第三章 七頭竜の神槍ハスタ・ポロロ・ファブファリアス
おじさんとお風呂①
夜の帳はすでに下り、蒼白く輝く月と星が空を埋め尽くしていた。どこからか、ほうほうと梟の声がして、草むらの虫たちはそれに指揮されているかのように歌っている。
「あちっ。あ、火の粉。わわわ、また服に穴が開いちゃう」
そんな中、クーラエは教会の裏手で風呂の釜戸に薪を焚べていた。教会の風呂は石造りの風呂釜で、薪はその下に直接焚べる。つまり石伝いに湯を沸かす方式だ。熱保持に優れる石ではあるが、その分伝導率はたいそう悪い。おかげで、沸かすまでにはかなりの時間がかかる風呂だった。
「熱いー暑いー。もー、アルコン様はこれも修行だとか言うけど、ご自分では絶対にやらないんだよなー。そこはテネリタース様と同じだけど、やっぱり師弟って似るんだ、きっと。ふうふう。でも、僕は将来、もし弟子が出来てもちゃんと交代で沸かすんだ。はー、もう汗だくだあ。僕も早く入りたいーふーふー」
クーラエは修道着の袖で額の汗を拭うと、アルコンがまだここに来たばかりの頃に言われた事を思い出した。
『風呂焚きも修行であるなら、俺はやらなくていいのか、だって? おかしな事を聞くのだな、クーラエ。考えてもみろ。そもそも、前提が間違っているだろう? 俺は修道者では無いし、神父でも無いのだぞ? 都合がいいので神父のフリをしているだけのニセ神父。それが俺なのだ。ニセ神父がそんな修行をする理由があるのか? そんな事をしたら、俺は本物の神父になってしまうだろう? いいか、俺は楽して生きたいし、お前は修行により神父にならなければならないのだから、お互いに何の問題も無いはずだ。だから俺は風呂焚きはしない。なんなら炊事洗濯掃除もやらん。話すだけならまだ楽だから、礼拝時の講話や訓示くらいならしてやるが、辛い事はみんなお前がやるのだ、クーラエ。めっちゃ修行になるだろコレ』
理屈は通っていたが、何一つ納得出来ない話を自信満々、大威張りで言い放つアルコンに、テネリタースの世話で慣れていたはずのクーラエも呆れて物が言えなくなった。そんなアルコンとの生活も、すでに3ヶ月が経過していたが、なんやかんやでなんとかうまくやれている自分を思うと、何だか可笑しくて「くくっ」と漏らしてしまうクーラエだった。
「何を一人でにやにやしているのだ、クーラエ」
「はわっ!?」
その時、クーラエの頭上の窓から顔を出したのは、ぽかぽかと湯気を上げるアルコンだった。釜戸は浴室の窓の真下にある。中と外で話す事も出来るくらいに壁は薄い。特に浴室の壁は、板が湿気で腐りぶよぶよだ。隙間から、浴室の灯りが漏れるくらいにぐにゃぐにゃだった。
「ななななな、なんでもありませんよ!」
「怪しいなクーラエ。お前、俺の悪口を言っていたんじゃないだろうな?」
「はひっ!」
こういう事に対するアルコンの勘は鋭い。クーラエは動転した。
「ま、いい。悪口くらい、いくらでも言えばいい。それより、湯がぬるいぞクーラエ。もっと薪を焚べてくれ」
「は、はは。いや、お言葉ですが、アルコン様。薪はかなり贅沢に使っています。まだ石が熱くなりきっていないだけなので、もう少しお待ちいただけますか?」
「そうか? なら待つが。て、おいウィンクルム。俺の腰にしがみつくなと言っているだろう」
「てへへー。だーって、寒いんだもーん。お湯が温まるまで、アルコンが温めてー」
「ほわっ? ほわわわわわああああ!」
アルコンが顔を引っ込めた窓からは、ウィンクルムの声もした。浴室での二人のやりとりを聞いたクーラエは、薪を煽る大団扇を取りこぼして絶叫していた。
そうなのだ。今、アルコンとウィンクルムは、バスタイムを共にしていた。もちろん、二人とも全裸である。
「信じられねえ。アルコンめ、マジで一緒に風呂に入りやがるとは」
「く、くきいいい。ま、全く、なんと破廉恥な大人なのじゃ、いやおっさんなのじゃアルコンめ。相手は親友グラディオと妹フロウスの愛娘なのじゃに。ウィンクルムもウィンクルムじゃ。もそっと貞操観念というものを考えるべきなのじゃあ」
浴室のドアの向こう側、脱衣所でわなわなと震えているのは、リルガレオとアーカスだった。リルガレオに「風呂とかどうすんだ?」と言われたアルコンは、「もちろん、一緒に入るしかない。寝るのもトイレも、これからはずっと一緒するしかないだろう」と瞬時に答えた。あまりの迷いの無さに二の句が継げなくなったリルガレオだが、これは自分のせいだろう。アルコンは、リルガレオに焚き付けられた格好なのだ。へそ曲がりなアルコンが、リルガレオの期待に応えるわけが無いのだから。
「はー。一応、本当に入るかどうか確かめてみたけどよ、こりゃあ俺の負けだったな。がはははは」
「何がおかしいのじゃ、この獣め。これはおぬしのせいなのじゃ。なんとかするのじゃなんとかするのじゃ。このままでは、アルコンはずっとウィンクルムとお風呂に入り続けてしまうのじゃあ」
「いて。いてて。ぽかぽか叩くなよアーカス。なんだよ、いいだろ別に? アルコンは大人で、ウィンクルムは子どもなんだぜ? こんなん、親子で風呂入ってんのと一緒だろうが? やましい事はなんにもねえ」
