第29話 アタマナデナデ
「良し、もうここの安全は確保した。最後は手の回らなかった西のケントゥム門に向かう。ついて来い、我が鋼鉄の機兵よ!」
民衆や傷ついた兵士たちの歓声を背に、フィリウスは鉄機兵を従え大地を踏む。雄々しくひるがえったスペルビア隊長専用のマントが、見る者をまるでオペラの劇場にいるかのように錯覚させた。しかし。
「その必要は無いよ、フィリウスくん」
「何? 誰だ、私の肩に気安く手を……っ!」
機先を制され気分を害したフィリウスは、振り返って驚愕した。見開かれた目、そのまま動かせなくなった口に、今までフィリウスへ拍手を送っていた皆が奇妙さを感じている。
「サ、サピエンティア、提督……!」
フィリウスがその人物の名を搾り出した。にこにことフィリウスの肩に手を置くサピエンティアは、他から見れば今回の殊勲が認められているとしか映らない。フィリウスの愕然とした表情は、奇妙としか思えない。
「西の門は、リルガレオが鎮圧してくれたわい。従って、もうきみが向かう必要は無いというわけじゃ」
「リルガレオが? そんな、そんな」
「馬鹿な、かな? ふふん、ところが本当にそうなのだよ。いやあ、頼りになる男じゃわい。まあ、フィリウスくん、きみほどではないがのう」
サピエンティアの皺下がった目がぎらりと悪辣に光ると、その後ろに軍勢が忽然と現れた。スペルビアだ。1番隊から4番隊までのスペルビア騎士44名が、サピエンティアへと一斉に跪いて忠誠を示す。我に返ったフィリウスも、慌ててサピエンティアへ跪いた。
「さあ、ここの後処理は憲兵隊や門衛隊の諸君に任せ、我々は城に戻るとしようじゃないか。わしは武勇伝が大好物じゃからして、一刻も早く祝宴で、ああ、すぐ用意させるがの、そこできみの活躍をな、是非聞かせてもらいたいのじゃよ。それはもう、じっくりと、な。のう、フィリウス」
「はっ、……ははっ。あ、有り難き、幸せ……」
フィリウスに選択肢は残されていなかった。今はこう答えるしかない。スペルビア4部隊を相手にしては、いかなる抵抗も無意味で無益。それはフィリウス自身が一番良く分かっていた。
「おめでとう御座います、フィリウス様」
「やったなあ、フィリウス様。これでまた提督の座が近付いたってもんだよ」
「サピエンティア提督ー、もういつでも引退して大丈夫なんじゃないですかねー? ははははは」
民衆は戦勝気分で浮かれている。無邪気に囃したてるのは、恐怖から解放された反動だろう。
「なんじゃなんじゃ、皆わしを年寄り扱いしおって。わしだってまだやれるわい。フィリウスの剣にとて遅れはとらぬぞ。その証拠を見せてやる、って、おや? わし、剣を忘れて来ておるじゃないか」
腰にやった手を空振りさせておどけるサピエンティアに、民衆からどっと笑いが沸いた。多くの人々はこうして笑うサピエンティアしか知らない。サピエンティアを"恐ろしい"などと思う人はいなかった。
「く、くそっ……なぜ、提督が生きているのだっ……どうなっているのだこれはっ……」
ここで提督を恐れているのはフィリウスだけだ。顔面は蒼白となり、とめどなく噴き出す汗が、雨粒のごとく石畳に吸われていった。
「面白い。海なら気兼ねなく全力で戦えると言うのだな? 力比べ、というわけか、アーカス」
「面白いとは不遜なり、アルコン。その自信、すぐに打ち砕いてみせようぞ」
アーカスが宙にふわりと浮いた。アーカスの周囲には煌めく星屑が天体図を形作るように回っている。
「おお、なんだ、あの美しい女性は?」
「アーカス? あれは、星屑の光弓手アーカスじゃないのか?」
「そんな馬鹿な。六英雄だぞ? 勝手にここへ来ていたのか?」
辺りが騒がしくなってきた。こうなるとアーカスは嫌でも目立つ。普通にしていても目立つ女ではあるが、命懸けの戦時に女を見ている兵や民衆はいなかった。皆、ようやくアーカスに気付き出した様子だ。
「ちっ、うるさいのう。早うせい、アルコン。邪魔が入ると面倒じゃ」
アーカスが苛立つ。アーカスの地であるわがまま姫が、露骨に出た。面倒とは、邪魔する者があれば蹴散らさなければならなくなるという事だ。どの道、勝とうが負けようが自身は死ぬ。アーカスがアルコンとの決闘を取り止める事は無い。アーカスの覚悟は決まっていた。
「ああ、分かった。ではウィンクルム。俺の背中から降りてくれ。俺はアーカスとのケリを着けねばならないのだ」
「アルコン大好きい」
「聞いてんのかお前?」
「じれったいなアルコン。そんな子ども、力ずくで引き剥がさぬか」
「実はやっているのだが。腕を外せば足で挟むし、足を外せば腕でしがみついてくる。ウィンクルムすげえ」
「感心するでないアルコン。おぬしの加護の力で引き離せばよかろうに。アルコン馬鹿なの?」
