現実に降る物語
葵月詞菜
第1話 15センチメートルに何を込める?
主人公の少女が憧れるのは、自分とは違う世界にいるようなクラスの人気者の彼。文化祭で大道具係の担当になるが、上手く皆に指示を出すことができない彼女を救ってくれたのは例の彼だった。そして、二人は少しずつ距離を縮めていく――。
私はノートパソコンの中に踊る文字の羅列を見て、ふうと息を吐いた。少女漫画にありがちな設定だな、と思う。だが、私自身も好きだったりするので仕方がない。
まあ、現実でいうと私はこういう男子よりも――とふと考えて、またため息を吐く。いやいや、何でも無い。
別に特に好きな男子がいるわけでは無かったが、最近幼馴染みのトシの周りに女子の姿を見ると、急にそわそわしてしまう。先日など、勝手な勘違いをして恥ずかしい思いをした挙句、こんな言葉を交わしてしまった。
『と、とにかく! 彼女ができたんなら幼馴染みの私に一報くらい入れなさいよね!』
『分かった。けど、ノリちゃんにも彼氏ができたら僕に教えてよ』
今から思い返すと意味が分からない。何で彼にあんなことを言ってしまったのか。とりあえず、トシが私に何も言わないまま彼女をつくってしまうのが許せなかったのだと思う。
だって、彼女ができちゃったらもう私に構ってくれないだろう。ていうか、私の方こそ空気を読んで控えるべきなのかも。せめてその心構えくらいさせてほしいと思うのは我が儘か。
でも、いつ何がきっかけになるかなんて分からない。自分を含め、トシだってそういうお年頃なのだ。高校生になっても幼馴染みとしてつるんでいられる現状の方が不思議なのかもしれない。
「あ、部長だ」
机の上に置いていた携帯が着信を告げた。表示されたのは文芸部部長の名前で、恐らく文化祭で出す部誌の原稿の取り立てだろうと予測する。
「もしもし……ああ、はい、大丈夫です。明日には上げますから」
電話の向こうで部長がほっとしたような息を吐く。自慢では無いが、私はまだ一度も原稿を落としたことは無い。
通話を終えてパソコンに向き直る。再度初めから目を通し、少し修正を加える。最後にタイトルを確認しようとして、ふと本棚に並ぶお気に入りの文庫本を眺めた。
15センチメートルの縦長の背が、タイトルをこちらに向けて綺麗に並んでいた。タイトルの長さ、ページの厚さはそれぞれだが、本自体の縦の長さはほぼ同じだ。
その限られたスペースに浮かぶ文字にはどんな想いが込められているのか。はたまた私みたいに直感で決まるのか。
完成した原稿データをUSBに保存し、いつものように二部プリントアウトした。一部は部に提出するもの、もう一部は毎回一番に目を通す読者用だ。
「よし、終わり! さあ寝よ寝よ!」
私はうーんと伸びをしてベッドに潜り込んだ。
「本当ノリちゃんってこういうの好きだね」
読者第一号は、眼鏡を外して開口一番そんな感想を漏らした。顔に浮かぶ笑みは、呆れているのかバカにしているのか何なのか。
「何か文句でも?」
私は他に読んでいた本から顔を上げた。誰かに自分の作品を読んでもらうのはすごく緊張するが、トシに限ってはもうすっかり慣れっこだった。
「いや、別に文句なんてないよ。文化祭がまさに今の自分たちに身近だし、青春だなあって感じる」
トシが付け加えるが、既に私には言い訳にしか聞こえない。
「だってテーマが文化祭だったんだもん! それで書き始めたら、そうなっちゃったんだから仕方ないじゃない!」
「……ノリちゃん、何で怒るの?」
思わず声を上げた私に、トシが唇の前に人差し指を立てて「しーっ」と示す。そうだ、ここは図書室だった。
「まあだいたいの女子もこういうの好きだけどね。いかにもなカッコイイヒーロー」
トシがどこかつまらなそうに呟く。
「何? トシの方こそ怒ってない?」
「別に怒ってないよ」
トシはふっと表情を緩ませて、プリントアウトした束を私に返した。
「お疲れ様。期限前に仕上げるところはさすがだね」
「当たり前でしょ。そこが私の取り柄よ」
私は受け取って鞄にしまった。この後部室に寄らなければならない。
