゃんが小さく言った。

「ノリちゃん、あのね」

「ん?」

「トシ兄、ホントに良い人だから、早く気付いてね!」

「……何が? トシが良い人なのはもう知ってるよ?」

「そういうことじゃなくて!」

 ミナちゃんは「ううう」と何か悔しそうな顔をする。シンくんが黙って彼女の肩を慰めるようにポンポンと叩く。

「? ……じゃあ、またね」

 私は若干首を傾げながら、バケツを持って教室に戻った。――のだが、

「ここの色、これで舞台映えるかな?」

「分かんない! 佐藤さんに聞かなきゃ。あ、谷平さん」

 上靴を履いたままだった私に白羽の矢が立ったらしく、バケツを置いてまた教室を出ることになった。渡り廊下の角を曲がると、休憩に出たらしいトシがいた。その傍にはミナちゃんとシンくんがいる。

「あれ? ノリちゃん?」

 先程教室に戻ったばかりなのに、とシンくんが首を捻る。

「ちょっとお遣い!」

 私はそれだけ答えて裏庭に足を進めた。我がクラスは今日も裏庭で芝居練習に取り組んでいた。

「あ、背景何か問題?」

 もう慣れたように佐藤さんが先に気付く。私は頷いて色の件を伝えた。丁度休憩中だったのか、すぐ行くわと佐藤さんは踵を返した。私もその後を追おうとして、

「はい、谷平も」

「え?」

 いつかのように、横から何かをずいと差し出される。見るとスーパーの袋の中に、チョコレート菓子が詰まっていた。それを持っているのは辰野君だ。

「先生からの差し入れだって。多分そっちの教室組にも後で行くだろうけど、よくお遣いしてるからどうぞ」

「あ、ありがと」

 私が手を突っ込んで一つ取ると、辰野君はまたにっかり笑う。

「オレらも佐藤の指導に耐えるのしんどいけど、谷平たちもあんなおっきいの大変だもんな」

「うーん、こっちは頼りになる美術部がいてくれるから」

「あそっか。確かにな」

 お互いふっと笑ったところで、辰野君を呼ぶ声がした。

「まあ、頑張って」

「うん、ありがとう。そっちもね」

 私はお菓子を口に含みながら、今度こそ教室に戻った。




「あ、ノリちゃんいるね」

「あんなとこまでお遣いだったんだ」

 ミナとシンの視線を追って渡り廊下の窓から下を見る。丁度裏庭が見え、校舎からテケテケと小走りで行く彼女が見えた。

 佐藤が彼女に気付いて振り返り、そして――

「「あの人誰?」」

 ミナとシンの声が重なった。トシは黙ってその様子を上から眺めていた。彼女はクラスメイトの男子から何か袋を差し出され、戸惑いながらも手を突っ込んだ。その顔にはわりと打ち解けた笑みが浮かんでいた。

(ふーん。やっぱりノリちゃんのタイプってああいう……)

「ちょっと、トシ兄、あの人……」

「何かノリちゃん笑ってるぞ? 良い雰囲気に見えるけど」

「……ノリちゃん結構ああいうのに憧れあるからなあ」

 トシはふっと笑うと、微かに目を伏せた。最近彼女が自分と目を合わせては避けるなと感じていたが、それは照れくささからくるものだと思っていた。もしかしたら、少しは自分を意識してくれているのかもとも思っていた。

(気のせいだったのかな)

「じゃ、僕は戻るよ」

「ちょっとトシ兄?」

「え、何さ!」

 後ろで二人がおろおろする気配を感じたが、フォローできる気分ではなく、彼女と再び会う前にトシはさっさと自分の仕事に戻った。

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