おじさんとお風呂②
「はぁ、はぁ、あ。ア、アルコン……」
アルコンの背中からお腹へ、その細く華奢な体を這わせたウィンクルムは、熱い吐息を恥ずかしそうに吐き出した。赤く火照った小さな顔は、アルコンの胸にある。そこからアルコンを上目遣いに見つめる瞳はうるうると潤み、薄く開いた唇は、艷やかな桃色に染まっていた。アルコンはその目で、肌で、ウィンクルムの信じ難いほどきめ細やかな全てを感じている。色事には縁も興味も無く、性欲も枯れたと断じていた自分が、ともすれば遠くに気を持っていかれそうになる感覚に、今、アルコンは襲われている。
「どうしよう、わたし……急に、恥ずかしい、って思えて、離れなきゃって、でも、まだずっとこうしていたいとも思えて、苦しいよう……切ないよ、アルコン」
アルコンは自分が自分で無くなるようなこの瞬間に、強い恐怖を感じている。しかし、今のアルコンは、それすら考えられない、気付けない程に脳が、心が痺れている。
「ねえ、アルコン、わたし、どうしちゃったのかな? これ、発情してるの、かな? たはは、わたし、自分じゃ分かんないよ。アルコン? アルコンは、どう思う? わたしがどうしちゃったのか、アルコンなら、分かるの、かな?」
「発情て……おま、言い方」
もちろん、アルコンはそれがどういうことなのか、どこをどう確認すれば発情しているのか、そうでないのかが分かるのかを知っている。それは至極簡単な方法で見分けられると知っていた。しかし、アルコンにそれは出来ない。それが分かったところで、アルコンにはどうする事も出来ないし、どうする気も無いからだ。
アルコンとウィンクルムは見つめ合ったまま。そのまま、二人にとっては永遠にも思える時間が過ぎた。
「アルコン様ー、湯加減、そろそろいいはずですよおーっ!」
そんな二人の時間を、クーラエの怒鳴り声にも似た呼び掛けが引き裂いた。もちろんわざとだ。とんでもない発言の後、妙な沈黙が流れているのを心配、と言うよりは危機感に駆られたクーラエが、わざと声を上げたのだ。
「はっ。あ、ああ。ありがとうクーラエ。良し、では湯船に」
「待って。アルコン、まだ体の泡を流してないよ? それに」
「ああ、そうか。そうだな。ん? それに? まだ何か」
立ち上がったところで腕を掴まれたアルコンは、しゃがんだままのウィンクルムを見下ろす形になった。ウィンクルムは少し落ち着いたように見える。
「それに、まだ洗って無いところがあるよ」
「あ」
そう言うウィンクルムにちょんと突かれたのは、アルコンのソレだった。
「そうだな、危ないところだった。てか突つくな。では、すぐに洗うからお前は先に」
「はい、出して」
「は? ちょ、待て。待て待て。そこは自分で、自分でえって言ってるだろお!」
アルコンの絶叫で、湯船にさざ波が起こる。こんなに焦るのはベスティア戦以来のアルコンだ。
「にゃにゃにゃーっ! ウィンクルムめ、どこまで洗うつもりなのじゃあああああ!」
「まあ待てまあまあ。面白いから放っとこうぜアーカス」
「何が面白いのじゃ! うがああ、止める! 放せリルガレオ! はーなーせー!」
リルガレオはアーカスを羽交い締めにした。加護を忘れた加護使いなど、リルガレオの敵では無い。
「がはっ」
盛大に鼻血を噴き出したクーラエは、釜戸の前で卒倒した。
「おわあああああ!」
アルコンは慌てている。大征伐戦後、帝都の色街でやさぐれていたアルコンは、莫大な報奨金に物を言わせて散々女を買っていた。こうしたサービスもあるにはあったが、まさかそれをここで、親友と妹の娘にやられるとは想像もしていなかったのだ。想像していたら間違いなく危ない人である。
「はい、終わりー。流すよー」
「あ。うん」
そして、それはすぐに終了した。手慣れたもので、ウィンクルムは見事アルコンのモノを美しく磨き上げた。アルコンは手慣れてるってどういう事? と若干衝撃を受けたのだが、これもグラディオの仕業とすぐに思い当たって納得した。その分、グラディオの父親としての資質への疑問は増大した。
