第3話 強襲
「うーむ。これは、ちとやり過ぎでは?」
盗賊兄弟の変わり果てた姿に、ゲオルギウスは同情を禁じ得なかった。
「は、はひい。ひい、ひいい」
「うが、がああ。腕が、足が、頭がああああ」
盗賊兄弟は口角から泡を飛ばし、目を血走らせている。よだれ、鼻水、それに涙で、元々不衛生丸出しだった盗賊兄弟の顔は、もうぐちゃぐちゃに汚れていた。二人は錯乱しているのだ。当然だ。何故なら。
「きゃははは。よーし、今度は顔を股の間から生やしちゃうのん。腕はー、その頭の上からー、ん? 下になるのん? これ、どっちになるのんなー?」
「うわああ、あああ。や、やめ、も、やめてえ、おねが、いいい」
盗賊兄弟の五体は出鱈目に組み合わされていたのだ。肩から足が伸び、脇腹から手が飛び出す。眼球は頭の前と後ろに移動し、口は腹の真ん中にあった。
それでも、五感は正常に働いている。おかしな所からあり得ない部位が出ていても、それが何かに触れれば普通に分かる。それが余計に恐ろしく、盗賊兄弟の精神は崩壊寸前にまで追い込まれていた。
「それにしても、随分と器用な加護の使い方を覚えたのう、ハスタ。いつの間に出来るようになった?」
「覚えてないん。大征伐戦後なのは確かなん。あ、でも、これは応用なん。基本は大征伐戦の時、アルコンから教えられたんな。もっとこうした方が面白い、とか言って、アルコンはいろんなアイディアをくれたのん」
「なるほどのう。お前の加護は、かなり応用が効くとは思っていたが、はてさて、アルコンはやはり頭の切れる男よな」
空間を自在に操るハスタの加護。それは、離れた場所にある物を、空間ごと切り取り、捻じ曲げ、接着する。消えた槍はここでは無い別の空間に隠され、パンは近くの民家の空間に手を突っ込んで頂戴した。手だけでは無い。体全てをそこに移動させる事も、ハスタには可能なのだ。
ハスタには、距離という制限が無い。それを利用して繰り出される神槍フラガラッハを躱すのは、困難極まる事だろう。
「ぐえあうあああ。ちくしょう、加護使いだったのか。こんな加護があんのかよお」
「こんなん聞いた事ねえよお、兄弟。うわああ、もう、やめて、下さいい。許して下さいごめんなさいいぃ」
「哀れじゃのう。これ、ハスタ。もう許してやったらどうなのじゃ」
「はーい。おまいら、弱い者いじめが大好きだとか言ってたけど、ハスたんにはちっとも分からなかったのん。戦うなら、やっぱり強い相手の方が楽しいのんなー」
「ぐえ」
「ぎゃっ」
ハスタがぱんと手を叩くと、盗賊兄弟の体は一瞬で元通りとなった。出鱈目空間の拘束を解かれた盗賊兄弟は、地面にべちゃっと落下した。自由になれた盗賊兄弟は「覚えてやがれ!」「夜道には背中に気ぃつけるこったなあ!」などと、負け犬の定番の捨て台詞を吐いて、転がるように逃走していった。
「分かったのーん。ハスたん、おまいらの事、忘れないようにするのんなー。きゃは。夜道には気を付けろなんて、随分と親切なやつらだったんな。実は良い人だったん」
「……お前は本当に悪意に鈍感なやつよな、ハスタ……」
盗賊兄弟精一杯の虚勢も、その逃げる後ろ姿へ名残惜しそうに手を振るハスタには届かない。ゲオルギウスはこめかみを押さえた。
「行っちゃったん。ああ、お腹空いたのん」
「これ、ハスタ。また人のうちの食べ物を勝手に。金があるのならそれを代わりに置いておけ。お前、それでは泥棒じゃ。あの盗賊どもと同じじゃぞ」
「え? それは心外なん。分かったん、お金置いとくのんな」
「うむ。ん? お前、どこから取ってきたのか分かるのか? そもそも、それがある所が何故分かる?」
この付近に民家は存在していない。誰も竜王の側で暮らしたいとは思わないからだ。では、ハスタは遠く離れた町にある民家からご飯を失敬して来た事になるのだが、空間の加護で手が届くとしても、それがそこにあると何故分かるのか? ゲオルギウスは今更ながらその事が気になった。
「何故って? だって、見えるん。ハスたん、凄く目が良いのんな。頑張ると透けて見えちゃうくらいなん」
「なんと……。それは、千里眼というやつか」
ゲオルギウスは唸った。なんと単純な理由か。しかし、これは"目が良い"で片付く話とは思えなかった。ゲオルギウスは、これも加護の一部なのだろう、と自分の中で結論付けた。
「待てよ。お前、もしかしてその金も? そう言えば、お前がそんな大金を持っているのはおかしくないか? 大征伐戦の報奨金にしても、お前は村長の家に、全部ゴミ同然に投げ入れたと聞いたがのう」