「馬鹿とか言うな。それ凄い腹立つ。というか、それもやっている。え? なんで? なんでウィンクルムに俺の加護が効かないの? 絶対防御の壁を俺とウィンクルムの間に作り、範囲を広げて外に押し出してるんですけど? なのに、なんか全然押してる手応えもないんですけど?」
「アルコン好きー。もう離れないー」
ウィンクルムは目を閉じ幸せそうな笑みを浮かべ、一心不乱にアルコンへしがみついていた。アーカスは自分がやりたくてもやれない事を思う存分に堪能しているウィンクルムを見て、イラッとした。いくら大好きなフロウスそっくりの姿をしていても、さすがにこれは耐えられなくなってきている。
「仕方がないのう。では、ウチがウィンクルムを引っ張るから、後はなんとかするのじゃアルコン」
アルコンの手数やその速度は当代随一と言われる剣士たちをも凌駕する。だが、ウィンクルムはそんなアルコンに外される手や足を、すぐに元通り絡めてしまう。アルコンの背中では、今、とんでもなくハイレベルな攻防が繰り広げられていた。
「今じゃ、アルコン!」
「良し、これなら!」
「ああーん!」
アーカスが星屑を連ねた鎖でウィンクルムを縛り、全力で引く。アルコンは赤手甲を繰り出し、ウィンクルムを振りほどいた。ついにウィンクルムはアルコンから引き剥がされた。
が。
「あ?」
「む?」
アルコンとアーカスは、ぽてんと地面に落ちたウィンクルムを見て、頭も体も固まった。
「うわああああん。ひどいよーひどいよー」
星屑に手足を拘束されたウィンクルムが泣き叫んでいる。そのウィンクルムの目は、髪は、薄赤く染まり出していた。
「おい、アーカス」
「ちょっと待て、アルコン。今、ウチの星屑で、おぬしが生き返る直前の記憶映像を見せてやる」
「それは? うっ」
星屑がアルコンの額に触れ、溶け込んだ。星屑はそうして相手に直接アーカスの見た記憶を送り込む。
「なんだと? これは、ベスティア、か?」
すぐにアルコンはそう洩らした。
「そうじゃと思う。そしてその後、おぬしが生き返って元に戻った」
アーカスが頷いた。
「ああーんああーん。アルコンのとこに戻してえ。ああーん、アアーン、アアー、アルコン、ノ、トコロニ、モドシ、テ、」
二人がそうこうしているうちに、ウィンクルムの様子がおかしくなった。それは先の、暴走寸前だったウィンクルムのようだった。
「ウィンクルム! これはまずいぞアルコン!」
アーカスが叫ぶ。
「ふむ。……まさか、な」
「お、おい? アルコン?」
対して、アルコンは冷静だった。アルコンはゆっくりとウィンクルムに近付くと、赤手甲で頭を撫でた。
「あ。もー、アルコン。頭を撫でてくれるのは嬉しいけど、その手甲は外してよー」
「何じゃと?」
直後、ウィンクルムは元に戻った。あっという間だ。アーカスはぽかんとした。
「ああ、すまんすまん」
アルコンはウィンクルムから手を離した。
「アルコン、アタマ、ナデナデ」
「何ぃっ?」
すると、ウィンクルムはまたベスティア化した。アーカスの顎は外れんばかりだ。
「うむ」
アルコンが頷いた。
「決闘は、ウィンクルム付きでないと行えないな、アーカス。ウィンクルムは、俺と離れるとベスティアになってしまうのだから」
「は?」
「だから、俺が付いていないとウィンクルムは魔獣王になるのだ。フロウスめ、俺の加護を封印すると言いながら、実はウィンクルムの封印に使用していたのだ。おそらくだが、赤手甲の力のみでは、もう封印し切れなくなってきているのだろう。だからウィンクルムを俺の元へと寄越したのだな。全く、しようのないやつだ」
「あ。あー……」
「つまり、俺が死ぬとウィンクルムはベスティアに乗っ取られてしまうということか。いや、何か理由があって俺の所へ来たのだろうとは思っていたので、いざという時にはリルガレオに後事を託そうと決めてな。昨日、赤手甲の封印のスイッチ役みたいなペンダントを受け取った時に、フロウスの必死の思念が、ウィンクルムを守って欲しいと強く語りかけて来たんだが、しかし……。それでリルガレオに話し始めたところで、お前が攻めてきたからなあ。昨日とはまた状況が変わってしまった。さて、これはどうしたものか」
「ほ、ほー……」
アーカスはアルコンの顔が見られない。額からは、汗がだくだくと流れている。アーカスは、初撃の不意打ちで、もしアルコンが死んでいたらと想像している。
アーカスとて、ウィンクルムの特殊性は最初から知っている。ウィンクルムが重過ぎるものを背負っているのは分かっていた。しかし、それがこうしてアルコンと繋がるとは想像もしていなかったアーカスは、盟約を最優先して動いていた。しかし、アーカスの立場としてはそれが一番正しい。
「で、どうしようか、アーカス? まだ、俺を殺すかね?」
アルコンがウィンクルムの頭に赤手甲をぽんと置いた。
「もー、アルコンー」
ウィンクルムが笑いながら怒った。
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