-8-

 「お父さん!」


 「おぉ、チセ、よかったなぁ。あぁ、よかったよかった」


 田木父娘は長い間抱擁し合っていた。


 「おれには何の礼もなしか?」


 「そう腐るない、ユートさん。最後のアクロバットはなかなか決まってたぜ」


 鉄太が差し入れてくれたコーヒーをすすりながら、祐人はしばしぼうっとしていた。


 大豪傑1号は新たな命令を入力されて基地に帰り、入れ替わりに到着した軍隊は、ただちに証拠隠蔽を始めた。


 その証拠の中には、鉄くずと化したジャビズリも含まれていた。運ばれていくその残骸をしみじみと眺めながら、祐人は、ほんの数時間で起こったこの事件のことを考えようとしたが、なぜだかあまり思い返せないのだった。


 父娘の方を見やると、もう祐人がいたことなど忘れたかのように、名和を交えて、よく解らない会話が始まっていた。


 「しかし、目標修正能力がまだまだ低いな。あれではピンポイント狙撃は無理だ……」


 「修正能力が低いんじゃなくて、修正してから反応するまでの伝達が遅いのよ」


 「でもアルゴリズムはあれで限界です。ハードから変えないとあれ以上の伝達速度は……」


 田木甚次博士は結局、この一件に関し、誰に何ら謝罪の言葉を発することはなかった。




 長い一日が終わり、すべての事件は、予想通り軍が握りつぶした。マスコミがおおっぴらに騒ぎ立て、くだんの少将が、会見場から鴨居の下に到るまでつるし上げられたが、あまりに現実離れしていたせいか、破壊されたビルや五号線の復旧が進むにつれ人々の話題も日常に戻っていった。人的被害がほとんどなかったため、誰もそれを社会問題にすることを望まなかった。


 また、報道が到着したのは、軍によって電気街に箝口令が敷かれた後だったから、その前を走っていたジャビズリの正体が明らかになることはなかった。


 そういうわけで、祐人には、またもとの怠惰な日常が戻ってきた。約束の倍額報酬は、いくらか色をつけられた上で、きちんと振り込まれていた。ツケはすべて払ってそれでも十分な余裕があったから、ぐうたらと寝ていればそれで時間は過ぎていった。


 ところがその怠惰な日々は三日しか続かなかった。


 適当に働けば食っていけるといっても、探偵の看板を掲げる限りは車が要る。そろそろ破壊されたジャビズリの代わりの新車を見繕わねばなるまいと、重い腰を上げかけたとき、訪問者の到来を告げるインターホンが鳴った。


 田木千世だった。


 「えっと……そのぅ……こないだは本当にごめんなさい」


 入ってくるとすぐ、しおらしく頭を下げた。


 「へぇ、やけに神妙だな」


 「それであのぉ……お詫びといっては何なんですけど……」


 「?」


 「あのジャビズリ、直してきました」


 ものすごく嬉しい話のはずなのだが、千世がそこで見せた明るい笑顔に、究極に悪い予感が体中を駆けめぐったのは、やはり条件反射だったろうか。


 祐人は事務所を飛び出して、エレベータが来るのももどかしくマンションの正面の、植木に囲まれた駐車場へ駆け込んだ。自分のスペースには、確かに己のジャビズリのなつかしい黄色の姿があった。ナンバーは変わっていないし、いつぞや排気周りにうっかりつけた傷もそのままで、確かに数日前まで自分の乗っていたジャビズリだ。ぐちゃぐちゃに壊れたはずのボディは、ぴかぴかに新調され、直してきたというよりもむしろ弁償されたように見える。───だが、祐人が姿勢を低くしてそのボディに指と視線を這わせると、あり得るはずのない継ぎ目を発見できた。


 「チーセーちゃん?」


 追いかけてきた千世は、また幸せそうに微笑んで、頬の横で人差し指を立ててみせた。


 「はいっ、そのまま直すのはつまらないので、ちょっと改造してみましたぁ」


 祐人は、ボディを見ていた視線を、そのままねめ上げて千世を睨みつけた。


 「ちょっと?」


 「えぇ、ちょっとだけ」


 「どんなふうに?」


 「トランスフォォォォォム! って言うと、」


 祐人の目の前で、ぎしょぎしょぎしょおおんと音を立てて、丸っこいフォルムはそのままに、ボンネットが真ん中でばかんと割れ、フェンダーが手となり足となり、割れた奥からは顔がせりだし、人型となって大地に立ち上がった。


 「変身しまぁす」


 「どこがちょっとじゃい! おれのジャビズリ返せ!」


 「いいじゃない、普段は普通の車と同じに使えるわ」


 「だぁらおれは変形合体するメカなんざいらん!」


 「合体もできるってどうして解ったの?! すごぅい!」


 祐人は頭を抱えて、身長二メートルとなったネオジャビズリTFVⅡの足元にうずくまった。


 「ねぇ、あたしね、あなたには才能があると思うの」


 千世がその肩に手を置いてささやきかけた。


 「───何の?」


 「科学のよ。ねぇ、あたしの助手にならない?」


 「あん?」


 「代わりにあたしがあなたの助手になるってのはどう?」


 千世も祐人の向かいにしゃがみこんで、無邪気に笑いかけた。


 「お互いに助け合えば、何かもっと面白いものが創れそうな気がするの」


 祐人はあっけにとられてその笑顔を見つめた。いったいこれからどんな日常がくるのか、それが辛いのか嬉しいのか、見当もつかなかった。ただ解っているのは、それが望むと望まざるとに関わらずくるだろうということだった。


 ───怠惰な日常こそが不幸であるというなら、人生はしょせん幸福に向かうようにできている。そう考えない者が不幸になるのだ。だが、そんなこととは知らない壁の中の者たちは、今日もディスプレイに、電圧計に、シリコン基盤に向かい合い、新たな幸福の日々が自分の手の中から生まれてくることを望んでいる。あるいは広い宇宙のどこかに幸福なるものが転がっているとて、望遠鏡を覗きロケットを飛ばすのだ。


 彼らが幸福だと思っていることが、他人にとって不幸であったり、単なる道具に過ぎなくても、彼らはそんなことには振り返らない。


 駐車場に立つ黄色い二メートルの巨体は、その傍らで、何も知らずに遠くを見つめていた。


                               <終>

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