第27話 盟約の重さ
アルコン蘇生から30分ほどが経過した。ケントゥム門の庇には、住み着いていた鳩が舞い戻り、くるくると喉を鳴らしている。ぽかぽかとした陽は頂点から多少傾き、そこだけ見れば、いつもの、のどかな昼下がりとなんら変わりは無かった。
「と、これで片付いたな」
どこから持ってきたのか、箒を手にしたアルコンが、攻殻魔獣の残骸を、門前広場にひとかためにまとめている。リルガレオが散々にぶん投げたり叩き付けたりしたので、破片がとっ散らかってしまったのだ。意外と几帳面なアルコンは、倒した魔獣をそのままにはしておけなかった。
「がはははは。おう、まあ、なんてこたあなかったな。ちょろいちょろい。がはははは、はあはあ」
リルガレオは固めた残骸の山にもたれかかり、いつものように笑っている。
「ちょろかったか? その割にはお前、結構息が上がってないか?」
「上がってねえし! ちっと深呼吸してるだけだし! 運動した後はクールダウンしなくちゃだろが? 俺様は、体を大事にしてんだよ。がは、がははははは」
「そうなのか? お前、昔はしょっちゅうそこらの岩とかを『勝負だぜ!』とか言いながら殴って、拳を砕きまくってたと思ったが。だから俺、お前って、てっきりマゾなんだと思ってた」
「そんな事してねえ! ふざけた勘違いしてんじゃねえ!」
そんな二人のやりとりを、少し離れた場所から眺めているのは、いまだ地面にへたり込んだままのクーラエだ。目は潤み、頬はだらしなく緩んでいる。
「良かったあ……いつものアルコン様だ……いつもの、リルガレオ様だあ……」
激しく凹んだケントゥム門の門扉や、砕けひび割れめくれ上がった石畳、山を成した魔獣の残骸、それに、布をかけられ横たわる戦死者たちがいなければ、そこは確かに日常だった。今のクーラエには、この非日常の部分が、この後どうなるのか、どうするのかにまで思いを巡らせることは出来ない。ただ、日常だけを強く感じていたかった。
「ふふ、嬉しそうだねクーラエ。ほら、もう立てるだろう? 手を貸すよ」
「あ、ありがとうございます、ユールさん。だ、大丈夫です。一人で、立てますよ」
ユールが馬から伸ばした手を、クーラエは微笑みで断った。手を差し伸べるのは自分の役目だ。クーラエにそこは譲れない。
「おい、アーカス。星屑は飛ばしたか? 状況報告はどうした」
アルコンは赤手甲をはめたままで使用していた箒を残骸の山に丁寧に立て掛けると、真っ赤な頬を膨らませて腕を組んだアーカスに問いかけた。
「そんなの、もうとっくにやっておる。他の門に押し掛けていた魔獣どもも、無事に成敗されたようじゃ」
アーカスはそう答えると口を尖らせて横を向いた。言葉の端々もその口と同じく尖っている。アルコンでもそれは気付いた。
「どうした? 何を怒っている? と言うより、拗ねているのか?」
「拗ねてない! 怒ってもおらん! なんじゃ、偉そうにウチに指図などしおって。アルコンはもうウチらの指揮官じゃないのじゃ。あのチームは、もう解散したんじゃもん!」
事実、アーカスは怒ってもいないし、拗ねてもいない。ただ、我慢していただけだ。本当なら、アーカスもウィンクルムのようにアルコンに飛び付きたかった。しかし、アーカスはその衝動を抑え付けるしかない。アーカスの禁忌は、こうして彼女を苦しめる。
「あ。ああ、そうだったそうだった。すまんアーカス。つい、昔のクセが出た。はは、あの頃は、いつもお前に偵察とかをやってもらっていたからな、体が覚えているらしい。懐かしいな、アーカス」
「ぜんっぜん! 懐かしくなんかないんじゃもん!」
アーカスはきーっと歯を剥き肩をいからせ地面を踏んだ。