「トシは図書当番終わったら家直行?」
「うーんちょっとあいつらに会ってから帰ろうかなと思ってる」
『あいつら』とは、この学校の特別棟に住みついている(?)小学三年生くらいの男の子と女の子のことだ。しかも彼らは霊的な存在で、姿が見えるのは生来そういうものが見えるトシと、それから彼に紹介された私だけだった。
「そっか。私も会いたかったけど、今日は無理そうだなあ」
「うん、ノリちゃんは部活頑張っておいでよ」
トシはあっさり言って、鞄を持って椅子から立ち上がった私に手を振った。
「うん、じゃあまた明日。二人によろしく言っといて」
「了解。バイバイ」
私は図書室を後にして、文芸部の部室に向かった。
(あんなのがタイプなのかなあ)
トシは眼鏡を掛け直しながら、カウンターの中でふっと困ったように微笑んだ。中学生の頃から幼馴染みの彼女の小説を読んできたが、毎回あのようなヒーローが登場する。またかと思いつつ、決して憎めないその登場人物がトシも嫌いではないのだが、それでもどこかつまらないと感じてしまう自分がいる。きっと彼女が憧れるそのヒーローに、自分が似ても似つかないと分かっているからだろう。
しかし正直言うと、あまりそういうキャラになりたいとも思わない。――そもそもなれるわけもない話だが。
(……あーあ、ガキくさいな)
思わず漏れそうになったため息を押し殺して、ふと視線を本棚にやる。文庫本が詰まったその棚は、古いものから新しいものまで著者順に綺麗に整理されていた。
近くにある文庫本のタイトルを無為に目で追った。その15センチメートルの背に並ぶ縦表記の文字は、シンプルに短いものから二行に渡る長いものまで様々だ。タイトルからでは中身を想像できないものも少なくなく、作者はそこにどんな想いを込めるのだろうか。
(そういえばノリちゃんの話もタイトルからじゃ想像できないヤツ多いような気がする)
いつも感想で触れるのは中身についてなので、今度タイトルのことも聞いてみよう。彼女の小説が文庫本の形になる予定は今のところないが、彼女だったら15センチメートルの長さの中で何を伝えるのだろう。
(って、結局またノリちゃんのこと考えてるし……)
トシは小さく笑い、視線を手元の紙に戻した。文化祭の小道具作りの日程表だった。トシの学年は演劇をやることになっており、出演しない自分の役割は小道具係だ。副リーダーになってしまい、日程調整が今の急務だった。
(面倒臭いなあ)
トシは図書委員である代わりに部活動には参加していない。そのため色々と頼まれることも多かった。
(ノリちゃんは背景画担当だったっけ。うん、締め切りに間に合わせて正解だよ)
彼女はどこか抜けているところがあるが、やるべきことに関しては割と要領が良い。
(文化祭かあ。シンとミナがはしゃぎそうだな)
小さな二人を思い出して、トシは頑張ろうと気持ちを改めた。
部室に寄って、部誌を発行するのに必要な作業を行ってきた。だが大半は、疲れた部長の愚痴を聞いていたようなものだった。部室にパソコンは無く、また持ち込みも禁止されているため、ほとんどの部員は家で執筆する。しかし一方で、部室でノートや原稿用紙に書きつけて後で打ち込む人たちもいる(因みに最終印刷に間に合わなかった場合、手書きコピーをそのまま挟み込むことになる)。彼女たちがいる部室の端からは時々怪しい唸り声が聞こえて来たが、その気持ちは分かるので優しく見守るにとどめた。
「すっかり遅くなっちゃったなあー」
帰りにふと思いついて、少し遠回りになるが特別棟の階段を使って昇降口に向かうことにした。
「「あ、ノリちゃん!」」
階段にさしかかった所で小さな子どもの合唱が聞こえた。
「シンくん、ミナちゃん」
二人が元気に私に駆け寄ってくる。目線を合わせて二人の頭を撫でると、嬉しそうににこにこと笑った。
かわいい。癒される。先程まで聞いていた部長の愚痴が吹っ飛ぶようだ。
「トシ来てくれた?」
「うん、一緒に階段でグリコしたよ」
「またミナが負けたけどな」
「うう~」
