第31話 3番目の誇り エルガンス・ミル・シュワルベ

「おったおった。忘れてすまぬな、クーラエ。アルコンもウィンクルムも、もう教会におる。さあ、一緒に帰ろうぞ」

「あ、アーカス、さん」


 すぐにケントゥム門前広場に飛んだアーカスは、呆然と立ち尽くすクーラエの元へと降り立った。


「なんじゃ、死人のように真っ白な顔をしおって……まあ、無理も無い。そこは責められぬのう」


 朝とは別人のように窶れたクーラエに、アーカスはどう言葉をかけるべきか少し悩んだ。


「クーラエ。ウィンクルムが魔獣王ベスティアだったとして、まだ友達だと、まだ好きだと迷い無く言い切れるかや?」

「それはっ……」

「すまぬ。意地悪な質問じゃな、これは。では、ウチはどうじゃ? おぬしに、ウチは、ウチの恐ろしい面を見られてしもうたが……ウチは、まだ、クーラエの、と、とも、友達、で、いられるかや?」

「もちろんです」


 クーラエは刹那の間もおかずに頷いた。クーラエは、ここでおかしな間をおけば、一生取り返しがつかなくなると一瞬で考えた。


「ありがとう、クーラエ。その言葉だけで、ウチはこれから先もずっとずっと頑張れる。ありがとうクーラエ。ほんに、ほんにありがとう」

「あ」


 アーカスはクーラエを抱き締めた。クーラエの背では、アーカスの胸に顔が埋まってしまう。だが、いやらしい気持ちなど一切起こらず、クーラエもまたアーカスの腰に腕を回し、抱き締め返した。


「では行くぞ、クーラエ」

「はい」


 アーカスが光と化してクーラエを包み込む。


「失礼、しばしお待ちを」

「む?」


 いざ飛ぼうとしたアーカスたちを呼び止めたのは、ケントゥム門指揮所から降りて来た憲兵隊隊長、ブラディジィオだった。


「私は、憲兵隊西部方面隊隊長、ブラディジィオと申します。詮索ご無礼致しますが、貴女は六英雄が一人、アーカス・デュオ・ミーリア様ではございませんか?」


 ブラディジィオは、恭しく跪いて礼を示すと、そう尋ねた。


「だったらなんじゃ? ウチは急いでおるのじゃ」

「やはり。では、お急ぎの所を申し訳ございませんが」


 ブラディジィオは立ち上がると、手を挙げて合図を送った。すると、がらがらとかしましく引き上げられたケントゥム門から、ライフルを携えた憲兵隊兵士が、一糸乱れぬ流れるような動きでアーカスたちを取り囲んだ。それはまるで、一つの生き物のようだ。


「六英雄は、国際安全保障条約に基づき、定められた地域から動く事が出来ません。アーカス様は、妖精の国……正式な国名が周知されておりませんので、こう呼ばせていただきますが、そこから出てはならないはず。それが、なぜ、このエディティス・ペイにおられるのか? 私は役目に従い、これに明快なる解答を得ねばなりません」


 ブラディジィオは、手を挙げたままだ。その手が振り下ろされる時、ライフルが火を吹くことになる。しかし、ブラディジィオもこんな物はアーカスへの脅しにならない事を知っている。アーカスへの実力行使など不可能だ。それでもブラディジィオはこうしなければならない。敵わぬ相手だからといって無法を通すわけにはいかない。秩序の番人たる憲兵隊が、こんな大問題を看過するわけにはいかないのだ。


「なに、遊びに来ただけじゃ。ほれ、このクーラエはウチの友達でな。たまにはお茶でもと思っただけじゃ」


 アーカスはあっけらかんとしたものだ。だが、その冷たい笑顔がアーカスの不機嫌な胸の裡を表している。アーカスはこうした役人が大嫌いなのだが、一応姫だ。ここで事を荒立てては面倒な国際問題にも発展しかねないと思い、我慢して素直に。嘘をついた。


「アーカス様。残念ながら、そのような理由で、先触れも無く、勝手に来国されては困ります。もし、貴女様がここに、しかもお忍びで来ていたと他国に知れれば、無用な誤解を招きかねません。例えば、エディティス・ペイに妖精国との密約有り、などと噂されれば、それが戦争の火種にもなり得ます」

「うるさいのう! では、おぬしはウチにどうしろと言うのじゃ!」

「ア、アーカスさん! 落ち着いて下さい!」


 ただでさえややこしい話をしようとしていた所だ。そこにブラディジィオのこの理路整然とした追求は、短気なアーカスを瞬時に沸騰させるに十分だった。


「では、遠回しな物言いは返って無礼に当たるようですので、はっきりと申し上げます。直ちにエディティス・ペイから退去していただきたい。速やかに、今すぐに、お願いしたい」

「どちらにせよ癪に障るのう。ウチはまだ大事な用事が残っているのじゃが、断るとあればどうするつもりじゃ?」

「そうなれば、国外退去の強制執行に踏み切るしかなくなります。理は我々にある。私がお願いとしているうちに、どうかお聞き届けを。我々憲兵隊を全滅させたくはないでしょう?」