「はっ。そ、そうじゃの。つまり、齢106になるウチと、36のアルコンなど、親子どころか祖母孫くらいの関係じゃよな。では、ウチもアルコンとお風呂に入って問題無いということじゃ!」
「いや待て。おめえの場合は問題あるだろ。その感じ、絶対に血縁とか母性とかからの発言じゃねえもんな」
「そ、そんな事はないのじゃ! ええい、放せリルガレオ! ウチも! ウチもお風呂に入るのじゃあ!」
もはや正気を失ったアーカスは、光化してリルガレオを振り払うという方法にも考えが及んでいない。しかし、本番はまだまだこれからだ。これからアーカスがどうなるのかが案じられる。
「うむ、では湯加減を待つ間に、体でも洗うか」
アルコンが石組みの湯船から上がった。そして、石床をぺたぺたと歩き、切石の椅子へと向かう。オイルランプ一つに照らされる仄暗い石造りの浴室は、夏場でも水の滴る鍾乳洞のようだ。元々、住み込みの修道士など大人数で入る事を想定されて作られた浴室は、なかなか広い。
「あ。じゃあ、あたしが背中を流してあげるよアルコン」
ウィンクルムもアルコンについてゆく。離れられないのだから仕方がないのだが、そうでなくてもウィンクルムはこうしている。アルコンはまだ、それを忘れて自由に動く嫌いがあった。
「ん? それは助かる。では頼む。いつもクーラエにして欲しいと思うのだが、風呂焚きしなくちゃならないからな。これが毎度残念だったのだよ」
「えっへっへ。喜んでくれるんだ。じゃあ頑張るね。あ、これで洗うの? ヘチマ?」
「そうだ。それに、そこの自家製の石鹸で、そうそう」
手桶に汲んだぬるま湯にヘチマを浸し、石鹸をこすり付けたウィンクルムは、それをアルコンの背中に押し当て上下に振る。ごしごし、ごしごしと擦るうち、白い泡がアルコンを包み込んだ。
「ああ、いい気持ちだ。なかなかうまいな、ウィンクルム」
「でしょ? パパにもいつも褒められてた。はい、腕を上げて」
「うむ。いや、背中だけで良かったのだが」
「ついでついで。腕洗ったら、今度は前ね。胸だよ」
「ま、前も? まあ、胸なら。て、ちょっと」
「なに? 痛い?」
「違う。お前、なぜ抱きついて胸を洗う? 後ろから洗うと見えないだろ? 前に回り込め、前に」
アルコンの背中には、ウィンクルムの胸が密着していた。アルコンの背中に、その弾力が、その滑らかさがダイレクトに伝わった。
「えー? パパには、いつもこうしてたよ? ほら、これだとわたしの胸も一緒に洗えるでしょ? アルコンの背中にたっくさん泡を立てたの、この為だもん」
「それ、グラディオが教えたの?」
「うん」
「……効率的には良いのかも知れんが……まあ、あいつならこうするかもな」
アルコンはグラディオの教育に一抹の不安を覚えた。しかし、そう言えばそういうやつだったと割り切った。
「はーい、じゃあ足ねー」
「え? お前、何? もしかして、俺の全てを洗う気なの?」
ウィンクルムは答える代わりに、アルコンの足へとヘチマを持つ手を伸ばした。腰から下、お尻から太ももへと、心地良いヘチマが滑る。しかし、アルコンの肌の上を滑っているのは、ヘチマだけでは無かった。
「……えーっと。あのな、ウィンクルム」
「なあに、アルコン?」
「まあ、洗ってくれるのは本当に嬉しい。本当に嬉しいんだが。そろそろ、前に回り込め。後ろから洗うの、もう無理じゃね?」
「だいじょうぶだよー」
ウィンクルムはまだ少女であり、アルコンと比べてあまりに小柄だ。従って、アルコンの足の末端まで手を届かせる為には、かなり、かなり体を密着させる必要がある。今のウィンクルムは、すでに頭がアルコンの脇を抜け、胸は腰のその前にまで到達している。そこはアルコンの秘部だった。
アルコンは。
「まさか、な。まさか」
ここで妙に抵抗するのも今更で、かえっていやらしさを与えると思い、されるがままだ。ウィンクルムを止める機は、もう完全に逸していた。
「ねえ、アルコン」
「ふむ?」
不意に、ウィンクルムから呼びかけられる。アルコンはどきりとしたが、それは必死に隠した。
「……わたし、なんか変」
「は? なんだそれは? お前が変なのはもう分かっている。今更だな」
「なにそれ酷い。違うの。わたしね、これ、いつもパパにしてたんだけど」
「うん」
アルコンはやはりグラディオが信じられないと思えてきていた。これをいつも娘にやらせるのはやり過ぎだと感じている。
「なんかね、アルコンにしてると……変、なの。わたし、なんだかドキドキしてる。なんだろう、この気持ち。ねえ、アルコン。これってもしかして、これが性欲ってものなのかなあ?」
「はあああっ!?」
不意をつかれたアルコンは、今までに発した経験の無い甲高い声を出していた。
「おおおおおおお!?」
「にゃにゃにゃにゃにゃあっ!?」
脱衣所からも奇声が発生していたが、アルコンと同時だった為、浴室には聞こえない。
「ほわわわわわわあああああっ!?」
釜戸でも同様だった。
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