第30話 ちびアーカス、働く

 西ケントゥム門前広場には、勃然とした静寂が訪れていた。残っているのは主に兵士であるが、クーラエのような一般市民の姿もまばらにある。六英雄アーカスが一触即発に対峙する緊張感。そして、不意にそのプレッシャーが霧散してしまった事に、多くは安堵していたせいだろう。


「魔獣王、ベスティア……? ウィンクルムさん、が……?」


 その中でも特に近くで二人のやり取りを見聞きしていたクーラエは、他の人々とは全く違う。強過ぎる衝撃に、全身が麻痺してしまっているのだ。クーラエの表情は、安堵とは程遠い。


「……あの時、フロウスは、自分がベスティアをなんとかすると……じゃが……じゃがっ……一つも! なんとか! なっておらぬではないかっ!」

「うわ、わああっ!」

「ひ、ひいいいっ!」


 アーカスが拳を石畳に叩き付けた。極高熱を帯びた光速の拳は、地震のような振動と騒音を伴って地面を割り、地下水路まで届く穴を穿った。


「なぜ怒る、アーカス? フロウスはなんとかしたじゃないか。フロウスは嘘などついていない」


 フロウスは嘘がつけないのだから、と言いかけてアルコンは口を噤んだ。これは例えアーカスであろうとも教えられない。


「フロウスは封印したと言ったのじゃ!」

「しただろうが!」

「こんな不完全なものがか!」

「あれから15年保ったんだ! 上出来だろうが!」

「たったの、たったの15年じゃぞ!」

「じゃあ、あの時、他に誰か、何か出来たのか! 誰も何も出来なかっただろう! お前も! 俺も! 他に何か方法があったのかよ! あったなら言ってみろ、アーカス! もしあったなんて言ったらぶっ殺してやるけどなあ!」


 アーカスがアルコンの法衣の胸ぐらを掴み激昂した。アルコンも、まるで声を反射する鏡のように怒鳴り返した。


「ほえ?」


 その傍らには、ウィンクルムがちょこんと座りこんでいる。


「なんだ? 何を話しているんだ?」

「封印? あれ? あれは西街区の救主教神官じゃないか? 確かアルコンとかいう、六英雄と同じ名の、大司教の」

「本当だ。良く見れば、あのぐうたらアルコンじゃねえか」

「あのアルコンがアーカスと喧嘩か? え? もしかしてあいつ、本当に六英雄のアルコンだったのか?」


 周りの人々がさざめき出した。それがだんだんと大きな騒ぎになりそうな気配を放ち出す。アルコンとアーカスはそんな周りの状況に気付くと、一旦離れた。


「……ウチとした事が、ちと取り乱した。すまぬ」

「いいさ。お互い様だ。この件を正確に把握しているのは、俺とグラディオ、フロウスだけだ。いや、俺も正しくは知らなかった事になる、か。とにかくここを離れるぞアーカス。ベスティアは倒した事にしてあるのだ。こんな所で、大声でしていい話ではない」

「承知した。それはウチも同意じゃ。しかし、こんな話をどこでする?」

「うちの教会だな。あの周りにはアホしか住んでいない。だからこんな話は、理解も利用もしようがない。少々漏れても問題無い」

「おぬし、自分のご近所様たちをなんじゃと思って……まあ良い。では行くぞ」

「ああ。頼む」


 手早く方針を固めたアルコンとアーカスは、手を取り合った。アルコンはウィンクルムを小脇に抱え、頷いた。それを確認したアーカスは、光となってアルコンを包み、教会方面へと飛び去った。


「あ。アルコン様。アーカス、さん。ウィンクルムさん……」


 後に残されたクーラエは、手を力無く天に伸ばした。そのクーラエの足元に、一陣の風が砂埃を舞い上がらせた。


 光の筋は、一瞬でアルコンの教会の玄関にたどり着く。ふわりと浮いた人間大の光球がほどけると、ウィンクルムを抱えたアルコンが現れ着地した。アルコンを先頭に、三人は無言で教会へと入った。そのまま奥の食堂へ向かう。