「やれやれ」とアルコンが息をついたのも束の間、ウィンクルムはさらに激しい攻撃を繰り出した。
「はい、じゃああれやって、アルコン」
「アレ? なんだソレ?」
ウィンクルムにとっては、グラディオとのバスタイムでの恒例なのだが、アルコンは当然知らない。
「キレイにしたから、ぺちぺちってやるんだよ。ほら、その象さんで」
「象さん?」
それは局部洗浄からの合わせ技、コンボである。ウィンクルムはアルコンのそれを指差し、自分の頬をぺちぺちと叩いている。どうやら象さんでウィンクルムの頬を打て、というおねだりらしいと気付いたアルコンは、もう完全にグラディオを変態認定していた。
「……正気なのか、あの野郎……」
ウィンクルムはにこにこと笑い、目をキラキラさせている。ウィンクルムにとっては、小さな頃からのスキンシップに過ぎないようだ。幼い子どもほど、こういうのには大はしゃぎするものだ。これは、大好きなパパとの楽しいひと時、愛しい思い出なのだろう。
それを自分にも求めるウィンクルムは、おそらくグラディオが恋しいのだ。親から離れて旅に出て、ここまで一年。まだまだ子どもであるウィンクルムが、甘えるのを我慢するには長過ぎる期間だ。そう思うと、アルコンは無下に出来ない気持ちになった。
「はあ。分かった。仕方がないやつだ、全く」
アルコンは嘆息しつつ腰を左右に振った。ウィンクルムの頬が、ぺちんぺちんと気の抜ける音を立ててぷよんぷよんと波打った。
「はべぺべべぺべ」
「うおおい! しっかりしろ、アーカス!」
クーラエに続き、アーカスは白目をむき泡を噴いて失神した。
「きゃはははは。これこれ」
ウィンクルムはご満悦だ。と、思ったアルコンだが。
「でもアルコン、これじゃちょっと物足りないよ」
「は? なんだ、もっと強くやって欲しいのか?」
「ううん、強さはこれくらいなんだけど」
「けど? 他にどうしようがあるのだ?」
アルコンの全身を、嫌な予感が貫いた。他に変化をつけようと思えばアレしか無いが、そんなはずは無いと、アルコンはその馬鹿な考えを即座に否定した。だが。
「固さだよー。パパがこれやってくれる時って、もっとかちんかちんだったもん」
アルコンの脳が沸騰した。
「あいつ! 今度会ったらマジ殺す!」
それは本気の殺意だった。それでもウィンクルムの攻撃は終わらない。今度こそ、ウィンクルムが本当に攻める番だった。
「? 何を怒ってるの、アルコン? それより」
「む、む。今ここで怒っていても疲れるだけだが……まあいい。風呂に浸かって落ち着くか」
「ちょ、ちょっとアルコン。一人で落ち着こうとするの、ズルい」
「ぬあっ。変な所を掴むな」
「だって。今度はわたしの番なのに」
「わたしの、番?」
アルコンの脳に、針のような感覚がピンと刺さった。悪い予感、再びだ。そしてやはり的中する。
「そうだよ。今度は、アルコンがわたしを洗ってくれる番でしょう?」
アルコンは手で顔を覆い、浴室のカビた天井を仰いだ。
「ぶはっ。なるほど、そりゃあそうだわな」
脱衣所では、リルガレオが噴き出している。二人のやり取りを壁にもたれて話を聞いているだけで、すでにリルガレオにとってはこれ以上無い娯楽となっていた。その横で転がるアーカスの事など忘れているほどに。
「なんだと? ウィンクルム、お前はこの俺に奉仕しろと言うのか? 俺だぞ? 働く事の大嫌いな大司教である、このアルコン様に?」
「奉仕? うーん、そういう捉え方もあるのかな。でも、これは遊びだとわたしは思うよ。だって、楽しいんだもん」
ウィンクルムがにかっと笑う。
「……なんだかなあ。見る人によっては、随分と乱れた遊びのような気もするが……」
「もー! いーの! こんなところ、誰も見てないんだから関係無いよ! いーから洗ってー! 早くー! 早く、あーらーってぇー!」
ついにウィンクルムは駄々を捏ね始めた。こうなると、体つきはすでに女性そのものではあっても、アルコンからすれば完全にただの子どもだ。邪な気持ちなど欠片も起きない。
