第28話 5番目の誇り フォルマ・ウトラ

「あんだあ? マジで空っぽになってんじゃねぇか」


 獣人の圧倒的脚力により、瞬く間に提督府城に到着したリルガレオは、完全に呆れていた。まず、常であれば固く警護されているはずの門も開けっ放しであった為に、リルガレオはやすやすと、無断で、勝手に、国賓にしか使われない客間や広間、各省庁の次官級以上の集まりにしか使われない会議室などを見て回る事が出来た。


「ほー。ここって、こんなんなってたのかよ。贅沢なもん使ってんなあ。お? なんだよこのキラキラした皿? おお、そうそう、確か貝殻を焼き込んだやつだ。すげえ高いんだよなこれ」


 リルガレオはボードの上にうやうやしく並べられた綺羅びやかな皿や壺をいくつも手に取りふむふむと唸っている。城の様子を探りに来たはずだったリルガレオだが、途中からまるで観光気分になっていた。


「と、いかんいかん。つい見入っちまった。こんなに自由に城ん中を歩き回る機会無いからな。ちと惜しいが、とにかく提督室でも行ってみっか」


 なにしろここは世界でも有数の交易都市である。来賓を退屈させないよう、壁や天井、柱や絨毯に至るまで、珍しい物はそこかしこに仕込まれていた。リルガレオはそんな物の一つである、一枚織るのに20年はかかると言われるふかふかの絨毯をうきうきと踏みつつ、城の上へ上へと向かった。


「あ。死んでる」


 そして、何度も寄り道をしながら到達した荒れ果てた提督室で、リルガレオは死体を見つけた。それはエディティス・ペイ提督サピエンティアなのだが、リルガレオは特に驚いた様子も無い。


「なんだ、とうとう殺されたのかよ、じじい。笑っちまうなあ、おい。がははははは」


 それどころか、大笑いし始めた。サピエンティアは血塗れだ。四肢は変な方向へあちこち曲がり、内蔵も飛び出している。面白い要素など微塵も無い。


「これ、リルガレオ。そこは笑うとこなのかの? 全く、酷い男じゃわい。わっはっはっはっは」


 そして、最も面白く無いはずのサピエンティア本人までもが、その細い目をぱちりと開けて笑い始めた。それはなかなかにホラーな光景だった。


「てめえだって笑ってんじゃねえか。あーあ、なんだよてめえ。誰か来るまでそうやって待ってたのかと思うと笑えるぜ。がははははは」

「言うなよ、リルガレオ。僕だってね、馬鹿みたいだなーって思ってたんだからさ」


 少し口調の若返ったサピエンティアが、上体をむくりと起こした。反動で、つやつやとした腸がぼろりと溢れる。


「でもよお、おめえがそうやっていられたってこたあ、敵は思いっ切り騙されてるってこったよな? 相手は誰よ?」

「まあね。僕の"偽装"を見破れる人なんて、そうそういないからさ。なのに、君にはすぐにバレちゃうんだね。ショックだなあ」


 そう言うと、サピエンティアの姿がもやもやと変化していった。次に輪郭を取り戻した時には、サピエンティアとは似ても似つかぬ穏やかな若者になっていた。どこにも傷は無く、立派な軍服を着込んだその姿は、床に無造作に座っていてもどこか気品を感じさせる。


「そう落ち込むなよフォルマ。俺様は獣人、しかも王様なんだぜ? 本質は見誤らねえ」


 そう言ってリルガレオが肩に手をぽんと置いた相手の男は、フォルマ・ウトラという名の騎士だ。


「ふうん。そうか、僕の幻惑魔術も、まだまだだって事だねー」


 フォルマ・ウトラ。彼は、近衛騎士団5番隊、スペルビア・クウィーンクェの隊長を務める男だ。


「で、敵は? じじいはどこだ?」

「うん、まあ、君には知っておいてもらいたいし、言うけどさ。提督はどこにいるのか知らないけど、多分どこかで全体を鳥瞰してるんじゃないかなー。あの人、ホント怖いから。あ、なんだよ結構汚れちゃったよ。ちゃんと掃除してるのかって話だよー」


