-7-

 ジャビズリのバッテリー交換は至極簡単で、それこそ焼けたトーストをトースターからひっこぬいて新しいのを差し込むようなものである。ただ差し込むバッテリーユニットが多少特殊で、どこにでも売っているというものではないのだが、ここは電気街、ここで売っていない電気部品を見つける方が難しい。


 そつのない鉄太は、ジャビズリのバッテリーユニットを、すぐに差し替えられる状態で用意していた。バッテリー交換自体は、十秒とかからなかった。


 「で、拡声器なんだが……ウチには置いてねー品だからよ、丁稚バイトによそに取りに行かせてんだが……まだ来てねェってのは、やっぱりあいつ『大至急』って言葉の意味解ってなかったな。どこでサボってやがる!」


 「気を利かせてもらってありがたいんだが」


 祐人はバックミラーを見て言った。



 「確実に、もう遅い」


 後方に見える豆粒の点は、あと十秒もすれば十二メートルに巨大化する。予想よりはるかに速い追撃だった。


 「かと言って───」


 「───手は、今思いついた。このジャビズリにフル出力させればできる」


 「何を?」


 「説明してる暇はない。要はチセの声があのでかぶつに聞こえるところまで寄せりゃいいんだろ」


 返事を待たず、祐人はギアをリバースに入れてジャビズリを発進させた。同時にハンドルを切り、屋台の隙間をビルの壁面に突っ込んでいく方向に、車体の向きを変える。


 祐人はビルを見た。このビルはオフィスビルで、窓は開かない。ひさしだのベランダだの、よけいな出っ張りはなく、見上げるとガラス製の将棋盤を見ているような感じだ。この下で屋台を組む鉄太のような連中の中には、雨ざらし吹きっさらしになるので、気候調節システムが雨風を予報したときには店を出さない者も多い。


 「何をするつもりなの?」


 千世が心配そうに言った。


 「すぐに解る、チセ、止める命令とやらをいつでも言えるように心構えしといてくれ」


 接近してきた大豪傑が、その視覚センサー内に祐人と千世をとらえ、例によって腕を振り上げかかったその瞬間、祐人はジャビズリを発進させた。


 「いくぞ!」


 屋台の間に突っ込み、ビル壁面ぎりぎりのところで、思いっ切りブレーキをかけると同時に、前部のエア噴出口のみ出力を増加させた。するとヘリが機首を上げるように、車体が上を向く。車体が垂直上向きになったところで、祐人は今度は思いきりアクセルを踏み込んだ。エアが車体の後方の地面を叩き、ジャビズリはビルの壁面を、カタパルトに接続されたロケットのように駆け上がった。


 いかにエアカーといえど、これは車体が軽く機動性能の良いジャビズリにのみ可能な芸当である。


 そしてこのとき、大豪傑はその場に立ち止まり、殴りつける場所の修正をしていた。目が、エアカーの上昇する動きを追っていく。無論エアカーのエアの力は、人工重力に逆らえるものではない。速度が落ち、やがて限界の高度に達しようとするところで、大豪傑は腕を引いた。この瞬間を見切り、祐人は後部エア噴出口の向きを変えて再びアクセルを踏み込み、車体の斜め後方のビルの側面に、エアを叩きつけた。


 「うりゃあああ!」


 ジャビズリが、ビルから離れていきながら、またわずかに高度を上げる。


 祐人の本来の意図は、このジャンプで大豪傑の耳のそばを通過することだった。後は車体の向きを制御しながら、下にエアを噴出しながら落ちれば、無事着地できるだろうと踏んだのだ。


 が、


 「な?!」


 ジャビズリの壁面からのジャンプは、高度が足りなかった。すなわち、大豪傑の空気を裂く猛烈な右ストレートが、ジャビズリの後部に命中し、車体を壁面に叩き戻したのである。


 「いやあぁぁっ!」


 千世が目を固く閉じ顔をゆがめて悲鳴を挙げたのも無理はない。ふたりの背中すれすれに、まさしく鉄拳が食い込んできたのだ。さらには、割れたビルのガラスが飛び散り、潰された電気系統からばちばちと火花が飛ぶ。


 「こなくそぉ!」


 祐人は、歯がみしながらも、これからどうすべきかを見て取り、即座に実行に移した。体を固くしている千世の手を取ってルーフの縁にかけさせた。


 「なに?なんなのよぅ!」


 「速くルーフから出るんだ!」


 間一髪、ふたりはルーフから出て、振り戻される手首に飛び降りることができた。腕がややゆっくりと戻ると、潰されたジャビズリが落下していく。


 ふたりは、ジャビズリが落ちて原型をとどめないほどに壊れるところを見ていなかった。見ている暇はなかったし、見たら自分たちの末路もまた見ることになったろう。祐人は千世の手を引き、ともすれば滑って落ちそうになる、高度十メートルの金属製丸太橋を、前だけを見て懸命に走って渡った。


 引き戻される腕、その折れるひじの角を曲がり、先行する祐人が何とか肩に取り付いたとき、大豪傑は腕を下ろした。自然な動きの結果だったが、ふたりには突然だった。突然道が急坂になり、滑り落ちる千世。その手を握る祐人もまた突然後ろに引かれて、バランスを崩した。


 「きゃああああああ!」


 「くのぉ!」


 もろともに落ちて一巻の終わりかとみえて、危ういところで、祐人の片手が大豪傑の肩関節部のつなぎ目にかかった。そこだけを支えに、もう片方の手で千世をぶら下げていた。


 祐人はアクションヒーローではないから、この体勢を取れただけで十分奇跡だ。当然、支える彼の指に、この体勢を十秒ともたせるほどの力はない。


 だが、一秒あればことは足りた。この位置ならば、確実に、大豪傑1号の聴覚センサーの可聴範囲に入っていたからだ。


 千世は、目を閉じて、軽くひと呼吸してから、できるだけ落ち着いた声で言った。


 「ダイゴーケツぅ! ───〈ブレイク〉!」


 大豪傑1号は、その声を確かに聞いた。この時点で攻撃命令は解除されたのである。きしゅううううんという何かが吸い取られるような効果音が発せられ、大豪傑は気をつけの姿勢に戻った。


 このとき、大豪傑1号の肩がわずかに揺れた。祐人の手が、ずるりと滑った。


 「あ」


 ここまできて、やっと抜け作ロボットを止めたのに、今までの苦労はすべてこのまま走馬燈になりはてるのかと、むなしく虚空を掴んで祐人が思ったとき、千世が続けざまに叫んだ。


 「〈レスキュー〉!」


 大豪傑1号の反応は速かった。落ちてゆく下で、ごつい手のひらが、すんでのところで開かれ、ふたりを受けとめたのである。硬い金属の手のひらに受けとめられるのは、死ぬほど痛かったが、地面に叩きつけられて本当に死ぬよりはましだった。


 「レスキューのマクロ、組んどいてよかったぁ」


 千世は嬉しそうに言った。


 「言いたいことは、それだけか?」


 祐人は憎々しげに言ったが、それでも顔を見合わせると、お互い、にっこりと笑い合った。


 手のひらの上から、歓声を挙げる電気街の住人が見えた。そして、ばたばたばたとローター音も高く響かせ、遅まきながら田木と名和の乗った軍用ヘリが到着したのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る