「おいおい、お前はもう100歳くらいになるんだろう? もんはよせ、もんは。子どもか、お前。まったく、アーカスは相変わらず可愛いなあ」
「にゃにゃにゃにゃにゃ、にゃにおう! かわかわかわ、かわわわわわわわ」
アーカスの頭から、星屑がぼんと飛び散った。星屑たちは踊るようにアーカスの頭の上を飛び回る。明らかに喜んでいるのだが、アーカスはそれを悟られまいと必死で怒り顔を維持している。アーカスの美しい顔は、もうめちゃくちゃだった。
「天然女殺しめ」
それを冷ややかに見ていたリルガレオが、ぼそりと小さく呟いた。
「今度は猫語か? ふむ、アーカスもしばらく会わないうちに、結構面白くなったのだな。が、ふざけるのはそこまでにしてもらおうか。俺は真面目に話しているのだ」
「ふざけておるのはおぬしの方じゃ! 真面目に可愛いとか平気で言うなあ!」
「まあ落ち着けアーカス。静かに、速やかに星屑で得た情報を俺にくれ。俺は少し考えたいのだ」
「落ち着かないのはおぬしのせいじゃのに……冷静に情報寄越せとか、ほんにおぬしは相変わらずな男じゃの……」
全く気持ちが通じない。通じては困るのでこれでいいのだが、アーカスはやるせない。アルコンを好きになってしまってからこっち、二人の関係はずっとこんな調子だった。そして、今の二人は、アルコンが背負っている者の存在を忘れている。
「……これはヒドイ……」
ウィンクルムだ。アルコンの背中で、ずっと二人のやり取りを黙って聞いていたウィンクルムは、アーカスに激しく同情していた。そしてウィンクルムは決意した。もっと積極的にアルコンを攻めてやる、と。それはおかしな結論なのだが、ウィンクルムは気にしない。どの道、アルコンへのアプローチについてウィンクルムの出す答えは全て同じだ。
「はあ、もう良いわ。とにかく、他の門も安泰じゃ。なんだか分からぬが、この攻殻魔獣たちと同じくらいの大きさと硬さじゃが、力は圧倒的に強い何かが防衛した。3体おるが、それぞれ1体ずつが各門で戦い、魔獣どもをあっさりと蹴散らしたようじゃ。そやつらを率いていたのは、一人の小綺麗な騎士じゃな。随分と派手にもて囃されておるわ。うむ、フィリウス、とか呼ばれておる」
「フィリウス? どこかで聞いた名だ」
「ああ、それならな、昨日オスティウム・ウルマと戦った時、指揮を採ってたドリチアムっておっさんがいただろ? フィリウスっていやあ、あのおっさんの息子だぜ」
「ああ。そうか、ユールの親友だとも聞いたな」
アルコンはぽんと手を叩いた。
「ふむ。そんなに有能な騎士なのか、そのフィリウスという男は」
「そりゃあなあ。次期提督って噂されてるくれえだし、剣の腕も立てば頭も切れるって話だ。近衛騎士団『スペルビア・オクトー(8番目の誇り)』、エディティス・ペイ最強部隊の8番隊を率いる男だからなあ」
「ほう。あの『スペルビア』の? オクトー隊は知らんが、一番隊のウーヌス隊、ニ番隊のドゥオ隊隊長なら俺も話した事がある。呼ばれた用件についてはムカついたが、二人とも気取りのない、いい男だったな……と、それで思い出した。アーカス、提督府城の様子は見られるか?」
「遅いのう、アルコン。これが陽動だという可能性を考慮した対応や指示など、昔のおぬしならば一秒も待たずに出しておる。もちろん、そちらもとっくに確認済みじゃ。城はもぬけの空、誰もおらぬ。襲撃された形跡も見当たらん」
「む、そうか。だが、さすがはアーカスだな。はは、俺も錆び付いたものだ」
「ホントに錆び付いてんなあ、アルコン。城がもぬけの空なんだぜ? こりゃあ、十分異常だろうが。通常、提督府城はスペルビアが常駐してるはずなんだぜ。笑ってる場合かよ」