「面白い脅しをする。ウチとて手加減くらいは心得ておるのじゃぞ?」

「同じ事。抵抗したという事実が残れば、穏便には済まなくなります。最早、憲兵隊だけでは収まらなくなりましょう」

「強気な男じゃ。ウチに対してその駆け引き。褒めてつかわすぞブラディジィオとやら」

「光栄にございます。しかし、私が欲するは名誉ではなく揺るがぬ秩序。どうかそれを、私にお与えくださいますよう願います」

「無理じゃ。ウチにも引けぬ事情がある。ここは見逃せ、ブラディジィオ」

「それを聞くわけには参りません。どうかお察しいただきたい」


 両者一歩も退かぬ舌戦に、いつの間にやら人だかりが出来ていた。落とし所の見えぬ交渉の渦の真ん中で、クーラエは「あわわわわ」と震えている。さっきから、ブラディジィオはクーラエにも突き刺さるような視線を度々送っている。ブラディジィオと何度か話した事があるクーラエは、顔も名前も覚えられているはずだ。ここを逃げたところで、後々連行されるのは明らかだ。憲兵隊に連れて行かれた者がどうなるか、クーラエも散々噂は聞いている。それに、どうもブラディジィオが本当に欲しいのは、自分のような気がする、とクーラエは思った。ブラディジィオであれば、ウィンクルムの事を、拷問してでも聞き出したいと考えそうだ。一番情報を引き出すのに労の無さそうな、自分から。


 そのクーラエの想像は当たっていた。ブラディジィオは指揮所からウィンクルムの変貌、アルコンの蘇生、赤手甲の復活と攻殻魔獣撃退までを、全て見ていたのだ。ブラディジィオは自分の職務の範疇を超えているかも知れないとも思ったが、まずは確かめてみる事が優先だと判断した。その為に、今、こうしてアーカスに切り込んだのだ。ブラディジィオはブラディジィオで、これが絶対に退けない理由となっていた。


「やむを得ぬの。クーラエ」

「は、はひ?」

「ウチはこれから、こやつらを力で黙らせる。クーラエはここに住めぬようになるじゃろうから、妖精の国で暮らすが良い。何も無い所じゃが、とにかく食べるに困る事は無い。そうそう、アルコンも一緒に来れば良いのう。ウィンクルムもじゃ。そして、皆で楽しく暮らそうぞ。なんだ、こっちの方が良いではないか。ウチ、ウキウキしてきた」

「は? ふえええええ!」


 頬を上気させて腕をしごくアーカスは、こんな場に相応しく無い表情になっていた。雨で家に閉じ込められていた子どもが、晴れ間を見て外へ飛び出そうとしているようだ。


 因みに、アーカスの『妖精の国で皆で暮らそう計画』の中に、リルガレオの存在は無い。エルフは獣を苦手とするからだ。


「残念だ。総員、ライフル構え!」

「やる気じゃな。星屑よ!」


 ブラディジィオが声を張り上げた。これが最後の警告だとばかりに、そんな気持ちのこもった号令だ。アーカスもおうと応えて星屑を繰り出した。無数の星屑がアーカスを守るように回り出す。ケントゥム門前広場に、再び戦場じみた喧騒が湧き起こる。遠巻きにしていた民衆が、一斉に離れようと駆け出した。


「お待ちなさい、ブラディジィオ」

「何? 誰だ、私を呼び捨てる者は?」


 何者かが、背後から今にも振り下ろされそうになっていたブラディジィオの腕を掴んだ。そっと柔らかく控え目な声と、力。簡単に振り切れそうでありながら、その声は不思議と他を従える。


「貴女は。何用ですか、エルガンス・ミル・シュワルベ? 私は今、公務を執行中です。邪魔をしないでいただきたい」

「うふふ。久しぶりだというのに、相変わらず冷たいのね。エルって呼んでくれて構わないのに。私だって、ただあなたの邪魔をしたいわけではないのよ。ちゃあんとお仕事に来ているの」


 ブラディジィオは、まさに命を捨てんとする号令をかけるところだったのだ。そこへ、この場違いにも思える微笑みだ。覚悟を折られそうになったブラディジィオは、内心激しい怒りを覚えていた。


「なんじゃ? 随分と上品で美しい女が出てきたが。なんという細い体をしておるのじゃ。しかし、あれは小さいが胸当てかや? 腰には、剣? なのに、頭にはティアラ、ドレスにブーツ……背中のは、マントとは。ちぐはぐなファッションじゃの」

「あああ。あのお方は、近衛騎士団スペルビア・トレースの、隊長ですよ! 三番隊隊長、エルガンス・ミル・シュワルベ様です!」

「騎士じゃと? あれが?」

「正真正銘の騎士にして、正真正銘の貴族。そして、正真正銘の実力者ですよアーカスさん。僕は一度、彼女が港に上陸した海賊たちを、たった一人で撃退している場面に遭遇した事がありますけど……あの方の魔術は、恐ろしいものです。アーカスさんでも、もしかしたら危ないかも。アルコン様なんて絶対負けます」

「面白い事を言うのう、クーラエ。加護でも魔法でも無い、術式さえ覚えれば誰でも使える魔術風情に、ウチがやられると思うのか? ウチ、そういう事を言われると、どうしても試してみたくなるのじゃが」

「ダメですよ! スペルビアは強いんです! 面白半分に突っかかっちゃいけない相手なんですってば! ていうか僕には魔法と魔術の見分けなんて出来ないです! 見ててなんとなく魔術かなーと思っただけなんですよ!」

「あらあら。私、なんだか色々と言われているようですわねえ。まあ、しかし」


 エルガンスはぎゃあぎゃあと言い合うアーカスとクーラエに、ころころと笑いかけた。


「私も一度、六英雄とはお手合わせしてみたいと思っていましたのよ。私の魔術が通用するか、是非試してみたいものですわ」


 エルガンスの妖艶な舌が、唇をぺろりと舐めた。



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