 フォルマはにこにこと立ち上がり、服についた埃をぱんぱんと払った。


「提督を殺そうとしたのはね、フィリウスだよ。信じらんないよね、あいつ。何考えてんだって話さ」

「フィリウス? そいつなら、ケントゥム門で魔獣どもを撃退してたらしいぜ。良く分からねえモンを使ってな」

「ホント? あっははははは。なんて幼稚な事してるんだい。馬鹿なのかな、あいつ。見事に引っかかっちゃったねー、可哀想に。でもまあ、提督の役には立ったなーって話かな」

「はあ、なるほどな。つまり、知らずにエサ役をやらされちまったわけだな、フィリウスってやつは」

「そういう事さ。最初から怪しいやつだと睨んでいたんだろうね、提督は。だから次期提督だのと公然と言いふらしたり、いい婚礼話だのをチラつかせてちやほやし、野心を煽った。そしたら後は泳がせて、フィリウスに同調する人間がいるか観察する。そして頃合いを見て、わざと警護の隙を作る。スペルビアのほとんどが今、表向きは休暇中になってるけどね、実はちゃんといるんだよって話だよー。僕もここにいるわけだし」

「都市運営基盤の定期メンテナンス感覚かよあのじじい。それに利用されるやつの身にもなれよなあ……」


 フィリウスの行動の全てが、提督サピエンティアの掌の内だった。フォルマを始め、スペルビアの隊長連、サピエンティアですらそう思っているはずだ。だが。


「でもよ、フォルマ」

「ん? なに、リルガレオ? そんな心配そうな顔、君らしくないって話だよ」

「サピエンティアのじじいは、モルダスの事を知ってんのか? 人造の魔獣とはいえ、あのオスティウム・ウルマの群れを蹴散らしちまうようなあの"兵器"は、サピエンティアの計算に入ってたのかよ? フィリウスを利用していたのは、じじいだけじゃねえのかも知れねえぜ」


 凄むリルガレオにフォルマは「ははは」と快活に笑った。


「計算外も計算のうちさ。それを測るための罠だろっていう話だよ。何があろうと大丈夫さ。だって、僕らスペルビアがいるんだよ? "誇り"の名は伊達じゃない」

「ほー。んじゃ、俺様たちがケントゥム門の一つを守るのも計算のうちだったってか? 客将である俺様を戦に駆り出すつもりだったのなら、事前に戦時契約並びに報奨規程も作成すんのがお約束のはずだぜ? なにしろ俺様は、エディティス・ペイという都市国家やその首長、サピエンティアに従属しているわけじゃあねえからな。つーわけで、今回のは臨時強制徴収扱いになるから、俺の言い値を支払ってもらう事になるけどいいよなあ? なあ、フォルマ?」


 リルガレオの鋭い指摘に、フォルマはまた「ははは」と笑うだけだった。その口端をぴくぴくと痙攣させているのは、冷たい汗が背中を伝ったせいである。


「ま、まあ、それはサピエンティア提督に相談してもらうとして」


 旗色の悪化を感じたフォルマは、話題を変えようと必死だ。


「これからが見物だよ、リルガレオ。こんな事をしでかしたフィリウスが、これからどうなると思うかい?」

「あ? そんなもん、首刎ねて終わりだろが」

「いいや、違う。サピエンティア提督が、そんなぬるい仕置きで済ますはずがないだろう」

「ほーん? 殺されるより酷い仕打ちなんてあんのかよ? あ、そうか。殺す寸前まで痛めつけて治療して、また殺す寸前まで拷問すんだろ。それ、俺もやられた事あるわ。あれマジ辛い」