「もしかしてってなんなのん? このお金は、昨日ハスたんの鍛えた剣が売れたからあるのんな。これも、村に帰ったら村長の家に捨てて来る予定なん。そうすると、村長が村の皆に配ってくれるみたいなん。ハスたんの剣、結構いい値段で売れてるから、皆喜んでくれてるん。でも、村長の打った武器ほどじゃないんなー。ハスたん、それが悔しいん」
「ほー……そりゃ失礼。そうか、そうか」
「あ、頭撫でてくれるんな。ハスたん嬉しいん。もっと撫でて欲しいんなー」
ゲオルギウスの見たところ、ハスタの手元にあるお金は50万ほどだ。ハスタが客に直接売るのは性格的に無理だから、それはきっと武具店に卸した金額だろう、とゲオルギウスは推察した。卸値50万なら、初期売価は少なくとも倍にはなる。そんな物は、貴族しか手が出せまい。つまり、ハスタの鍛治師としての腕が一流だと、市場に認められているのだ。それでも、ハスタは全く満足していないどころか、更に上を目指している。
「小さい頭じゃのう。お前は、いつになったら大きくなるのかの。ふおっふおっ」
「いつかなるん。そのうちに、ゲオじいだって追い抜く予定なんな」
それが、ゲオルギウスには嬉しかった。ゲオルギウスは、もしも自分に孫がいたら、やはりこうしていたのだろうか、と夢想し、竜となった身を少しだけ、そう、ほんの少しだけ、悔やんだ。
「あれ? おかしいのん」
ふと、ハスタが河の上流の方へ目を向けた。そこには、手付かずの巨木が聳え立つ、巨大な森が広がっている。
「おかしい? 何がじゃ?」
ゲオルギウスには分からない。その異変はハスタにしか見えていない。
「人が来るん。いっぱい」
「人? ……これは、鉄の臭い、か」
見えない代わりに、ゲオルギウスは鼻を効かせた。竜の嗅覚もかなり鋭い。上流は風上でもあった。
「火薬の臭いもするのう。騎士団、と言うよりは、軍隊じゃな。しかし、それがどうした? 最近では、この辺りで演習する部隊もある。なにしろ、何にも無いからの。誰にも迷惑はかからん。まあ、わしには目障りなのじゃが」
「そうなんな。でも、あいつら、グラフストリアの兵士じゃ無さそうなん。他国の軍みたいなのんな」
「何?」
ゲオルギウスの顔色が変わった。
「あれ、多分帝国軍の軍服なん。なんでやつらがこんな所を堂々と進軍してるのん?」
「帝国軍……。そう言えばお前、夜に星屑が来ていなかったか? アーカスの」
「来てたん。何で知ってるん?」
「夜警させておるワイバーンからの報告じゃ。たくさん、続け様に飛来したと聞いておる。お前、その星屑たちはどうした?」
「何か難しい話して、すぐに返事しろってうるさいから、亜空間に閉じ込めてあるん。そんなの、すぐに決められないって返事させたのに、どんどん送ってくるのんな、アーカス。短気なん」
「ふおっふおっ。お前らしいの」
「でもそれ、あの軍隊と何か関係あるん?」
「さあの。分からんが、ちとその星屑たちと話をさせてくれんかの? その用件が気になるのじゃ。お前が教えてくれてもいいが」
「えー? これ、六英雄の盟約で、誰にも話しちゃいけないのん。話すとアーカスとかに殺されるん。これ、それぐらい凄い秘密なーん」
「お前、アーカスに殺されるほど弱かったかの?」
「ううん。ハスたん、アーカスより強いん」
ハスタは首をぶんぶんと力強く振って即答した。アーカスと戦って負ける事など、あり得ないと思っている。
「じゃあ、話しても平気じゃろ? タダとは言わん。ほれ、教えてくれたら、あるいは星屑と話をさせてくれたら、わしの鱗を欲しいだけくれてやろう」
「本当なのん? やったのーん。じゃあ話すのーん。今すぐに話すのんなー」
ゲオルギウスはハスタのあまりのチョロさに笑ってしまいそうになるのを必死で堪えた。だが、直後。
「むっ!?」
「わー、なんか大きな音がしたん。これ、聞いた事あるのんなー」
ハスタとゲオルギウスは轟音により意識をその方向へ向けざるを得なくなった。地上から伸びる白い軌跡は、朝の静謐な空気を切り裂いて、空高く伸び上がる。
「これ、確か迫撃砲とか言うやつなん。大征伐戦で、めっちゃたくさん魔獣を殺した大砲なんな。凄い威力だったん」
それは砲弾の描く軌跡だった。放物線を描いた軌跡は、きらきらと朝陽を弾く砲弾たちだ。それは30ほども光っていて、地上の野うさぎを捕らえんと急降下する鷹のように、ハスタたちの頭上から降り注ごうとしていた。
「迫撃砲か。久しぶりに見るが、相変わらず好かん武器じゃ。……うむん? 加護使いの気配もするが、これは……、なんと、"不可視の剣聖"グラディオのもののようじゃ」
ゲオルギウスはたるんだ瞼で塞がっていた細い目を無理矢理に開き、その業火にも似た深紅の瞳を煌めかせた。
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