第2話 ハスタと竜王ゲオルギウス

 協商連合国グラフストリア。広大な山林と長大な河、肥沃な平地を擁するこの国は、気候も人々も穏やかだ。だが、北のドラムフォルス連峰だけは、特異な面を持っている。


 そこはドラゴンの棲まう国。竜王ゲオルギウスが住処とする峻険な山々であり、人の侵入を嫌う場所だった。


「これ。起きぬか。起きるのじゃ、ハスタ」


 そのグラフストリアとドラムフォルスの境界となる大河の、青々と草花の生い茂る堤で不用心に寝こけていたハスタを揺り起こそうとしているのは、真っ赤な衣を纏った老人だった。髪も赤ければ胸まで伸びた髭も赤い。手にはひん曲がった杖を持ち、細い体と幾筋もの小皺が覆い尽くしている顔も、まるで老木のようだった。


「ふにゃふにゃ。あー、眠い……、と、誰かと思えばゲオルギウスじいさんなのな。河を渡るなんて珍しいのん。ハスたんに何か用なのん?」


 寝ぼけ眼で槍を抱えたまま、むくりと上体を起こしたハスタは、よだれをふきふき老人に寄り掛かった。槍、と言っても随分短い。穂先から柄尻まで、普通の片手剣くらいの長さしかない。施された意匠も大きさも、かなり可愛らしい槍だった。


 そしてドワーフ族の頑丈な衣服にしても、ハスタの小さな体にはだぶだぶだ。普通の人間であれば、ハスタはどこからどう見ても幼女だと思うだろう。頭の両側で縛った茶色の髪と、まんまるな童顔が、それを余計に加速させる。しかし、これでもハスタはすでに80歳を超えていた。


 ドワーフ族の男性はわずか10歳にして禿げ上がり、立派な髭をたくわえる。女性は、逆にいつまでも老けなかった。寿命もエルフ族に次いで長かった。


 そしてこの老人こそ、竜王ゲオルギウスの精神体だ。遥か昔、竜退治に赴いた聖人ゲオルギウス本人だった。ゲオルギウスは竜の精神を乗っ取り、自身が竜となる事を選んだ。それを可能としたのが、その手にある聖杖トネリコである。


「こりゃ。抱きつくな。お前、いつまでここにいるつもりなのじゃ。寝ぼけるでない。はっきり言うが、迷惑じゃ」

「ふへー? なんでなのんー? ハスたん、ゲオルギウスの鱗が欲しいだけなのんな。それでいい槍を作りたいのん」


 ドワーフ族は器用な手先と創造性を持っている。伝説となるような武具の類は、たいていドワーフ族の名匠によるものだ。それはハスタも同じだった。


「やらんと言っとろうが。お前にそんなもんを渡したら、わしですら最早敵わなくなるじゃろう」


 これはゲオルギウスの本音だ。ミスリル(破邪の銀)の鱗で覆われたゲオルギウスに太刀打ち出来る武器は、やはりゲオルギウスの鱗で作られた物しか無い。


「そんな心配いらないのん。ハスたんがじいさんと戦うことになんてならないのん。ねー、だから頂戴ー。ねー、ねー。ハスたんはどうしても一世一代ー、みたいな武器を作ってみたいのんなー」

「知らんわ、そんなもん。良い材料なら、他にもあろう。そうじゃ、オリハルコンとかどうじゃ? あれなら、相当いい武器になるじゃろが」

「えー? あれ、賢者の石から精製しなくちゃならないのんな。でも、そんなのもうどこにも無いん。ハスたん、結構探したん」

「あるわ。まだ、どこかにはある。探し方が足らんのじゃ。本当に良く探したか?」

「うん。一週間は探したん。うちの周り」

「短いわ! そして近過ぎ! お前は賢者の石を舐めとんのか!」

「痛いん。叩くのダメなん」


 ゲオルギウスはトネリコの杖でハスタの頭を小突いた。


「はー。お前は本当に六英雄の一人なのか? こうしておると、とても信じられなくなるわ」


 そして、大きく息を吐き出した。やれやれと頭を振るゲオルギウスと、その横で頭をさするハスタは、傍から見れば祖父と孫だ。


「お。見ろよ兄弟。あんな所に、いい獲物がいるぜ」

「おお、本当だな兄弟。いい身なりをしたじじいと、なんだか良さそうな槍を持ったガキがいるな」

「うむ?」

「ガキ? それ、ハスたんのことなん?」


 そこに、見るからに盗賊といった風情の二人組が通りかかった。二人の凶悪な人相は粗暴さを露骨に知らしめる。二人の男は手にした短刀をくるくると回し、前のめりな構えですばしこい虫のようにハスタとゲオルギウスを挟み込んだ。


「おい、てめえら。金目のもんを置いて行け。したら、命だけは盗らないでおいてやらあ」

「ぐけけけけ。俺たちは金と女と弱い者虐めが大好きなんだよお。素直に言うこと聞かねえと、いたぶったりするかもよお?」


 盗賊風の二人組は、ハスタとゲオルギウスを完全にカモだと思い込んでいる。無理もない。ハスタもゲオルギウスも、どう見ても貧弱だ。まさかこれが六英雄の一人と竜王だとは思うまい。