「ああ、うるさい。分かった分かった。すぐに洗ってやるから、ほら、そこに座れ。と、お前は女の子だし、特別に洗髪用石鹸を使ってやろう。普通の石鹸じゃあお前の綺麗な金髪を傷めてしまうだろうからな。さすがの俺もそれは少し気が引ける」
「あ。それ、まだ結構裕福な家でしか使ってないやつだよね。シャンプーだあ」
「ふふん。どうだ、凄いだろう? これを俺は、なんともう20年以上前から使っていたのだ。高価な物なのでもちろんまともな手段で入手していたわけじゃないのだが。まあ、自分用じゃないけどな」
「知ってるー。アルコンは、それでいつもママの髪を洗ってあげてたんだよね? おかげで、ママの髪はいつもツヤツヤだったって。ママと一緒にお風呂に入ると、いつも自慢してくるんだよ。すっごく幸せそうな顔してさ」
「ああ。あいつ、これが本当に大好きだったな。それで洗ってる最中に鼻歌歌ったりするもんだから、口やら鼻やらに泡が入って苦しんだりするんだ。はははは」
「あはははは。て、いたっ。あうー、しみるー」
「馬鹿かお前は。目は閉じてろ」
「いたたたた。うん、そうだよね。あははははは」
ウィンクルムもグラディオやフロウスに何度も髪を洗ってもらっているので、当然いつも目は閉じる。しかし、見たくて仕方が無い衝動が抑えきれなかったのだ。
それは、アルコンの笑顔。
ウィンクルムは、フロウスから聞いていた事を確かめずにはいられなかった。
「ホントだね、ママ。アルコンが笑うと、こんなにも幸せな気持ちになれる……」
ウィンクルムの胸が、温かな気持ちでいっぱいに満たされる。あとからあとから込み上げて来る。思いっ切り叫びたくなるが、そうするとそれも一緒に吐き出してしまうような気がする。ウィンクルムはそれが嫌で、ぎゅうっと自分の胸を抱き締めた。この気持ちを逃したくない、失いたくない。ウィンクルムの閉じた瞳から零れた涙は、シャンプーの痛みのせいか、それとも幸せ過ぎるせいなのか。それはウィンクルムにも分からなかった。
無骨なアルコンの手が、ウィンクルムの髪をを優しくかき分ける。静かに、滑らかに、そして、愛おしく。ウィンクルムはその心地良さに心を預けた。しゃわしゃわ、しゃわしゃわ、と心地良いリズムだけが、しばし浴室を支配した。
「……懐かしいな。フロウスの髪を最後に洗ってやったのは、確か俺達が12歳の頃だったか」
アルコンは穏やかな笑顔を浮かべている。
「それも聞いたよ。アルコン、ママから一緒にお風呂に入るの断られて、半泣きになったんだよねー?」
「なっ? 馬鹿な。そんなわけがないだろう」
シャンプーのリズムが乱れた。フロウスは嘘がつけない事を、ウィンクルムも知っている。ウィンクルムは、アルコンが虚勢を張っていると思った。
「そう? でもねえ、ママもその時は物凄く辛かったんだって」
「何?」
「分かんなかった? わたし、なんでママがアルコンと一緒にお風呂入るのやめたのか、今なら凄く分かっちゃう。本当は、ずっと一緒に入っていたかったって言ってたのに」
「ほう? あいつは、何度聞いても理由を教えてくれなかったが。ふむ、さすがは母娘、という事か」
「違うよ」
「わぷっ。こら」
ウィンクルムは泡だらけの髪をぶんぶん振った。その長い金髪が、アルコンの体をぱんぱん叩く。
「わたしも、女だから分かるんだよ」
ウィンクルムが恨めしげにアルコンを睨んだ。アルコンは「不可解だ」と首を捻った。
「くくっ。なんて鈍いやつだよ、アルコン……お? 1個、帰ってきたみてえだな」
脱衣所で笑いを噛み殺していたリルガレオが、倒れたアーカスの上で困ったようにくるくると旋回している星屑に気がついた。
その星屑は、今回の出来事を伝え意見を求める為、六英雄の一人、ハスタに向かわせたものだった。
「ぐう……ぐう……」
ハスタは、眠っている。そこは風吹き抜ける草原の真ん中だった。その胸には、"神槍フラガラッハ"が抱かれていた。
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