「違う違う。もっと恐ろしい事が、って、君、誰にそんな事されたの!?」


 フォルマがうっかり驚いた。リルガレオの言う仕打ちは、アルコンにされた事そのものなのだが、フォルマはアルコンを知らない。


「それはそれでめちゃくちゃ嫌なのは間違いないけど……あるんだよねー、これが。そこがサピエンティア提督の恐ろしいところなんだけどね……魔法士でも魔術士でも無く、戦士でも剣士でも無い提督だからこそ、そんな酷い事が出来るのかも知れない、って話」


 フォルマは首を捻るリルガレオに、いたずらっぽく笑いかけた。しかし。


「フィリウスはね、これから心を奪われるんだ。そこは魂の牢獄。サピエンティア提督の、操り人形にされるのさ。一生、ね」


 その穏やかな瞳の奥には、静かに残酷な末路を迎えるフィリウスの姿が見えていた。



「ウチに殺されるなら本望、か。それは喜ぶべきなのかの……。では、月並みな言い方でつまらんが、覚悟は良いという事じゃな、アルコンよ?」

「本当に月並みだなアーカス。真面目なお前らしい台詞だよ」


 一方、攻殻魔獣群戦の熱気もすっかり冷めたケントゥム門前広場では、アルコンとアーカスが対峙していた。凛と立つアーカスは六英雄及び妖精族の姫としての威厳に満ち、生き残った憲兵隊隊士や騎士たちの視線を釘付けにしている。


 アルコンはと言えば、逃亡に死亡で更によれよれとなった黒の法衣、そしてその背には少女がひっ付いている、だけならばまだしも、少女はアルコンの肩に乗せた顔を横向きに、必然とばかりに唇をアルコンの頬に押し当てているのだから、締まらない事この上なかった。


「……あの、ウィンクルムよ。なんだか申し訳無いのじゃが、アルコンから離れてはくれぬかの?」


 ここまで威圧感を演出しているのに、ここまで無視されたのは生まれて初めてだったアーカスは、なぜだか自分が悪いような気持ちにまでさせられていた。これもウィンクルムの力の一つなのだろうか、とアーカスは戦慄した。


「やだ」


 対して、ウィンクルムは全く気遣いなどしていない。誰であろうとこの時間を邪魔する者は許さないというオーラが、ウィンクルムから立ち昇っているようにさえ見える。


「ではやむ無し、じゃな」


 ウィンクルムのペースに呑まれまいと、アーカスが星屑をアルコンへと撃ち出した。その数三つ。星屑は光の軌跡を引いてアルコンへと伸びてゆく。それは本気で殺すつもりの攻撃だった。


「絶対防御」

「むっ」


 だが、加護を取り戻したアルコンには通じない。聖魔法の加護の一つである絶対防御に、星屑はあえなく阻まれた。それは見えない壁だった。跳ね返すのでも、打ち消すのでも無い。絶対防御はただ阻む。


「無駄だ、アーカス。絶対防御は常時俺を取り囲み、隙は無い。そして、お前の星屑で貫け無いのは、過去何度も試して分かっているはずだろう。お前は、俺に勝てない。俺はお前に殺されない」


 これがアルコンを六英雄中でも最強の最有力候補と言わしめる理由の一つだ。大征伐戦中、同行した将兵たちが彼らの活躍ぶりを見て、酒の肴に最強談義を交していたが、その時に良く言い争われたのが「アルコンとグラディオ、どちらが強いか?」という題目だった。残念ながら、その時のアーカスの下馬評は最下位だ。


「ふふ。そうじゃな。試した。何度も試したものよのう、アルコン」


 しかし、アーカスは不敵に笑った。


「では海へ出ようか、アルコン。ウチが最大出力を振るえば、この街が全て蒸発するからの」


 アーカスがアルコンに本気で力を振るった事は、まだ無かった。


 二人の間の大気が震え、膨張する。不動の山を思わせるケントゥム門までもが、かたかたと石壁を鳴らしていた。


「アルコン、好きい」


 ウィンクルムは、ひたすらアルコンの頬にキスしていた。


 

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