「そうじゃそうじゃ、リルガレオの言う通りじゃ。さっきまでもそうじゃ。おぬし、死んでおったのじゃぞ。それで、ウィンクルムがっ……」
アーカスは言いながらウィンクルムの瞳を見た。今は青いが、血のように真っ赤に染まっていた瞳を。瞬間、アーカスは体温が下がった気がして、慌ててウィンクルムから目を逸らした。もし、もし、あのまま、アルコンがあのまま死んでいたのなら、この子は、一体どうなっていたのか? アーカスは魔獣王ベスティアとの死闘を思い出し、身震いした。
「わたし? わたし、何かしたっけ、アーカス?」
ウィンクルムはきょとんとしている。本人は、あの時自分の身に起こった変化を知らない。瞬間的にとはいえ星屑を操っていたのだが、意識してやったわけではない。ウィンクルムの認識としては、なぜだか赤手甲が力を貸してくれたので助かった、くらいでしかない。
「……いや。ただ、おぬしが赤手甲を使えた事がな、ウチには驚きだった。それだけじゃ」
アーカスはなんとかそう言い繕い誤魔化した。
「そうだよね! ホント、なんでだろ? でも、助かったからいいか。わたし、今の赤手甲にはいくらでもキスしてあげたいよ」
「おいやめろウィンクルム。俺の赤手甲に口を押し付けるんじゃない。こいつはそういう事していいもんじゃない」
「あー、うー。なんでー」
アルコンは背中越しにウィンクルムに抱き寄せられた右手を振り払った。
「まあいい。城の方は俺様が見て来てやる。それよりアルコン。その赤手甲を早く仕舞え。あんまり晒しとくんじゃねえ」
「ん? ああ、まずいか。そうだな、もう役目は済んだ」
アルコンは素直に赤手甲を解除した。赤手甲はさらさらと形を無くし、姿を消した。
「あと、それはもう使うな。どうしても使わなくちゃならなくなったとしても、出来るだけ短時間で済ませろ」
「ん? それは」
「いいから。じゃあな」
「あ、おい。リルガレオ」
リルガレオはアルコンから逃げるように中央街区に聳え建つ城へと向かい、風のように走り去った。
「……分からねえ。俺はこの事実を、どうアルコンに伝えればいい? ちっ、フロウスの野郎……なんて面倒くせえ事を俺様に押し付けやがる」
リルガレオは悩んでいた。彼のこんな顔を知る者はいない。リルガレオが真に悩む時、彼はいつも一人だからだ。悩み事を相談するような柄では無いという事もあるが、リルガレオは自分の悩みで他人を苦しめるのが嫌いだった。
それが"戦友"の事となれば、尚更だった。
「さて」
「さて」
リルガレオを見送ったアルコンとアーカスが、同時に向き合った。
「やるか、アーカス」
「そうじゃな。ウチの用事はまだ済んでおらぬしの」
アーカスの表情が、すうっと色を無くしていった。目は鋭く、しかし佇まいは静かだ。今のアーカスに隙は無い。これが戦う前のアーカスだった。
「やはり六英雄の盟約を破る事は罷りならぬ。アルコン、おぬしには死んでもらう」
アルコンが生き返ったのを一番喜んだのは、実はアーカスだったかも知れない。アーカスには、アルコンとの思い出が、絆が、ウィンクルムよりもたくさんある。それでも、アーカスにはこれが正しい選択だった。アルコンを殺せば自分も死ぬと、現実に知ってもやらねばならない。六英雄の盟約は重い。
なぜなら、その重さはこの世界に"生きる"全ての人々の"現実"を、塵一つ残さず破壊し尽くすほどの秘密なのだから。
アーカスの頬を一筋の涙が伝い、地を濡らした。
「それもまた良し、だ。アーカス。俺は、お前に殺してもらえるのなら本望だよ」
アルコンは笑った。
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