ニヒヒと笑うシンくんにミナちゃんがむくれる。私は思わず苦笑した。ミナちゃんはじゃんけんに弱いのだ。
「そういえば最近、わくわくする感じがするよね」
「トシ兄は文化祭とか言ってた」
二人が目を輝かして言う。学校の浮き足立ったような雰囲気を、彼らも感じているらしい。
「うん、文化祭。発表会があったり、模擬店……色々なお店が出たり、お祭りが行われるんだよ」
「あ! あれか! 今までも何回かあった」
「わたしもお祭り好きー」
察するに、どうやら二人は何年かここにいるようだ。
「ノリちゃんは何やるの?」
シンくんが尋ねてくる。
「私のクラスが演劇するから、その背景を作る係かな。でっかい紙に絵を描くの」
「すげえな! こーんなに大きい?」
シンくんが両手いっぱい広げて見せる。ふふ、かわいい。
「もっともっと」
「えー、もっとおー?」
想像できないのか、彼は目を丸くした。その横から今度はミナちゃんが身を乗り出す。
「ねえねえ、トシ兄は小道具係とか言ってたけど、何するの?」
「ああ、小道具はね、劇で使う物を用意するんだよ。例えば、魔法の杖だったり、飾りだったり、無かったら作るの」
「へえ、すごい! でもトシ兄器用だから大丈夫だね!」
「そうだね」
二人と喋っていると、正直まだあまり気が乗っていなかった文化祭も少しわくわくしてくる。
その時、
「やっぱりまだいた」
「……トシ?」
下から階段を上がって来たのは今話題に上がったトシだった。
「あれ? もう帰ったんじゃなかったの?」
「帰ろうとしたら、担任に捕まって小道具について色々説明が……」
少しうんざりしたように言いながら、トシもまたシンくんとミナちゃんの頭を撫でた。
「で、昇降口に行って下駄箱覗いたらまだノリちゃんの靴があったから、もしかしてと思って」
当たり、とトシが笑う。その顔を見たらなぜだか恥ずかしくなって、私は視線を逸らせた。
また明日って言って別れたのに、結局会っちゃったな。
それが少し――ほんの少しだけ嬉しいと感じる。
「もう暗いし、帰ろう。おばさんも心配するよ」
「うん。またね、シンくん、ミナちゃん」
手を振ると、二人も名残惜しそうに手を振り返してくれた。
「次は絶対遊ぼうね!」
「約束だぜ!」
「うん」
「ミナはもうちょいじゃんけん鍛えときな」
トシも苦笑しながら手を振る。二人と別れ、私はトシと昇降口に向かった。トシとは途中まで帰り道が同じだった。
「わざわざ私を探しに来てくれたんだ?」
暗い道を駅まで歩きながら私がぽつんと呟くと、隣でトシが小さく笑う。
「もう日も短くなったし、帰り道は途中まで一緒だからね」
「……そっか」
それは単に幼馴染みだからついでに、ということだろうか。
目の前が急に明るくなって、あっという間に駅まで来ていたことに気付く。私たちは定期で改札を通り抜け、そのまま丁度やってきた電車に飛び乗った。
時間帯が帰宅ラッシュに重なったせいで、いつもより人が多い。
「ノリちゃん女性専用車両行けば良かったね」
トシが困ったように言いながら、それでも私が潰れないように守って立ってくれる。
「……大丈夫。次の駅でほとんど降りるだろうし」
私は苦笑して答え、ふとトシがいつもよりずっと近くにいることを意識した。
あれ……? トシってこんな大きかったっけ?
男子の平均的身長で少しやせ形の彼だが、間近で見ると思いのほか大きく感じた。
「ノリちゃん? 大丈夫?」
黙って俯いていた私の上から、心配そうな声が降ってくる。
「だ、大丈夫!」
そう言って思いきり顔を上げて、
「あ」
ばっちりトシと目が合ってしまった。急に気まずくなる。
何か最近こんなのばっかだ……。何なんだろう。
一方トシは困ったようにふふと笑うだけだった。私のように気まずいといった様子は無い。やはりこれは私の方だけなのか。
次の駅に着いて人が急に減る。トシと先程よりも開いた距離に、私は少し安心して、でも少し物寂しさを感じた。
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