「金? 悪いがわしは持っとらん。なにしろ用事が無いからの。お前はどうじゃ?」

「ゲオルギウスって貧乏なのんな。ハスたんなんて、ほら!」


 ハスタは懐から革袋を取り出すと、その中に手を突っ込んで中身を掴み出し、自慢げに高く掲げた。


「うおおお!」

「おい、兄弟! ありゃあ、100万グラフトはあるぜ!」

「じゃああの中身はどんだけだあ? こいつはラッキーだなあ兄弟! ぐけーっけけけ!」


 盗賊兄弟のテンションは跳ね上がった。ハスタの持つ金貨が手に入れば、3年は豪勢に遊んで暮らせるからだ。


「え? これ、20万なん。ハスたんの手、小さいん。だから、そんなに持てないんな。おまいら、頭が悪いのん?」

「ぶふっ。これハスタ。そう言うことを言っちゃいかん」


 冷静に突っ込むハスタの言葉が、ゲオルギウスのツボに入った。そして、それは盗賊兄弟の怒りのツボにも入っていた。


「あ、あんだあー?」

「てんめえ、ちょっと可愛いから優しくしてやろうかと思ってたのによお、もう許さねえかんなあ」

「え? 可愛い? ハスたんって、可愛いん? ねえねえ、ゲオルギウス?」

「知らんわ。わしに聞くな」


 飛び跳ねてゲオルギウスに纏わり付くにこにこ顔のハスタは、確かに無邪気で可愛かった。だが、それが盗賊兄弟の怒りに油を注ぐ。


「舐めんじゃねえ!」

「おらおら、ブスっといかれたくなけりゃ……、え? おい、お嬢ちゃん。おま、そのパンどっから出した?」

「むぐむぐ。ハスたんな、起き抜けなんな。お腹空いてるん」


 今にも襲いかかりそうだった盗賊兄弟は、ハムの挟まれたパンを頬張るハスタに驚いている。盗賊兄弟は、ハスタたちから目を離していない。ずっと見ていた。しかし、それでもそのパンがいつ手にされたのか分からない。


 ハスタの加護は、発動していた。


「お、おい兄弟。槍は? あいつの持ってた槍はどこいった?」

「し、知らねえ。ねえ。どこにもねえぞ!」


 更にはハスタの抱えていた短槍も、いつの間にか無くなっていた。


「あ! あれっ? 短刀は? 俺の短刀はどこだ!?」

「はり? お、俺のもねえ! どっか行っちまったよお兄弟! なんでだ! どうなっちまってんだよお、こりゃあ!」


 直後、盗賊兄弟が手にしていたはずの短刀すら消えていた。盗賊兄弟は混乱した。


「きゃはは。おまいらの短刀なら、ここにあるん」

「あっ!」

「な、なんで!?」


 狼狽える盗賊兄弟の様子にけらけらと笑いながら、ハスタが自分の足元を指差した。地面には、盗賊兄弟の短刀が2本刺さっている。


「欲しかったら返すのな。ほら」

「あ?」

「あ、あれっ?」


 ひとしきり笑ったハスタがそう言うと、短刀は盗賊兄弟の手に握られていた。それはまるで手品のようだ。パンを食べ終えたハスタは、手をぱんぱんと叩いて屑を落としている。


「やれやれ。悪戯が好きな子じゃ」


 ゲオルギウスはあまり感心していない。人を愚弄するような行為が、あまり好きではないからだ。


「訳のわからねえ事しやがって!」

「もう殺す! メタメタに刺してやらあ!」


 それは恐怖によるものか。理解を超える出来事を目の当たりにした盗賊兄弟は、ハスタとゲオルギウスへと闇雲に短刀を突き出した。


「げえっ!」

「なんだあ!」


 しかし、その短刀はハスタの体を通り抜け、あろう事か反対側の地面へと突き立った。いくらハスタが130センチ程度の小柄な体とはいえ、腕まで貫通して地面に刺されば、盗賊の腕はそれだけで2メートル近くになる。この盗賊は標準的な人間の体格をしているし、腕が伸ばせるような特技も無い。


 それでも、盗賊の腕は確かにハスタの薄い胸を貫通し、地面に短刀を突き立てていた。


「きゃははは」ハスタは笑う。


 ゲオルギウスの方はと言えば、これも短刀が通り抜けてしまっていた。こちらは普通に貫通しているだけだが、盗賊には何の手応えも無い。


「精神体に物理攻撃は効かんのじゃがな」


 ゲオルギウスは嘆息した。


「ねー、おまいら。殺すって事は、殺される覚悟もあるって事なのんな? ハスたん、おまいらを殺してもいいのんなー?」

「ひっ!」

「ひ、ひい、いぃっ!」


 突如としてハスタから撒き散らされ始めた暴虐としか形容しようのない圧力に、盗賊兄弟の心は一瞬にして押し潰された。



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