「さて、ではまずは落ち着いて座ろうか。って、おいアーカス」

「あ。あー……」


 食堂はアーカスの星屑の攻撃によりボロボロになっていた。二人ともそれを忘れていた。アルコンはじっとりとアーカスを睨んだ。


「お前な。言っておくが、我が教会は貧乏なのだ。このテーブルも椅子も、それはもう大事に大事に使ってきた。貧乏で、買い替える金など無いからだ。どうすんだこれ、アーカス。俺たちはこれから毎日立ち食いか? なんだそれ落ち着かないし消化にも悪そうだしのんびり食ってもいられないだろ。俺はそんなの耐えられん。飯は俺にとって唯一の楽しみであり安らぎなのだ。なのに、俺はこれからどうしたらいいのだ? なあ、アーカス。教えてくれ」

「だああああ! なんじゃアルコン、男のくせにうじうじうじうじと鬱陶しく絡みおって! そんな物、ウチが全部新品を買ってきてくれてやる! 貧乏を武器に責めるのはやめるのじゃあ!」


 アーカスは言うが早いか、すぐ様ちびアーカスの星屑に財布を持たせ、どこかに飛ばした。ほどなくして戻った星屑が、真新しいテーブルや椅子を食堂に運び入れた。その間、他の星屑は壊した家具をきれいに燃やし、灰にして庭にばら撒いた。ちびアーカスの星屑たちは箒や塵取りも器用に使い、食堂をぴかぴかに磨き上げた。


「すごっ。うちの食堂が一瞬で眩しく輝いちゃってるし。お前の加護って本当に便利だなあ、アーカス。それ、10人くらいくれないか?」

「凄いねー、アルコン。ちっちゃいアーカス、めちゃくちゃ可愛いー。わたしも欲しいー」

「やるわけあるか! 何を和んでおるのじゃおぬしらは! これから大事な話をするのじゃぞ! 大体、ウチって姫なのじゃ。家事など普通やらんのじゃ」


 アーカスは新品の椅子にどっかと腰掛けると、これまた光輝くテーブルをばんばんと叩いた。


「なんだあ、うるせえと思ったらやっぱもう帰ってたのかアルコン。お、なんだよ。あの薄汚え食堂が、随分と綺麗になってんなあ」


 そこへ、リルガレオがひょっこりと顔を出してきた。リルガレオも食堂の変貌ぶりに驚いている。


「ああ、リルガレオか。ちょうど良かった。お前にも聞いておいてもらいたい。いいな、アーカス?」

「あん? て、あの前の世界がどーとかいう、わけの分からねえ話の続きかよ? 嫌だっつーの。まーたそこのアーカスに殺されそうになるじゃねえかよ」

「……もう、そんな事はせぬ。大丈夫じゃから、おぬしもそこに座るがいい。これはちと、ウチにもどうすべきか分からぬのじゃ。本来であれば、他の六英雄に連絡を取り、各々の意見を聞くべきじゃと思うがの……これは、事によると、ウチの所で止めた方が良いのやも知れぬし、のう……」

「ほーん? あんだけ固く抹殺で決めてたおめえが、どういう風の吹き回しだあ? 何があったのか知らねえが、ま、殺される心配がねえのなら、話くらい聞いてもいいぜ」

「偉そうなやつじゃのう」

「おめえほどじゃねえけどな。つーか、何しろ俺様は王様なわけだし、偉そうにしててもいいんだよ」

「ウチだって姫なのじゃ。じゃあウチも偉そうにするのじゃ」

「変なところで張り合うなよ二人とも」

「リルガレオとアーカスって、こういうとこ似てるよねー」

「似てねえし」

「似とらんのじゃ」

「それもういいか? 話が進まん。そう言えば喉が渇いたな。おうい、クーラエ。悪いがコーヒーを淹れてくれ。俺以外は水でいい」

「ケチかアルコン。ウチ、こんなに買ってきてあげたのに」

「そのコーヒー、俺のところからくすねて来たやつだろうアルコン。俺にも寄越せよコーヒー」

「えー? じゃあわたしもー」

「うるさいやつらだな。分かった分かった。おうい、クーラエ。コーヒー5つに変更だ。聞いてるのかクーラエ。クーラエ?」


 そこでアルコンはようやく気付いた。クーラエを広場に置きっぱなしにしてきた事に。


「すまんアーカス。ちょっと、もうひとっ飛び頼めるか?」


 アルコンはコーヒーを淹れるのが下手だった。


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